第12話 英雄管理局長オルガン
オルガン・レイスは、葬儀社の応接室に入ると、壁に掛けられた古い葬儀写真を見上げた。
そこには、若い頃の父が写っている。
まだ髪に白いものが少なく、背筋が伸び、目だけは晩年と同じように静かだった。
「イザークは、よい葬儀師だった」
オルガンは懐かしむように言った。
「死者に対して、驚くほど誠実だった」
ノアは向かいの椅子に座った。
「父をご存じだったのですね」
「もちろん。勇者葬儀を任せられる葬儀師は多くない。遺体を整える技術だけでは足りない。沈黙を守る能力が必要だからだ」
沈黙を守る能力。
ノアはその言葉を心の中で繰り返した。
「葬儀師に必要なのは、死者を弔う能力です」
「それも必要だ」
オルガンは否定しなかった。
「だが、勇者葬儀にはもう一つ役割がある。民衆が受け入れられる形で死を整えることだ」
「死を整える?」
「死は、そのままでは醜い。恐怖、不満、疑念、怒りを生む。特に勇者の死はそうだ。希望の象徴が無残に死ねば、民衆は次の災厄に立ち向かえなくなる」
「だから、死因を書き換えるのですか」
ノアの声は低くなった。
オルガンは微笑まなかった。怒りもしなかった。ただ、事実を述べるように答えた。
「必要な場合は」
その一言で、応接室の空気が重くなる。
ノアは机の下で拳を握った。
「勇者カイルの死因も、必要だったのですか」
「彼は英雄として弔われた」
「背中から刺されていた」
「それを民衆に知らせれば、何が起きる?」
オルガンの声は静かだった。
「勇者が味方に殺されたと知れば、民衆は聖騎士団を疑う。王国を疑う。次に勇者が選ばれても、誰も信じない。魔王領との戦争は長引き、より多くの命が失われる」
「だから、一人の死を嘘で覆う」
「一人ではない。王国全体を守るためだ」
ノアは息を呑む。
オルガンの言葉には、迷いがなかった。
自分が悪を行っているとは思っていない。
むしろ、責務を果たしていると信じている。
「聖女候補リナもですか。彼女は呪いではなく、治癒魔法の使いすぎで死にました」
「それを公表すれば、聖女候補たちは戦場へ行かなくなる」
「行かせるべきではなかった」
「では、負傷兵は誰が救う?」
ノアは言葉に詰まる。
「魔法使いアルトは、裏切り者ではありませんでした」
オルガンの目が、わずかに動いた。
「どこまで知った?」
「葬儀師として知るべきことを」
「ならば、知ったことの重さも理解しているはずだ」
オルガンは少し身を乗り出した。
「真実は万能ではない。君が信じているほど優しくもない。勇者カイルの死因を公表すれば、彼が守ろうとした魔王領の子どもたちも、彼に協力した仲間も追及される。アルトの名誉を回復すれば、生き残った者たちが危険にさらされる」
ノアは何も言えなかった。
それは、第3章でノア自身が直面した葛藤だった。
オルガンは、それを分かっている。
分かったうえで、死者の真実を管理している。
「君の父も同じところで迷った」
父の話に戻った。
ノアは顔を上げる。
「父は、何を葬ったのですか」
「名前を失った男だ」
「誰です」
オルガンは答えない。
「父の台帳が切り取られていました。弔辞は塗り潰されていました。父の死因確認には英雄管理局付き医師の名があります」
「調べたのか」
「父の死を、初めて疑いました」
「疑わない方が幸せだった」
ノアの胸に怒りが込み上げた。
「父は本当に病死だったのですか」
オルガンは沈黙した。
その沈黙が、答えに近かった。
「局長」
ノアは机の上に手を置いた。
「父は殺されたのですか」
オルガンは窓の外を見た。
王都の空は曇っている。遠くで鐘楼の鐘が鳴った。
「死者の死因をすべて知ることが、弔いになるとは限らない」
「それは答えではありません」
「答えだよ」
オルガンはノアに視線を戻した。
「イザークは優秀だった。だからこそ、越えてはならない線を越えた。彼は死者のために、国の土台を揺るがそうとした」
「父が何を知ったのですか」
「君はまだ知らなくていい」
「僕は父の息子です」
「だから言っている」
その声には、初めてわずかな感情が混じった。
怒りではない。哀れみに近いものだった。
「イザークは、君を巻き込みたくなかった」
ノアは言葉を失う。
父が、自分を守ろうとしていた?
それならなぜ、あの紙片が今届いたのか。
誰が届けたのか。
父は本当に何も残さなかったのか。
オルガンは立ち上がった。
「ノア・レクター。これ以上、古い葬儀を調べるな」
「命令ですか」
「忠告だ」
「英雄管理局の?」
「君の父を知る者としての」
オルガンは扉へ向かう。
「君は葬儀師だ。死者を送ることに専念しなさい。棺を開ける仕事はしてもいい。だが、棺の下にある国の土台まで掘り返すな」
ノアは立ち上がった。
「父は、死者に誠実すぎたと言いましたね」
オルガンが足を止める。
「はい。父はそういう人でした。だから僕は、父を誇りに思います」
オルガンは振り返らなかった。
「その誠実さが、君を殺す」
扉が閉まる。
ノアはしばらく、動けなかった。
応接室には、父の写真だけが残っている。
死者に誠実すぎた葬儀師。
それは、父への評価であり、警告であり、判決のようでもあった。
奥からミレイが出てきた。
「聞いてた」
「でしょうね」
「最悪だね、あの人」
「そうでしょうか」
ミレイが眉をひそめる。
ノアは椅子に座り直した。
「彼は、嘘を楽しんでいるわけではありません。国を守るために必要だと、本気で思っています」
「だから最悪なんだよ」
ミレイは吐き捨てるように言った。
「自分が正しいと思ってる人間は、誰かの死体を踏んでることに気づかない」
ノアは父の写真を見た。
オルガンは父の死を否定しなかった。
だが、認めもしなかった。
それでも十分だった。
父は、ただ病で倒れたのではない。
少なくとも、英雄管理局が何かを知っている。
ノアは父の弔辞下書きを机に置いた。
黒く塗り潰された箇所。
名前を奪われた英雄。
局長。
記録だけは残せ。
「ミレイ」
「何」
「父の遺体を、あなたは見ましたか」
ミレイの顔がこわばった。
「……見てない」
「なぜ」
「見せてもらえなかった」
ノアは息を止めた。
「英雄管理局付きの医師が確認したあと、もう納棺されてた。私が呼ばれた時には、棺は閉じられてた」
「僕は」
声がかすれた。
「僕も、父の遺体をちゃんと見ていません」
葬儀師なのに。
父を送ったはずなのに。
あの時の記憶は曖昧だった。急な死。葬儀の準備。弔問客。英雄管理局からの事務的な説明。父の顔には布がかけられていた。死化粧もほとんど必要ないと言われた。
疲れて眠っているようだった。
そう思い込んだ。
思い込まされたのかもしれない。
ノアはゆっくり立ち上がった。
「父の墓へ行きます」
ミレイはすぐに首を振った。
「今から?」
「はい」
「まさか、掘り返す気?」
ノアは答えなかった。
ミレイは頭を抱える。
「本当にお父さんそっくりになってきた」




