第3話 北辺侯からの招聘状
北辺侯フリードリヒ・ノルトハイムは、歌劇の台本みたいな飾り言葉を一切使わない男だった。
待ち合わせ場所は王都駅舎の貴族用待合室ではなく、貨物搬入口の脇にある小さな詰所。黒い外套を着た三十八歳の男は、雪混じりの風の中でも微動だにせず立っていた。
「クラウディア・ヴェルナー殿」
「はい」
「来てくれて助かる」
それが挨拶の全部だった。
差し出された書類は二通。ひとつは北辺劇場再建計画。もうひとつは王都歌劇場から北辺へ支払われるはずだった巡業補助金の未着一覧だった。
「歌劇場にも未着があるんですね」
「ある。補助金、譜面、衣装箱、出演契約の控え。届いたことにされたものも多い」
私は一覧をめくる。北辺劇場で受け取った印があるのに、現物がない品と、現物はあるのに台帳へ載っていない品が混じっている。
「誰かが、王都と北辺のあいだで記録をずらしている」
「だから、配役台帳を読める人間が要る」
フリードリヒはそう言って、私の反応を待った。憐れみも同情もない。ただ必要な技術を持つ人間として見ている。
「私は今、慈善公演の売上横領まで押しつけられています」
「知っている」
「それでも雇うんですか」
「押しつけられた側の方が、押しつけ方を覚えている」
私は少しだけ笑ってしまった。王都では誰もが私を負けた女として扱ったのに、この人は最初から仕事の話しかしない。
「条件は」
「北辺劇場の配役台帳官兼再建責任者。住居と裁量を与える。必要なら王都へ照会も出す。嘘が出れば、こちらで守る」
「私が真実を出したら、歌劇場の顔は潰れますよ」
「潰れる顔なら、先に嘘で塗ってある」
返答がいちいち短いのに、妙に納得させられる。私は招聘状の末尾へ目を落とした。そこには、すでに雇用印が押されていた。
「ずいぶん先回りがいいんですね」
「断られる気がしなかった」
「自信家」
「必要な人材を逃したくないだけだ」
結局、その言葉がいちばん効いた。
「行きます」
私が答えると、フリードリヒは小さく頷いた。
「では今日からだ」
「今日から?」
「舞台は待ってくれない」
歌劇場を追い出された女に向ける言葉としては、妙にまっすぐだった。私は指先で招聘状を畳み、自分の鞄へしまう。婚約者から受け取るはずだった招待状より、ずっと心強い一枚だった。




