第17話 妹の高音は誰のものか
リゼットは最後まで、笑顔だけは崩さなかった。
「高価な喉薬を使う歌手は珍しくありませんわ」
そう言って扇を開く。だが私は、そこへ更に一枚の譜面を重ねた。慈善公演第二幕の大詠唱部分、私の改訂旋律入りの写譜だ。右下には、合唱主任アデル・ライナーの細い書き込みがある。
『裏歌位置 東袖二段目』
監査会長が顔を上げる。
「裏歌?」
「客席から見えない位置で高音部だけ支える手法です。公表されていれば問題ありません。でも、主役の実力として売れば詐称になる」
そこへ、呼ばれていたアデル本人が前へ出た。三十六歳の彼女は緊張で唇を固く結んでいたが、それでも目は逸らさない。
「命じられました。慈善公演と春期夜会の一部で、私が幕裏から高音を支えました」
リゼットの顔色が変わる。
「うそよ!」
「嘘ではありません」
アデルは静かに続ける。
「私は正規の影歌料も受け取っていません。主演者演出調整費として、別会計で処理されました」
さらに私は、舞台袖の補助表と喉薬納品控えを示す。
「妹は高音が出ない夜に、人の声を自分の栄光に重ねていた。しかも、それを支えた側の名まで隠して」
エーミールが立ち上がりかける。
「主演演出の範囲だ!」
「では契約書に書くべきでした」
私は遮った。
「でもあなたたちは、私の署名を偽造し、アデルさんの名を消し、空席へ寄付を載せた」
会場の空気が完全に変わった。もう誰もリゼットを“本物”とは見ていない。
彼女は扇を落とし、初めて私をまっすぐ睨んだ。
「お姉さまばかり、ずるい」
どこかで聞いた台詞だった。だが今はもう、胸は少しも痛まない。
「ずるかったのは、声を借りて名前だけ取った人の方よ」
客席に沈黙が落ちる。高音は、嘘よりずっと長く響く。その響きの持ち主が誰だったのか、ようやく舞台の外へ出た。




