第15話 無口な北辺侯は最前列で待つ
王都行きの前夜、フリードリヒは珍しく自分から劇場の客席へ私を呼んだ。
灯りを落とした舞台を前に、最前列中央だけが柔らかく照らされている。A-1の席札は既に置かれていたが、彼はそこへ座らず、通路脇で私を待っていた。
「確認したいことがある」
「証拠の並び順ですか」
「違う」
短く言って、彼は私へ一通の封書を差し出した。開くと、中には北辺劇場再建契約の追補条項がある。『配役台帳官クラウディア・ヴェルナーの裁量により、新規主演者の選定を認める』。
「これは」
「王都の件が終わった後も、ここで決められるように」
「私が残る前提ですか」
「残ってほしい」
あまりにまっすぐで、返事が一拍遅れた。フリードリヒは相変わらず表情が少ない。それでも声だけは、舞台上の誰より正直だった。
「仕事ができるから?」
「それもある」
彼はそこで一度だけ視線を逸らし、すぐに戻した。
「だが今は、それだけではない」
静かな客席に、言葉が落ちる。華やかな台詞ではない。けれど私は、こんなふうに相手が覚悟を削って出してくる言葉の方が信じられる。
「私は、王都で席を失ったあなたを拾ったつもりはない」
「……」
「最初から、ここの舞台に必要だと思った。今は、舞台の外でも必要だ」
胸が熱くなった。奪われた側として哀れまれるのではなく、必要だと言われることの重さを、私は最近ようやく知ったばかりだ。
「返事は、王都の後でもいいですか」
「待つ」
そう言って彼は、A-1の席へ視線を向けた。
「だから最前列を空けておく」
私は笑い、席札をそっと指先で押さえた。戻る場所がある。その事実だけで、明日の王都はもう昔ほど怖くない。




