決着
人を食ったような物言いに、無頼漢の一人がとうとう我慢の限界を迎えた。酒瓶を引っ掴んで立ち上がり、早口でがなり立てた。
「ふざけやがって、思い知らせてやる!」
そして、片眼鏡の男の脳天めがけて酒瓶を振りかぶる。片眼鏡の男はさっと身をかわし、振り下ろされる一撃を避けた。体勢を崩した早口の男に、すかさず足払いを仕掛ける。一連の動作には迷いがなく、まるで最初からそうすると決まっていたかのようだった。
早口の男は為す術もなく転倒した。背嚢の口が開き、中の荷物が撒き散らされる。
片眼鏡の男は、呆然とする早口の男をにこやかに見下ろした。片手には杖を、もう片方の手には、早口の男から奪い取った酒瓶を持っている。
「遠回しに『金を置いてとっとと失せろ』と言ったつもりだったのだが。ぼうやには少々、回りくどかったかな」
そう嘯きながら、酒瓶をテーブルにことりと置いた。
早口の男は、床に打ち付けた顔面を押さえ、苦悶している。片眼鏡の男はその傍らに屈み込むと、ずっしりと重そうな巾着を拾い上げた。立ち上がり、それを掌の上でぽんぽんと弾ませながら言った。
「せっかくなので、これは迷惑料として、私が頂いておこう。助かるよ。ちょうど、手持ちが心許なくて、困っていたところだ。それで? 彼女の分も含め、ここのお勘定は、いったい誰が出すんだい?」
エレナは呆気にとられた。なんと厚かましい言い分だろうか。これでは泥棒と大差ない。危ないところを助けてくれた恩人に対して、気が引けるけれど、そう思わずにはいられなかった。
早口の男が跳ね起きた。額に青筋を浮かべている。
「……殺す!」
そう怒鳴り散らし、腰に佩いた長剣を抜き放つ。片眼鏡の男は肩をそびやかし、苦笑した。
「やれやれ。血気盛んだな」
きゅっと細めた目が、瞼の間で鋭くなる。
片眼鏡の男は杖を体の正面に立て直した。球形の柄頭を包む手の内から、かちりと金属の噛み合う音がした。
柄を握り直し、柄頭のすぐ下を小指と薬指で締め込む。親指と人差し指は軽く添えられていた。
身体を預ける杖の持ち方ではない。これは剣の握り方だ。以前、剣術道場に通うダンが、エレナに稽古の成果を披露したことがある。あの握り方だ。ダンとは比べものにならないくらい、手慣れていた。
「一度剣を抜けば、決着するまで鞘には納めん。私はそういう性分だ。それでもやるか?」
エレナは息を呑んだ。こんな荒事を目の当たりにするのは生まれて初めてのことで、何もわからない。けれど、片眼鏡の男が剣を抜けば、取り返しのつかないことになる。それだけはわかった。
相手は六人、迎え撃つのは片眼鏡の男ただ一人。多勢に無勢だ。しかしエレナは、片眼鏡の男が敗北することはないと、なぜか確信していた。
早口の男は目を剝き、唇を戦慄かせた。大きく息を吸い込む。怒声を張り上げようとしたのだろう。しかし、叶わなかった。頭目が早口の男に踊りかかり、そのみぞおちに拳を叩き込んだのだ。
早口の男は憤怒の形相のまま昏倒した。無頼漢たちが騒然とする。双剣の男が憤然として頭目に詰め寄った。
「おい、お頭! なんでドンを殴った!? 気が狂ったのか!?」
頭目の胸倉を掴まんばかりの剣幕だ。しかし、頭目は相手にしなかった。
「皆、店を出ろ。誰か、ドンを運んでやれ」
「お頭!」
「ヘイズ。お前もだ。さっさと行け」
「ふざけんな! この野郎は、俺たちをこけにしやがったんだぞ! なんで戦わせねぇんだ!? やられっぱなしで引き退がれってのか!? ここでおめおめ逃げ出せば、俺たちは負け犬だ!」
表口の手前にいた男が、倒れた仲間を肩に担ぐ。ヘイズはなおも食い下がったが、仲間たちに取り押さえられ、酒場から引き摺り出されていった。
喧騒が去り、酒場はしんと静まり返った。
頭目は振り向きざまに懐から巾着を取り出し、空きテーブルの上に置いた。巾着はぱんぱんに膨らみ、ずっしりと重そうだった。頭目は無言で踵を返そうとした。
片眼鏡の男が呼び止めた。
「待て」
頭目がぴたりと歩みを止めた。
片眼鏡の男は、振り返らない頭目の背に語りかける。
「やんちゃ小僧にしては、物分りが良すぎる。何か裏があるんじゃないか?」
「……別に、何も」
「隠し事をしては、お前の為にならない」
片眼鏡の男はきっぱりと言い切った。声は軽妙で、唇は弧を描いている。
しかし、目は笑っていない。
頭目は押し黙った。その間、片眼鏡の男は人差し指で杖の柄をとんとんと叩いていた。
やがて、頭目は口を開いた。
「山道で、名の知れた賞金稼ぎが五人、死んでいた」
頭目の言葉を聞いて、エレナは当惑した。なぜ、その話になるのか。
片眼鏡の男は杖の柄頭を撫でながら言った。
「彼らの遺体なら、私も見かけた。熊にでも襲われたのだろうな。気の毒なことだ」
その言い分は妙だと、エレナは思った。頭目は、賞金稼ぎたちは長物で斬られて亡くなっていたと言っていた。同じ遺体を見て、一人は斬られたと見立て、もう一人は熊に襲われたと見立てる。そんなことがあるだろうか。
エレナは、ひとつの可能性に思い至った。
この片眼鏡の男こそ、五人の賞金稼ぎを殺めた張本人なのではないか。
頭目は、賞金稼ぎたちが亡くなったのは、彼らが通りかかる半日前だろうと推測していた。
半日前。つまり、今朝この町を訪れた旅人がいた。その旅人について、エレナは店主から話を聞いていた。床屋で髪を切り、髭を剃り、旅装束一式を新調したという。
エレナは片眼鏡の男をまじまじと見つめた。綺麗に整えられた髪、つるりとした顔、真新しい旅装束。女たちに好まれそうな、端正な顔立ち。
店主が話していた旅人の特徴と、ぴたりと合致する。
もし、この男が五人の賞金稼ぎを殺めたのだとしたら。頭目が片眼鏡の男との争いを頑なに避ける理由も、説明がつく。五人の賞金稼ぎを殺めた相手に戦いを挑めば、彼らもただでは済まない。頭目はそう考えたのだろう。
もし、片眼鏡の男が人殺しの悪党なのだとしたら。エレナは死に物狂いで走り、助けを呼ぶべきだろう。悪党同士が争っているうちに。
しかし、確信はない。一方、彼がエレナを窮地から救ってくれたことは、紛れもない事実だ。
だからエレナは、その場に釘付けにされ、固唾を飲んで見守るしかなかった。
頭目を見据えていた片眼鏡の男が、すっと目を細める。
「それがどうした? 死体を目の当たりにして怖くなったから、一刻も早くここを離れたい、とか?」
片眼鏡の男の挑発に、頭目は乗らなかった。片眼鏡の男は杖の柄頭に両手を重ね、首を傾げた。
「他には?」
「……それだけだ」
片眼鏡の男は、頭目の切り詰めた答えを吟味しているようだった。左手で顎を撫でながら、「なるほど?」と呟く。
酒場に重々しい沈黙が落ちた。片眼鏡の男の言葉を待つ頭目は、裁きを待つ罪人のようだった。緊張の糸が張り詰めている。
しばらくして、片眼鏡の男は莞爾と微笑み、言った。
「引き止めてすまなかった。行っていいぞ」
頭目は一拍の間を置いて、頷いた。表情に変化はないが、肩の力が抜けたように見えた。
頭目が扉の把手に手をかけたとき、片眼鏡の男が思い出したかのように口を開いた。
「ああ、そうそう。これは、先達からの忠告だが」
頭目が振り返る。片眼鏡の男は、別れの挨拶をするような気軽さで言った。
「熊の腹が満たされている、今のうちにお逃げ。出来る限り遠くへ」
これまで表情の変化を見せなかった頭目の鉄仮面に、ここにきて初めて皺が入った。片眼鏡の男を睨みつけ、軋るような声で呟く。
「……冗談じゃねぇ」
そうして、退店を知らせるベルが鳴った。




