危機
そこへ店主が、肉料理を盛り合わせた大皿を両手に一皿ずつ持って、カウンター奥にある調理場から現れた。無頼漢たちの卓へ料理を運ぶ。
料理が出されると、場はどっと沸き立った。次の料理を取りに調理場へ戻る途中、店主は柱の陰に身を潜めるエレナをちらりと横目に見る。そして、小さく肯いてみせた。
無頼漢たちは、ジョッキを豪快にぶつけ合い、脂ののった肉を貪り食った。骨を噛み砕き、酒で流し込む。品の無い食事の音が店内に響く。
店主が追加でもう二皿、肉料理の盛り合わせを運ぶ。配膳を待つ間、これまで聞き役に徹することが多かった若い男が、節をつけて歌い出した。
「欺けば舌を切り落とせ。盗めば腕を切り落とせ。殺せば首を切り落とせ」
嗄れ声の男がへへと笑った。打音がして、調子外れな歌が不自然に途切れる。嗄れ声の男が、若い男の背中を力任せに叩いたようだ。
「よう、音痴。そりゃ、あれだな。街のガキどもが歌ってた、断罪卿の歌」
銅鑼声の男も下品に笑い、若い男に絡んでいく。
「今それを歌うってことは、その後、犯せばアレを切り落とせ、とでも続くのか?」
「よせよ! それだと、お前だけじゃ済まねぇ! 俺たち皆、ちょん切られちまう!」
「なんだそりゃ、おっかねぇ!」
双剣の男がわざとらしい悲鳴を上げ、嗄れ声の男がそれに乗っかる。無頼漢たちはテーブルを叩き、哄笑した。食器が跳ね回り、ぶつかり合う音がする。
店主がカウンターの内側に戻ったので、テーブルの木目を凝視していたエレナはそっと顔を上げた。店主は仏頂面のまま、手元のグラスを黙々と拭いている。
下品な笑いの波が引いた後、若い男が思い出したように疑問を口にした。
「そう言えば、あっちはどうなった? 万罪の相棒、女房役の……なんてったかな。確か……」
「幕引きのカイル」
早口の男が答えると、若い男が素っ頓狂な声を上げた。
「幕引きぃ? なんだそりゃ。舞台袖の裏方かよ?」
早口の男が失笑する。早口の男に代わり、双剣の男が鼻で笑いながら答えた。
「奴と剣を交えりゃ、おめぇはそこで、剣士として終わるってことだよ」
早口の男が「そういうことだ」と同意する。肉を咀嚼しながら、話を続けた。
「幕引きは、逃げたらしい」
「逃げられた? 断罪卿が?」
「逃げられたのか、逃がしたのか。いずれにせよ、まだ捕まってねぇ。時間の問題だろうがな。そのうち、手配書が増刷されて、大陸中にばら撒かれる。この田舎町にもな。そうなりゃ、逃げ場がなくなる」
椅子を引く音がして、重い足音がこちらへ近付いてくる。エレナは竦み上がった。椅子が小さく軋む音を立てた。店主がカウンターの向こうから、エレナを一瞥する。決して動くな、と鋭い目が告げていた。
エレナが背にする柱のすぐ向こう側で、銅鑼声の男が足を止めたようだ。そして、言った。
「ここの手配書は、大昔のやつばっかりだな。万罪の手配書も、幕引きの手配書もあるが、こりゃまた、古い。色褪せちまって、名前も賞金額も読めねぇや」
「新しいのが回ってこねぇのか。どんだけ田舎なんだか」
早口の男は嘲笑し、それから、少し声の調子を落とした。
「それにしても、二十年以上も連れ添った相方に見捨てられ、首と胴が泣き別れとは。大物賞金首の惨めな最期だ。万罪もやきが回ったな」
双剣の男が「全くだ」と同意する。
「しかも、無様な最期が本になっちまった。好事家どもの慰み者になったようなもんじゃねぇか。これぞまさに、泣きっ面に蜂だな」
銅鑼声の男が「全くもって、その通り!」と、大きな声をさらに張り上げる。
「大陸中の変態野郎が、万罪のケツに杭を突き刺す場面を何度も読み返して、出すもん出してるだろうさ。何せ、こんな田舎にも、出回ってる名著だからな。奴は大陸中の変態の、慰み者になったんだ!」
爆笑が起こる。下品極まりない話題で、場は大いに盛り上がる。エレナは込み上げる酷い吐き気を抑えようと、口許を両手で覆い、固く目を瞑った。カウンターの奥で店主が身動ぎをしたようだ。俯くエレナを気遣ってくれているのだろう。しかし、エレナは顔を上げられない。
籠る声の男が、とくとくと酒を注ぎながら、笑い混じりに言う。
「お前ら、田舎だ田舎だと馬鹿にするが、田舎だから良いんだろ。こんな僻地にゃ、軍の目も届かねぇ。なぁ、お頭」
話を振られた毛皮の男、もとい頭目は、淡々と応えた。
「ああ。だが、山道で賞金稼ぎが五人、まとめてくたばっていたのが気にかかる」
「ああ、あれな。そこそこ名の知れた連中だった」
双剣の男が言う。嗄れ声の男が頭目に尋ねた。
「お頭は、賞金稼ぎどもを殺った奴らが、この町にいると睨んでるのか?」
「……あの死体、俺の見立てじゃ、死んでからせいぜい、半日ってところだ。山道は一本道で、俺らは誰とも出会していねぇ。それを踏まえりゃ、賞金稼ぎどもを始末した奴は、俺たちより先に下山して、この町に立ち寄ったと考えるのが妥当だろう」
「なるほど。山道から逸れなけりゃ、山を抜けた先にあるのは、この町だからな」
「それと、奴らじゃねぇ。奴は一人だ」
「一人? なぜそう思う?」
頭目は一拍の沈黙を挟み、低い声で付け加えた。
「死体の傷を思い出せ。同じ長物、同じ太刀筋でばっさりやられてた。それも、全員、正面から斬られてる。賞金稼ぎどもはよく磨かれ、汚れ一つない得物を握ったまま、くたばっていた。即ち……奴はたった一人で、相手に反撃の隙すら与えず、一撃で仕留めてやがるんだ。相当の手練だ。そいつが同じ町にいるかもしれん。警戒しておくに越したことはねぇだろう」
無頼漢たちがこの酒場を訪れてから初めて、重苦しい静寂が訪れる。頭目の理路整然とした見立てに、誰一人として口を挟めない。
その圧迫感に耐え兼ねたかのように、銅鑼声の男が、ぎこちなく笑いながら、声を上げた。
「そうだとしてもよ。賞金稼ぎどもは、全員、得物を抜いて死んでいただろ? 恐らく、返り討ちにされたんだ。賞金稼ぎに狙われたってことは、つまり、連中を殺したのは俺らの同業者ってことだ。俺達が狙われる謂れがねぇよ!」
「なぁ、なぁ?」と同意を求めて仲間たちに声をかける。だが、誰も同意の声を上げない。暫くして、頭目が短く含み笑った。
「まぁな。ここに来て、何の騒ぎを起こしていねぇってことは、無闇矢鱈と暴れまわるつもりはねぇようだ。そもそも、ここには立ち寄らず、素通りした可能性もある」
いったん、言葉を切る。酒を一口煽り、頭目は言った。
「酒はうまいし、飯も悪くねぇ。しばらくここを拠点にするか」
エレナはぎょっと息をのんだ。カウンター越しに見える店主の仏頂面も、心なしか青褪めて見える。
一方、無頼漢たちは歓声を上げた。
「よっしゃ! そうこなくっちゃ! これでようやく、流浪の旅路とはおさらばだ!」
若い男の歓声は、一際、大きかった。双剣の男が「なんだ、なんだ。野宿が堪えたってのか? だらしねぇな、若造」と若い男を揶揄する。「そんなんじゃねぇよ」と抗議する声は、野卑な笑い声に掻き消された。
和気藹々とした雰囲気は、銅鑼男の次の一言によって、がらりと変わる。
「そうと決まりゃ、お次は女だ。手頃な女を調達しようぜ。どうする? 俺が適当に見繕って来ようか?」
無頼漢たちの笑声が湿り気を帯びる。そこには、頭目のそれも含まれていた。
頭目は喉奥でくつくつと笑い、こう言った。
「いるじゃねぇか。そこに」
心臓が大きく跳ねた。
今、この酒場にいるのは店主、無頼漢たち、そして、エレナだけだ。
総身から血の気が引いてゆく。歯の根が合わない。
店主はカウンターから身を乗り出し、エレナに命じた。
「裏口から出ろ」
表口の前には無頼漢たちが陣取っている。調理場には裏口がある。
ただし、調理場に向かうには、エレナが席を立ち、柱の陰から出てカウンターに回り込まなければならない。そうすれば、必ず、男たちの目につく。
店主がエレナを柱の陰に隠したのは、穏便にこの場を切り抜ける為だった。
しかし、それは叶わなかった。さっき、エレナが不用意に柱の陰から顔を出したことで、エレナの存在は頭目に知られ、興味を惹いてしまった。
エレナは店主に言われるがまま、腰を浮かせる。しかし、エレナには躊躇いがあった。
このまま逃げて良いのだろうか。そんなことをして、店主は無事でいられるのだろうか。
エレナがどうするか決めかねていると、銅鑼声の男が柱を回り込んで、こちらに来てしまった。巨躯を屈め、酒気を帯びた赤ら顔を、エレナの蒼白な顔にぐっと近づけてくる。
「こんな隅っこに隠れていやがったか。ええ? 可愛い田舎の野うさぎちゃん」
エレナは後退ろうとして、壁に背をぶつけた。息を詰めるエレナを、銅鑼声の男はにやにやしながら見下ろしている。
「聞いてただろ? 俺らを持て成してくれや」
身を縮めるエレナを、銅鑼声の男は下卑た目でねっとりと舐め回す。エレナに覆い被さろうとする男の肩を、カウンターから飛び出してきた店主が掴んだ。
「お客さん、そういうのは他所でやってください! この町には、その手の遊びをする場所はありません!」
銅鑼声の男があからさまに慍色を浮かべ、力に飽かせて店主の手を振り払う。よろめく店主をさらに強く突き飛ばすと、店主はカウンター席の丸椅子を一脚巻き込んで倒れた。
「ああ? なんだてめぇ。いきなり、べらべら喋りやがって」
床に伏せて呻く店主を見下ろし、銅鑼声の男が凄む。エレナは悲鳴を上げて立ち上がった。
「おじさん!」
エレナは倒れた店主に駆け寄り、肩を抱き起こす。店主は苦鳴を漏らしつつ「バカ、さっさと行け」とエレナを叱った。エレナは首を横に振る。店主を置いていくことなんて、絶対にできない。
早口の男が、席に着いたまま口を挟んだ。
「女がだめだってんなら、そっちで遊べばいい。どれくらい痛めつけたらさっきみてぇに静かになるか、賭けようぜ」
若い男が不満を漏らす。
「そんなの、何が面白いんだ? せっかく若い女がいるんだから、そっちで愉しむ方がいい。ねぇ、お頭? そうでしょう?」
エレナは振り返る。頭目はゆったりと寛ぎ、エレナを眺めていた。目が合うと、亀裂のような笑みが深くなる。
「俺たちは、ここにしばらく滞在する。騒ぎを起こすつもりはねぇ。穏便に済ませたいのさ。だからな、お嬢ちゃん。こっち来て、酌してくれねぇか。そうすりゃ、店主もこれ以上、痛い目に遭わずに済む」
エレナは頭目の暗い眼差しから目を逸らさず、真っ直ぐに見返す。歯を食いしばり、震える足を叱咤して立ち上がった。
店主は狼狽え、エレナを制止した。
「エレナ、よせ!」
跳ね起きようにも、動けないようだ。無理もない。腰をしたたかに打っていた。そうでなくても、腰痛が悩みの種だとこぼしていた。
店主の身が案じられるが、このままこうしていても、何も解決しない。
「大丈夫よ」
エレナは短く言い置いて、毛皮の男に視線を戻す。無頼漢たちの卓の前へ進み出る。無頼漢たちは、エレナの立ち姿を眺め回し、思い思いの反応を示した。若い男は口笛を吹き、別の男はやにさがり、また別の男は隣の男に何事か耳打ちをして、げらげら笑う。中には、つまらなそうに解した肉片をフォークでつつく男もいる。だからと言って、この流れに異議を唱えることはしない。
エレナは毛皮の男の前に立ち、向き合った。怯える心を奮い立たせ、はっきりと告げた。
「お酒を一杯注いだら、それでおしまい。そう約束して頂けるなら、お付き合いしましょう」
これが、エレナに出来る、精一杯の妥協だった。酌をすれば店主ともども解放されるのであれば、断る理由がない。
エレナの発言を受け、男たちは互いに顔を見合わせる。そして、腹を抱えて笑い出した。
双剣の男が、ちっちっちっと舌を鳴らし、猫撫で声を出す。
「怖い顔すんなって。女は愛想良く、にこにこしてねぇと。なぁ?」
いつの間にか、エレナの背後にぴたりと張り付いていた銅鑼声の男が、エレナの頭に顎を乗せ「そうそう」と肯く。
「俺らの膝に順番に座って、お酌して、愛想を振りまいてくれりゃいいんだ。後は、なるようになるだけだからよ」
エレナは目眩を覚えた。今すぐ、脱兎のごとく逃げ出したい。しかし、逃げられない。もしエレナが無頼漢たちを振り切り、外へ助けを求められたとしても。助けを連れて戻ったとき、店主が無傷でいられるとは思えなかった。
それでも、無頼漢たちの魔の手に落ちるのは嫌だ。死んでも、嫌だ。
エレナは震える声で、告げた。
「そういうことなら、お断りします」
無頼漢たちの笑い声が、ぴたりと止む。
無頼漢たちなエレナを見ている。頭目だけは、窓のほうに目を向けているけれど。エレナへの関心が薄れ、逃がしてくれる気になったということは、ないだろうか。エレナの儚い希望は、沈黙諸共破られた。怒気を含んだ、銅鑼声によって。
「四の五の言うな。言われた通りにすりゃあ、いいんだよ!」
背後からがしりと腕を掴まれた。肉も骨も握り潰されそうな強い激痛に、エレナの口から悲鳴が漏れる。
「おい、やめろ! その娘に手を出すな!」
床に伏した店主が怒声を張り上げた、その時だった。
カラン。
風除け幕を押し分け、重い扉が開く。来店を知らせる真鍮のベルが、涼やかな音色を奏でる。
荒海の冷気が店内に流れ込み、ランタンの山吹色の炎がゆらりと揺れた。
皆が扉に視線を向ける。
ぽっかりと口を空けた暗闇を背にして、ひとりの男が立っていた。




