招かれざる客
エレナは肩越しに振り返る。
冷え冷えとした夜風と共に、見知らぬ男たちがなだれ込んで来た。銀狐の毛皮を肩にかけた大男を筆頭に、全員で七人の大所帯だ。
革鎧、汚れた長靴。そして、物騒な得物。流離いの無頼漢だと、一目で分かる風采である。
「じろじろ見るな」
店主に押し殺した声でそう言われ、エレナははっとして前に向き直る。店主は顎をしゃくり、隅に寄れとエレナに指図する。そうすれば、背後にある柱の陰に隠れ、扉側からは見えにくくなるからだろう。
店主はカウンターの中央に移動し、グラスを磨き続けた。
見るなと言われても、どうしても、気になってしまう。寧ろ、無防備な背を向けているほうが、恐ろしいような気がする。エレナはこっそりと、無頼漢たちの様子をうかがった。
毛皮を肩に掛けた男が、どかりと椅子に腰掛ける。所作は荒々しいが、粗野ではない。
灰色の髪、鋭い目付き、堂々とした佇まい。そのすべてが威厳を伴い、群れを率いる狼を思わせた。
無頼漢たちは店主に無断で、テーブルをずらし始める。指示を飛ばすのは、双剣を腰に提げた男だ。七人掛けの席を作り終えると、双剣の男は毛皮の男の隣の席に腰を下ろす。そして、店主に言い付けた。
「おい、薄鈍! なにをぼさっとしてやがる! 酒だ、酒! 樽ごと持ってこい! それと、肉はあるか! 一番いいやつだ!」
横柄な態度に、エレナは眉を顰める。店主は淡々と「ただ今、お持ちします」と答えた。大きなジョッキを七つ、いっぺんに持って、運んで行く。その間、エレナには一瞥もくれない。まるでいないものとして扱われている。
エレナを危険に晒さないためだ。それが分かるからこそ、だったら、店主の身も危ないのではないか。エレナは気が気ではない。店主を目で追うために、柱から顔を出す。
店主が酒樽の栓を抜くと、無頼漢たちが群がってきた。我先にと手を伸ばす無頼漢たちに、店主は黙々と酒を注いでいる。
馬鹿騒ぎの向こうで、ジョッキを傾ける毛皮の男と目が合った。狼の目が、じっとエレナを見つめている。エレナは会釈もせず目を逸らし、前に向き直った。それが礼を失する振る舞いであることは、承知している。だが、そこまで気が回らなかった。心臓を鷲掴みにされたようだった。締め上げられた心臓がのたうつように、激しく跳ね回っている。
あれは危険な男だと、本能が警鐘を鳴らしていた。
ところが、意外にも、毛皮の男はエレナの不躾に腹を立てて怒鳴ったり、詰め寄ったりしなかった。
毛皮の男の沈黙が続くにつれて、エレナの鼓動は落ち着きを取り戻してゆく。
店主が注文された肴を用意するため、カウンターの奥へ向かう。途中、さり気なく、エレナを見た。隅で縮こまるエレナに、そのままで、と目配せして、奥へ引き取った。
「しかし驚いたな。あの『万罪』の末路が、まさか本になるとは!」
男の一人が銅鑼声で言った。別の男が、嗄れ声で応える。
「おっ、『義賊の末路』お前も読んだのか。どうだった?」
「正直、期待外れだった。万罪が拷問されてるのを、延々と見せつけられて、何が面白い? こちとら、生意気な女が大勢の男に寄って集って犯されて、ヒィヒィ泣いてる様を拝みたいんだっての」
「そりゃあ、序盤も序盤だぞ。もうちょっと読み進めりゃ、お望みの展開が待ち構えてる」
「途中を読み飛ばして、そこもちらっと読んだけどよ。襤褸切れみたいな女の痴態じゃ、興奮できねぇよ。女は綺麗なまま犯さねぇと」
「はは! そりゃあ、難儀なこった。犯しちまえば、どうせ傷だらけになるし、汚れるのにな」
「いやいや、それでも限度があるだろうが」
聞くに耐えない。普段なら、猥談が始まれば無言で席を立つ。しかし、今のエレナはこの場を動けない。耳孔から下劣な会話をねじ込まれても、黙って耐えるしかない。
また別の男が、籠るような声で、ぼそぼそと言う。
「『万罪のライオネル』か。大陸中を引っ掻き回してた、大物賞金首。処刑された時は大騒ぎだったよなぁ。処刑されたのは一年前の今頃だったか」
答えるのは、双剣の男だ。
「そうだ。賞金首になってから、かれこれ二十余年も生き延びた。賞金額は吊り上がって青天井、大陸中の賞金稼ぎが血眼になって、その尻を追っかけ回してやがったんだ。ところが、一人残らず返り討ちにあった。万罪は足跡代わりに屍を遺すったぁ、よく言ったもんだ」
「二十年以上も逃げ回ったのかよ。尋常じゃねぇな」
全くだと答える双剣の男。それに、待ったをかける男がいた。
「賞金稼ぎを始末してたのは、主に相棒の方だったと聞いたぞ」
早口で捲し立てるように指摘され、双剣の男の声が低くなる。
「さぁな、本当のところは知らねぇよ。知るわけがねぇ」
「とどのつまり、どっちもどっちの化け物ってこった。それで? そんな化け物を仕留めたのは、何処のどいつなんだ?」
籠る声の男がそう質すと、早口の男は得意げに答えた。
「おいおい、おめぇ、知らねぇのか? あの断罪卿が絡んでんだよ」
「断罪卿だと? 王国の守護者が駆り出されたのか」
「そうだ。万罪は一線を越えちまったのさ」
「一線を越えた? 万罪は何をしでかしたんだ?」
「王家の秘宝を盗んだ」
「……そりゃあ、断罪卿が駆り出されるわけだ」
籠る声が、ぼそりとひとりごつ。そこに生まれた空隙に、別の声が割り込む。まだ少年の名残を残す、青い声だった。
「王家の秘宝って言うと、やっぱり、魔術品なのか?」
「そうらしい。それも、とんでもない魔術を秘めた代物だとよ」
「とんでもない?」
若い男の疑問に答えたのは、先程、解説役を取って代わられた、双剣の男だった。
「とんでもないと言えば、あれだろ。王家秘蔵の、使えば不老不死になれる魔術品」
嗄れ声の男が同意する。
「あり得るな。そもそも、大昔の魔術師狩りは、始まりの国王が不老不死の魔術目当てで始めたって説もある」
ここで早口の男が、再び待ったをかける。
「ああ? でたらめ言うな。魔術師狩りは、悪魔に魂を売り飛ばした魔術師どもを一掃するために、神の名のもとに行われたんだ」
「だったらなんで、王家は今も、魔術品を隠し持ってんだ? 辻褄が合わねぇぞ」
反駁するのは双剣の男。早口の男は、ますます早口になり、双剣の男に食ってかかる。
「そんなの俺が知るか。王家の連中が腹黒いのは、今に始まったことじゃねぇだろ。出鱈目ばっかり、言いやがって」
「なんだと?」
一触即発の二人の間に、嗄れ声が割って入る。
「よせ。どっちだって、たいして変わらねぇよ」
二人が言い返すのに先んじて、籠る声が話題を変えようと試みた。
「魔術品で不老不死になったと言えば、断罪卿だ。王命で不老不死になった」
「断罪卿は神託を受け入れた見返りに祝福を与えられて、不老不死になったんだ」
早口の男が言うと、すかさず、双剣の男がせせら笑う。
「教会の言うことを真に受けるのは、馬鹿のすることだぜ。ある日突然、神様って奴が断罪卿の前に現れて、王国を守護せよと命じて? 断罪卿がはい喜んでと答えたら、不老不死になったって? あり得ねぇだろ。お伽話じゃあるまいし」
「なんだと?」
「だから、お前達、二人とも落ち着けってんだ!」
嗄れ声の男が語気を荒げる。二人は二呼吸分は黙ったものの、双剣の男がまた口を開く。
「でもよ。神の祝福で不老不死なんざ、あり得るか? あり得ねぇだろう。教会に祀り上げられた聖人どもは、断罪卿を除けば、誰一人として生き残っちゃいねぇぞ」
「まぁ、確かに。神様の祝福よりも魔術師の邪法の方が、真実味がある」
「お前、仲裁に入ったふりして、そいつの肩を持つのか」
「別に、そういうわけじゃ」
「そんな話はどうでもいい」
不毛な諍いに終止符を打ったのは、猛獣の唸りのような声だった。断固とした、有無を言わさぬ声調。振り返るまでもなく、エレナは理解する。これは、毛皮の男の声だ。聞いただけで、鳥肌が立つ。
暫時の沈黙を経て、銅鑼声の男が口火を切った。
「お頭の言う通りだ。……兎にも角にも、万罪は自滅した。貧乏人どもに義賊だ、救世主だと持て囃されて、驕り高ぶったのさ。偽善者の悲惨な末路だ」
きっぱりと言い切る。籠る声の男が、そうだな、と同調する。
「とどのつまり、筋金入りの命知らずなのさ、万罪は。そうでもなけりゃ、悪徳貴族から財産を盗み出して、貧民窟にばら撒くなんて馬鹿な真似、二十年以上も続けちゃいねぇよ。だからとっ捕まって、拷問されて、処刑された」
銅鑼声の男が鼻先で笑う。
「ふん。いい気味だ。英雄ごっこを続けた報いだぜ」
双剣の男が、ふと思い出したように言う。
「万罪の処刑は、公開処刑だったそうだ。なんでも、断罪卿が首を刎ねたんだと」
「王立軍中将閣下が直々に? 仰々しいこった」
若い男が言うと、早口の男が食い付いた。
「なんだ、おめぇ、知らねぇのか? 断罪卿は万罪が名を上げる前から、奴さんに目を付けてたらしいぞ」
それを受けて、銅鑼声の男がくつくつと含み笑った。
「熱を上げてた、の間違いじゃねぇか? 何せ惚れっぽい御仁だと、もっぱらの噂だぜ」
「知ってる。惚れっぽい上に、飽きっぽいんだろ?」
「おう。女中を見初めて娶ったはいいが、二年もしたら飽きちまったんだ。最後は難癖をつけて、首を刎ねてお払い箱にしちまったのさ。しかも、その女……断罪卿の子を身籠っていたらしい」
早口の男は、しばし、言葉を失ったようだ。やがてぽつりと呟く。
「……それが本当なら、聖戦の英雄様であろうと、地獄に堕ちるだろうよ」
さもありなん。現世に生まれ落ちるまで、赤子は神の子だ。それを殺めるのは、禁忌の一つである。
双剣の男が、異議を唱えた。
「眉唾もんの話だな。神罰の代行者が、そんなエゲツねぇ真似をするかぁ? 立場ってもんがあるだろうよ」
「さてはお前、聖典を読んだことねぇな? 神様って奴は、信仰のために妻の命を差し出す夫を褒めそやすもんなんだよ」
「お前、聖典なんか、読んだことあんのか?」
「ある。ガキの頃、修道女の気を惹きたくて、礼拝に通い詰めてたからな」
「初恋ってやつかぁ? 青臭ぇガキがどんな醜態を晒したのか、酒の肴にちょうどいい。詳しく教えろ!」
「おう、初恋だったからな。そりゃもう、熱心に口説いたさ。だがあの女、お高くとまりやがって、ちっとも靡かねぇ。だから力に飽かせて、女の身の程ってやつを思い知らせてやったのよ」
「おいおい、お前、とんでもねぇ下衆野郎だな!」
銅鑼声の男の凶悪な告白を聞いて、双剣の男は腹を抱えて笑い出す。嗄れ声の男も、同じく笑いながら、言った。
「お前、わけあって故郷にいられなくなったって、神妙な顔して言ってたが、まさか、それが理由か? ろくでもねぇな! お前こそ、地獄に堕ちるぞ!」
「地獄に堕ちるだぁ? 大袈裟な! 拷問吏どもの所業に比べりゃ、可愛いもんだろ! 俺ぁ、犬はけしかけてねぇからな!」
「女にとっちゃ、犬もおめぇも、似たり寄ったりの獣だろうよ!」
男たちの下卑た笑い声を聞きながら、エレナは口許を両手で覆った。気分が悪くなってきた。




