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おまじないの本 ※2026.10.06 投稿時に抜けていた文章をおよそ二千字分、加筆しました。大変失礼いたしました。

 

 エレナの一言で、店主の表情が強張った。


「その話が本当なら、その本は『魔術品』ってことになるぞ」


「ええ。本物だったら、領主様にお届けしなくちゃいけないわね。魔術品を私蔵することは、法で固く禁じられているもの」


「法が許したとしても、神がお許しにならない。魔術品とは、言うなれば、魔術師の遺体のようなものだ。悪魔と契約を結んだ、邪悪な背信者どもの遺体だぞ。そんな恐ろしい代物は、一刻も早く手放すべきだ」


 店主が目の色を変えるのも無理からぬこと。『魔術品』とは、魔術師の残滓である。忌まわしく、悍ましく、危ういものだ。


 魔術師とは、悪魔と交わりし背信者の総称であり、多くの場合、魂と引き換えに悪魔の術、即ち魔術を会得した異能者を指す。


 かつて、魔術師たちは魔術の行使によって悪逆の限りを尽くし、大陸全土を恐怖に陥れていた。


 乱れた世を憂いた西の国のベイマン一世は、悪の下僕を根絶やしにせよとの神託を受け、魔術師狩りの勅命を出した。魔術師狩りはやがて大陸全土に波及し、悪は駆逐された。ベイマン一世は大陸王国建国の祖となった。また、神罰の代行者として聖人に名を連ね、今も祀られている。


 教会によると、そうらしい。


 しかし、それを鵜呑みにするべきではないと、エレナは考えている。


 エレナは目を伏せ、グラスを揺らす。琥珀色の水面が揺れ、氷がカランと涼やかな音を立てる。

 店主はエレナに呼びかける。エレナは俯いていた顔を上げた。店主の仏頂面に微笑みかける。


「おじさんは相変わらず、敬虔な信徒ね」


「当たり前だ。お前も、たまには礼拝に顔を出したらどうだ」


「ええ、都合がついたら」


「都合をつけるんだよ。……だが、どうしても無理だって言うなら、その怪しい本、俺が預かってもいい。お前のかわりに、教会に持って行ってやる。困ったときは神様に委ねるんだ。そうすれば、間違いない」


 間違いない。果たして、そうだろうか。神様が決して間違わないのなら。この世界で起こる悲劇も不条理も、全てなるべくしてなった、正しいことになる。果たして、そうなのだろうか。


 エレナは好奇心旺盛なこどもだった。知らないことを知るのが好きだった。歴史書を読み漁り、歴史を学ぶことも。


 ベイマン一世は、元々、西の小国の王に過ぎなかった。

 魔術師狩りを主導したことで、魔術師を異端視する人々に支持されるようになった。

 神罰の代行者として、生きながら信仰の対象となった。

 政治、宗教の両面で唯一無二の存在となり、皆に望まれ、大陸全土を統治するに至った。

 こうして、ベイマン一世は大陸王国の礎を成した。


 ベイマン一世は若かりし頃から、大陸に覇を唱えんとする大志を抱いていた。


 これらの断片を繋ぎ合わせれば、ベイマン一世は大陸統一という大願成就のため、魔術師の存在を利用したという見方もできるようになる。


 エレナは、教会を嘘つき呼ばわりしたいわけではない。歴史書が全て正しいとは限らない。

 しかし、それを言うなら、教会の語る歴史が全て正しいとも限らないのだ。


 多くの人がそうであるように、エレナは神を信じている。けれど、神の存在を信じることと、神の全能を信じることは、同じことではなくて。


 つまるところ、エレナはあまり信心深い方ではないのだろう。


 取り繕う術を知らない子どもの頃は、心に募るそのままを口や態度に出してしまい、周囲を困惑させることが多かった。


 店主は「お前という子はどうしてそう、捻くれたことばかり言うんだ」と嘆き、母は「いけないわ、エレナ。神様が悲しんでしまわれるでしょう」とエレナを窘めた。二人とも、頭でっかちのエレナには手を焼いていたと思う。


 しかし、父は動じなかった。「何をどう考えるかは、お前の自由だ。ただし、己の思想を他人に開示するなら、相応の責任が伴うと肝に銘じておけ」という教えをエレナに授けた。


 父の教えは、当時のエレナには難解だった。頭のなかでこねくり回しても答えが出ず、エレナは恥を忍んで、姉に尋ねた。姉は本を読みながら「ご本をたくさん読めば、わかるようになるんじゃない?」と答えた。


 期待していた答えを得られなかったエレナは癇癪を起こし「ご本、ご本、ご本! お姉ちゃんは、いっつも、ご本のことばっかり! そんなんだから、本の虫だってからかわれるのよ!」と叫び、地団駄を踏んだ。姉は「いいのよ。本当のことだもの」と涼しい顔で受け流していた。


 そんなこともあったわね、とエレナは心のなかでひとりごつ。あれは確か、エレナが五歳か六歳か、それくらいの頃だった。


 二十二歳になった今なら、父の教えの意味がわかる。人はそれぞれ、異なる思想、信念をもつ。それは何より、尊重しなければならない。

 だからこそ、親しい仲であろうと、時には、慎重に接する必要がある。そう自戒している。


 エレナは店主の心遣いに感謝を述べてから、「でも」と言った。


「これが本物の魔術品だとは限らない。うちのお店にこの本を持ち込んだ旅の方は、こう仰っていたの。『旅の途中、荷車の車輪が泥濘に嵌まり、困り果てたご老人がおりましてね。抜け出す手助けをして差し上げたところ、お礼だと言って、この本を譲ってくださったのです。私は読書が好きなので、ありがたく受け取ったのですが……私の趣味には合いませんでした。と言うのも、この本、判読できる文字は、中表紙の次の頁にある、おかしなおまじないのやり方だけ。その後の頁は、よくわからない図形や記号に埋め尽くされているのです。なんだか、気味が悪くなってしまいました。だって、これじゃまるで、魔術品みたいじゃないですか。いや、まさか、本物の魔術品ではないでしょう。試して確かめたわけではありませんが、ふつうに考えて、あり得ない。これはよくある、おまじないの本ですよ。子どもだましのね。まともな読み物ではありませんから、お金は結構です。ただ、引き取っていただければ。頂き物を捨てるのは、さすがに忍びないので』って。そして、この本は譲ってくださったのよ」


 エレナは旅人の言葉を諳んじてみせる。記憶力は良い方だ。一言一句、間違いない。


 エレナが自慢の記憶力を、折に触れて披露したがるのはいつものことなので、店主はそれについては言及しない。ただ、旅人に対する不信を募らせていた。


「……悪趣味な本を売り付けるだけじゃ飽き足らず、魔術品紛いの品まで、お前に押し付けやがったのか。その野郎、とんでもない、ろくでなしだな」


「そう言わないで。感じの良い方だったわ」


「詐欺師は往々にしてそういうものだ」


「また、そんなこと言って」


 エレナは苦笑しつつ、酒をなめるようにして一口含む。舌で転がして、じっくり味わい、喉に流し込んだ。


「もし、あの方がこれを、本物の魔術品だと認識していらしたなら、あんなふうに、他の本と十把一絡げにして無造作に扱うなんてこと、なさらないし、出来ないと思うわよ?」


 エレナは箔押しされた革表紙をそっと撫でた。


 ベイマン一世が主導した魔術師狩りは熾烈を極めた。命からがら海へ逃れた少数を除き、大多数の魔術師は命を落とした。そして、魔術品の数々がこの地に遺された。


 魔術品とは、死した魔術師が変ずるものだ。生前の魔術師が修得した魔術を内に秘めている。


 魔術品が忌々しく、悍ましく、危ういとされる理由がそれだ。魔術品を介すれば、誰もが魔術を行使できてしまう。老いも若きも、男も女も、誰もが皆。


 さらに、魔術を行使するには、代償を払い制約を負わねばならない。その代償は魔術の性質によって様々だそうだが、火遊びのつもりで手を出そうものなら、火傷では済むまい。それで破滅した人間は少なからず存在するそうだ。


 現存する魔術品の大半は大陸王国王家が所有し、封印しているとされるが、一部は未だ、大陸各地に散らばっているという。

 大陸王国が魔術品の私蔵を固く禁じる一方、好事家や荒事師は魔術を求め、魔術品を奪い合う。


 一介の旅人が、魔術品を所有しながら旅をするなど、危険極まりない。


 旅人は山の麓の村で本を手に入れた。山を越えた先にあるこの港町を訪れた。古本屋に本を持ち込み、引き取って欲しいと頭を下げた。


 魔術品を恐れるなら、非礼だろうが無礼だろうが、即座に本を手放すはずだし、金が欲しいなら、好事家のもとへ持ち込み高値で売りつけたはずだ。


 旅人のとった選択は、そのどちらでもない。だから、旅人はこの本を、魔術品だと認識していなかったのだと、エレナは考える。


 残り少なくなった酒を見つめながら、エレナは頬杖をついて、言った。


「試してみないことには、本物か偽物か、分かりそうにないわね」


「……まさか、本気で試すつもりじゃないよな?」


「それも、面白そう」


「おい、エレナ」


 店主に鋭く咎められ、エレナは反射的に背筋を伸ばした。この声、この表情。本気のお説教が始まる前触れである。エレナは慌てて言った。


「冗談よ。そもそも、試す相手がいないわ。覚めない眠りに就いた人が夢を見ているとしたら、試してみたいけれど」


「……エレナ」


 エレナは額をおさえた。うまく言い繕おうとして、口が滑り、墓穴を掘った。今年こそ、泣き言を漏らして店主を困らせるようなことはしないつもりだったのに。


 こんなことでは、また、気を遣わせてしまう。覚めない眠りに就いた人の夢を覗き見たいなんて言ってしまったら、誤魔化しようがない。店主は察してしまっただろう。


 エレナはまだ、最愛の姉の死から立ち直れていないと。


 案の定、店主は沈痛な面持ちをしている。このまま黙っていれば「やっぱり今夜はうちに泊まっていけ」と言い出しそうだ。この娘を一人ぼっちの家に帰らせてなるものかと考えて。五年前から、そうしてくれたように。


 でも、その優しさにいつまでも甘えてはいけないのだ。もう、五年、経ったのだから。


 エレナは本に覆いを丁寧に付け直しながら、笑ってみせた。


「……なんてね。これはただの、おまじないの本よ。魔術品が、田舎町の古書店に持ち込まれるはずがないもの。でも、そうね。一度、役場に持ち込んで、専門家に確かめて頂くわ。万が一があったら困るし。そうすれば、安心でしょう?」


 すると店主は何も言わずに奥へ引っ込む。エレナが本を鞄にしまってから、暫くして、チーズと干し葡萄をパンで挟んだ軽食を、皿にのせて運んできた。


「どうせ、夕食はまだなんだろう。食え。お代はいらん」


 エレナは鼻先に突き出された好物を受け取る。


「……ありがとう、おじさん」


「礼もいらん。あり合わせで拵えただけだ」


 ぶっきらぼうに言って、店主はぴかぴかのグラスをさらに磨き始める。


「そんなにごしごし磨いたら、硝子がすり減ってしまうわよ」


とエレナは笑った。


 そのとき。


 酒場の扉が乱暴に開かれた。


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