Case11:毒入りクッキー(3)
降霊はそこで終わった。
エドワードに問う。
「フィオナさんは、何か罪に問われますか?」
「レイラさんの話していた『体質に合わずに起きる反応』については確認しなければなりませんが、コンクがロレーナさんを死に至らしめたと言っても、コンク自体に毒性がなく、コンクで誰かが死ぬなど予測できなかったとなれば、過失にも当たらないと思います。一応、持ち帰って確認は取りますが」
ごめんなさい、ごめんなさいと泣き続けるフィオナに、リックも何と声をかけていいか悩んでいるようだった。
リックと他の令嬢たちを見送った後、私はフィオナにだけ、もう少し残ってもらうことにした。
「今後のコンクの取り扱いについて、ご説明したいことがありますので」
もっともらしい理由をつけて、エドワードも帰らせる。
リビングのソファーでフィオナと対面する。テオは部屋の隅で、静かに控えていた。その気配は、まるで空気の一部であるかのように目立たない。だが、いざという時にはすぐ動けるよう、常に神経を張り巡らせているのがわかる。
フィオナは、まだ涙の跡が残る顔で、椅子に浅く腰掛けていた。両手を膝の上できつく組み合わせ、視線は落ち着きなく彷徨っている。
「あなたは、知っていましたよね」
私は、静かにそう切り出した。
「え……?」
「ロレーナさんが以前、コンクを食べて発疹が出たことを。半年前のお茶会で、あなた自身がそれを見ていたはずです」
フィオナの肩が、びくりと震えた。
「お茶会のクッキーに、わざわざコンクを混ぜたのは、しかも粉末にして見た目ではそれとわからないようにしたのは、偶然ではありませんよね」
しばらくの沈黙の後、フィオナは、堰を切ったように泣き出した。嗚咽混じりの息が、部屋の中に静かに響く。
「……はい……知っていました……。でも!違うんです!こんなことになるなんて!」
その告白に、テオがわずかに眉をひそめるのが視界の端に見えた。
「なぜそんなことを?少なくとも、ロレーナさんに発疹が出るかもしれないことは認識していたでしょう?」
できるだけ穏やかな口調で聞く。
「私と、ロレーナは……同じ方を、好きになったんです」
フィオナは、しゃくり上げながら語り始めた。
「ずっと前から、私、その方のことが好きで。でも、ロレーナとの婚約の話が進んでいると聞いて……悔しくて、悲しくて」
彼女の声は、後悔と恐怖でぐちゃぐちゃに歪んでいた。
「本当に、ほんの、ちょっとした嫌がらせのつもりだったんです。以前、コンクを食べたロレーナの顔に発疹が出ていたのを覚えていたから、粉にして、生地に練り込んで……。少し体調を崩すくらいだろうって。次の日のデートがダメになっちゃえばいいって。それくらいにしか、思っていなくて」
「死なせるつもりは、なかった、と」
「はい……!本当に、そんなつもりは……!本当なんです!」
フィオナは、両手で顔を覆った。指の隙間から、涙が絶え間なく零れ落ちる。
「まさか、あんなことになるなんて……お茶会の前の晩も、ちゃんと眠れて……何も、悪いことをしているなんて、思っていなかったんです。少し困らせてやりたい、それだけのつもりだったのに」
「あなたにとっては、ちょっとした意地悪のつもりだったんでしょうね」
私の声に、フィオナが顔を上げた。
「でも、ロレーナさんにとっては、それが命取りになった。その差が、どれほど大きいか、あなたにわかりますか」
フィオナは何も答えられず、ただうなだれるばかりだった。
私は、しばらく彼女を見つめていた。悔恨に押し潰されそうになっている、その姿を。
目の前の彼女に対して、湧き上がってくる感情がある。それが、職業人としてのレイラの言葉なのか、それとも、もっと個人的な何かなのか、自分でもうまく切り分けられずにいた。
「あなたのその『ちょっとした嫌がらせ』は、法で裁けるものではないでしょう。毒を盛ったわけではなく、あくまで、あなたの家で扱っている食材を使っただけ。コンクが彼女にとって毒に等しいものだということも知らなかった。おそらく、あなたを罪に問うことはできませんし、もし罪に問えたとしても、もたらした結果に比べてとても軽微なものになるはずです」
「……はい」
「ですが」
私は、いつになく強い口調で、フィオナに向き直った。自分でも、少し驚くほどの強さだった。
「あなたのその、ほんの少しの悪意が、ロレーナさんを死に至らしめました。彼女の人生を奪い、彼女の家族から、娘を、妹を奪いました。それがどういうことか、あなたはわかっていますか?」
「……っ」
「法で裁かれないからといって、あなたの罪が消えるわけではありません」
言葉を切り、彼女を見据える。
「あなたの悪意が人を殺した」
自分の声なのに、驚くほど冷ややかに感じた。
フィオナの顔から血の気が失せて白くなり、呆然とこちらを見る。
「そのことを忘れないでください。その罪を、一生抱えて生きていくこと。それが、あなたに課せられた罰です」
フィオナは、何も言えずに、ただ肩を震わせて泣き続けていた。
「今日のことは、誰かに話すつもりはありません。ロレーナさんのご家族にも、伝えるつもりはありません。言っても彼女が帰ってくることはありませんし、あなたはたいした罪にはならないでしょう。真実を告げることで、ご家族はまた苦しみに囚われるかもしれない。今回のことは、真実を告げたとしてもご家族に救いはないと思うんです」
一度そこで言葉を切り、フィオナに厳しい目を向ける。
「ですが、それはあなたを許すという意味ではないと、覚えておいてください」
フィオナは、震える声で「はい」とだけ答え、逃げるように部屋を後にした。その後ろ姿が扉の向こうに消えるまで、私はじっと見つめ続けていた。
◆
フィオナの足音が完全に遠ざかると、部屋には、私とテオだけが残された。窓の外は、いつの間にか茜色に染まりはじめていた。
「レイラ様」
テオが、静かに声をかけてくる。
「珍しいですね。あそこまで厳しい言葉をかけられるのは」
「……そうね」
自分でも、少し驚いていた。いつもなら、もう少し違う言葉を選んだかもしれない。生者の心の弱さや、悪意の連鎖の哀しさに、もっと寄り添う言い方ができたはずだ。
フィオナだって、決して根っからの悪人というわけではない。ただ、若さゆえの嫉妬と、一瞬の判断の甘さが、取り返しのつかない結果を招いてしまっただけなのだろう。
いつもの私なら、そういう人間の弱さも含めて、もう少し柔らかく受け止めていたはずだった。
「でも、今日はできなかった」
私は、テオの淹れてくれた紅茶に口をつけた。すっかり冷めていたけれど、それがかえって、頭を冷やすのにちょうどよかった。
「フィオナさんの気持ちが、わからないわけじゃないの。嫉妬とか、劣等感とか、そういう感情は、誰にでもあるものだから」
私は、窓の外に視線を移した。夕暮れの光が、王都の街並みを橙色に染めている。いつもと変わらない、穏やかな光景のはずなのに、今日はどこか歪んで見えた。
「でも、その『ちょっとした悪意』のせいで、人が一人死んだのよ。ロレーナさんは、もう戻ってこない」
自分の声が、思いのほか硬いことに気づく。テオは、何も言わずに、ただ私の言葉を聞いていた。片付けの手を止め、こちらに視線を向けている。
「些細な悪意なんて、この世にはないのかもしれない。どんなに小さな悪意でも、それが誰かの人生を、簡単に壊してしまうことがある」
そう呟いた瞬間、胸の奥が、ちくりと痛んだ。
その痛みは、これまでにも何度か感じたことのあるものだった。まるで、古い傷跡が疼くような感覚。
だが、その痛みの理由を、今はまだ、言葉にすることができない。
「レイラ様?」
テオが、心配そうに私の顔を覗き込む。その眼差しには、単なる主従としての気遣い以上の何かが滲んでいるようにも感じられた。
「……なんでもないわ」
私は、小さく首を振った。無理に笑顔を作ろうとして、うまくいかなかった気がする。
「少し、疲れただけ」
「今日は、もうお休みになった方がいいかもしれません。帰るなら送って行きますよ」
「……そうね、お願い」
窓の外では、夕暮れの光が、ゆっくりと闇に溶けていこうとしていた。橙色から紫色へ、そして深い藍色へ。その移ろいを見つめながら、私は自分の胸の奥にある、まだ言葉にならない何かを、そっと押し留めていた。
いつか、この痛みの正体と向き合わなければならない日が来るのだろう。
でも、それは今日ではない。
そんな思いを抱えたまま、私はゆっくりと、冷めた紅茶を飲み干した。




