Case11:毒入りクッキー(2)
降霊の日、リックの強い要望でお茶会にいた令嬢たちにも立ち会ってもらうことになった。
現場にいた令嬢たちに聞きたいことができるかもしれないし、もしロレーナが犯人を指し示すことがあれば、その場で確認できるようにするためだ。リックとしては後者を想定しているのかもしれない。
降霊用の部屋に、依頼人と令嬢たち五名が集まった。それぞれ緊張した面持ちで、椅子に浅く腰掛けている。
問題のお茶会を開いた令嬢――フィオナ・ラングレーも、その中にいた。
「依代はお持ちですか」
「これを」
リックが差し出したのは、丁寧に手入れされた刺繍道具の箱だった。針や糸が整然と並び、小さな刺繍枠には、途中まで刺された花の模様が残されている。淡いピンクの薔薇の刺繍で、細部までとても丁寧に刺されているのがわかった。
「妹が生前、大切にしていたものです。刺繍が趣味で、いつも何か作っていました。……この薔薇、婚約者の方への贈り物にするつもりだったそうです」
その言葉に、胸の奥が小さく痛んだ。完成することのなかった刺繍が、今はただ静かに、持ち主の不在を物語っている。
「わかりました。それでは、始めましょう」
フィオナだけが、他の令嬢たちよりもいくらか顔色が悪いように見えた。俯きがちで、時折ハンカチを握りしめる手が微かに震えている。
部屋の空気は、いつもよりも張り詰めていた。
事件の捜査協力での降霊はたまにあるが、家族以外の複数の関係者が居合わせることは珍しい。互いに探り合うような、居心地の悪い沈黙が漂っていた。
刺繍道具を手に取り、目を閉じる。針の先の冷たさが、指先に伝わってくる。しばらくして、若い女性の姿が現れた。栗色の髪を綺麗に結い上げ、落ち着いた表情をしている。取り乱した様子は、まるでない。むしろ、その静けさがどこか不気味なほどだった。
「いらっしゃいました」
私がそう告げると、ロレーナはゆっくりと部屋の中を見回した。兄の姿を認めると、その表情がわずかに和らいだ。
『兄様、来てくれたのね』
その言葉を伝えると、リックの目に涙が浮かんだ。
「ロレーナ、なぜ、お前が……」
『私にも、よくわからないの』
ロレーナの声には、恨みや苦しみの気配はなく、むしろ淡々としていた。まるで、他人事のように自分の死を語っているようにも聞こえる。
『クッキーを食べた後、喉の奥が詰まるような感じで……息ができなくなって……とても苦しかった。私が覚えているのは、それだけ』
「クッキーの味や匂いなど、おかしなところはありませんでしたか?」
エドワードが聞く。
『クッキーは、とても美味しかった。変な味なんて、しなかったわ。ひとくち食べた後、喉がちくりとして……痒いと感じたわ。喉の内側がむず痒いような。それから、息ができなくなった』
「苦いとか、逆に甘すぎるとか、何か変わったところは?」
『いいえ、なかったわ。だから、私にもわからないの』
私はしばらく考えてから、フィオナの方を向いた。彼女は、私と目が合うと、びくりと肩を震わせた。
「クッキーの材料は、わかりますか?」
「わ、私は……厨房に指示を出しただけで、詳しくは……」
フィオナが言い淀む横から、リックの隣に座っていたエドワードが口を開いた。捜査官として、今日も彼は同席していた。
「こちらで調べた結果ですが」
エドワードが手帳を開く。
「出されていたお菓子の中には、三種類のクッキーがありました。オレンジピールを練り込んだもの、コンクの粉末を練り込んだもの、そしてベリーのジャムを乗せたもの。ロレーナ様が亡くなった時に口にされたのは、コンクの粉末を練り込んだクッキーだと、他の令嬢方の証言から確認しています」
コンク。聞き慣れない単語に、私は首を傾げた。
「コンクとは、何ですか?」
フィオナが、震える声で答える。
「遠い島国で取れる、木の実です。私の家が交易で取り扱っていて……ピーに似た味なのですが、少し苦味があって。でも、その苦味が好きだという方も多くて」
ピーと言うのはナッツの一種だ。名前からピーナッツを想像したのに、見た目も味もピスタチオだった。
『そうね、前に実を食べた時は、口の中がイガイガしたのを覚えているわ』
ロレーナの言葉を、私はそのまま伝える。が、少し引っかかった。
「苦味があるのに、クッキーに?」
疑問を口にする。
「コンクの実は赤いのですが、粉末にしても綺麗な赤い粉になるんです。それを混ぜるとクッキー生地が綺麗なピンク色になるので面白いかなと思って。それに、粉末にしてしまえば苦味はほとんど感じなくなるので……見た目が可愛らしいと、あの日もみんなから言われていました」
フィオナの声には、家業への誇りのようなものが滲んでいた。だがそれも、次第に不安げな響きに変わっていく。
『クッキーにコンクが入っていたとは知らなかったわ。味も、特にコンクを感じたりはしなかった』
「私はコンクを食べたことがないのですが、毒性はないのですよね?」
見たことも食べたこともないだけに、素直な疑問を口にした。
「ありません!毒性があれば、そもそも販売なんてできません。交易元の国でも、普通に食べられているものです」
フィオナが、少し強い口調で言った。家業に関わることだからだろうか、その声には焦りが滲んでいた。周囲の令嬢たちの視線が、一斉に彼女に集まる。
「苦味があって口がイガイガする、というのが少し気になりますが」
「私はそんなふうに感じたことがなくて……」
エドワードも横から付け加える。
「私も何度か食べたことがあるが、ピーよりも味が濃くて美味しかったよ。苦味はそれほど気にならなかったし、口に何かが残るという感じもなかった」
人によって感じ方が違う、ということだろうか。私はさらに問いを重ねた。
「コンクを食べた時、他に何か症状は出ませんでしたか?例えば、口の周りが痒くなるとか、発疹が出るとか」
『ああ、あったわ』
ロレーナが、思い出したように言う。
『コンクを食べた後、しばらくして顔に赤い発疹が出たことがあったの。でも、他にもお菓子を食べていたし、コンクが原因かどうかは、私にもわからなかったけれど』
「それは、いつ頃のことでしょうか」
『半年ほど前かしら。フィオナのお茶会で、初めてコンクのお菓子をいただいた時のことよ』
ちらりとフィオナの方を見る。彼女の顔から、みるみる血の気が引いていくのがわかった。唇が微かに震え、何か言おうとして、言葉にならないまま口を閉じる。
◆
――発疹。喉のイガイガ。そして呼吸困難。
前世の記憶の中に、この症状の組み合わせに心当たりがあった。アレルギー反応、そしてアナフィラキシー。だが、この世界にそんな概念は存在しない。どう説明したものかと、しばらく考える。
部屋の中は静まり返り、皆が私の言葉を待っていた。リックの縋るような視線、フィオナの怯えた表情、そしてロレーナの静かな眼差し。それらすべてを一身に受けながら、私は言葉を選んだ。
「実は、以前に降霊した、ある古の大賢者様から伺った話があります」
もちろん、そんな人物は存在しない。前世の知識をそのまま語るわけにはいかないので、いつもこうして誤魔化している。多少の後ろめたさはあるものの、この嘘だけは必要悪だと割り切ることにしていた。
「世の中には、多くの人にとっては何でもない食べ物が、ある特定の人にとっては、毒のように作用してしまうことがあるそうです」
「毒のように、ですか?」
リックが眉を寄せる。
「はい。喉のイガイガや、発疹、そして呼吸が苦しくなるといった症状は、コンクという食べ物が、ロレーナ様の体質に合わなかったために起きた反応である可能性が高いと思われます」
「では、コンクに毒が?」
「いいえ、コンク自体が悪いわけではありません。大賢者様曰く、人によっては小麦粉やミルクでさえ、そのような反応を引き起こすことがあるそうです。これは、コンクという食べ物そのものの善し悪しの問題ではないのです」
部屋の中が、静まり返る。フィオナが、縋るように顔を上げた。
「では、コンク自体には問題はない、と……」
「食べ物そのものに罪はありません」
そう断言する。
『前は喉のイガイガと発疹だけだったのに……』
そう呟いたロレーナに更に説明を加える。
「これも大賢者様から伺った話ですが……食べ物に対する体の反応は、一度目が軽かったからといって、次も必ず軽いとは限らないそうです。前は軽い症状だったのに、次に口にした時には、突然、命に関わるほど重い反応を起こすこともあるのだとか」
『そういうことだったのね』
ロレーナが、静かに呟いた。その声には、驚きよりも、むしろ納得したような響きがあった。
リックは、しばらく呆然とした様子で私の顔を見ていたが、やがて深く息を吐いた。長く止めていた息を、ようやく吐き出したかのようだった。
「そう、だったのですね……妹は、誰かに殺されたわけではないと」
「コンクが死の原因ですが、ロレーナさんにとってコンクが毒に等しいと知っていた人はいないでしょうから」
その言葉に、フィオナが崩れ落ちるように床に膝をついた。ドレスの裾が、乱れて床に広がる。
「ごめんなさい……許してください……私のせいで……」
声を震わせて謝るフィオナに、ロレーナの霊が静かに言った。
『私も、コンクでそんなことになるなんて、思ってもみなかったわ。口のイガイガとか発疹とか、それがコンクのせいだったんだとしても、それで死ぬなんて、誰も思わないでしょう』
その言葉を伝えると、フィオナは声を上げて泣き崩れた。周囲の令嬢たちは、驚いたようにその様子を見守るばかりで、誰も声をかけられずにいた。
「正直……まだ割り切れないところはありますし、どうしてロレーナがという気持ちもあります。でもロレーナがどうして死んだのかがわかったことで、何とか前を向いて行けそうな気がします」
泣き続けるフィオナを横目に、リックは複雑な心中を隠さずに語った。
ロレーナも自分の死因がようやくわかったことに、どこか安堵しているようだった。
『兄様、私は大丈夫だから。もう、悲しまないで。私はこれから、神の国に行くわ』
穏やかにロレーナが話す。最初にここに現れた時とは違い、表情は晴れやかだった。
「ロレーナ……待ってくれ、まだ、ここにいてくれ」
『大丈夫よ、兄様。私は、幸せだったから。短い間だったけど、たくさんの人に囲まれて、幸せだったから』
その言葉を伝えながら、私の声も、わずかに震えた。
「ごめんなさい、ごめんなさい」
まだ泣き続けるフィオナに、ロレーナは優しく言葉をかけた。
『もういいのよ、フィオナ』
その一言を最後に、ロレーナの姿は、静かに薄れて消えていった。




