幕間 エドワード・マクスウェルの日常〜受付の日
「マクスウェル様、これ……もしお怪我をされた時にお使いください」
差し出されたのは、包帯だった。使いかけの、ではない。新品の、しかも高級そうな織りの細かい包帯だ。
「包帯は間に合ってます」
「でも、いつ怪我をなさるかわかりませんから、お守り代わりに」
にっこりと微笑んで去っていく令嬢を見送りながら机に戻り、包帯を積み上げた。今週だけで四つ目だ。捜査官が怪我をする確率をそんなに心配してくれるなら、頑丈な鎧でも贈ってほしいものだと思う。
「モテる男は大変だな」
向かいの席から、ヘンリーが書類をめくりながら他人事のように言った。
「羨ましい。俺の顔じゃ、誰も差し入れなんて持ってこない」
「私はヘンリーが羨ましいよ」
本音だった。
捜査官は持ち回りで受付に座る。だいたい月に一度程度だが、日にちは決まっていない。
なのに受付には今日も、様々な理由をつけた女性たちがやってくる。今日、私が受付に座るという情報がどこか知らないところで伝わっているのだろうか。
自分が受付に座る時は、来客数が普段の二倍になるそうだ。
「先日の落し物が見つかりましたので、お礼を」
「お忙しいところ申し訳ないのですが、少しだけお時間を」
「これ、母が作った焼き菓子で……」
理由はいくらでも湧いて出るらしい。その全てに、営業用の笑顔で応対する。丁寧に、しかし決して深入りしないように。この距離感を保つのも、もはや特技のひとつだ。
五人目の来客(クッキーを差し入れに来た)を見送った頃、扉が開いて見慣れた顔が入ってきた。
「失礼します。公爵家からの言伝で参りました」
公爵家の使用人――私の従僕のサイラスだった。今日は書類仕事の届け物のようで、封筒を片手に持っている。
「エドワード様、今日もすごい人気ですね」
受付のテーブルの上に置かれた差し入れの山を見て、サイラスが感心とも呆れともつかない顔をした。
いちいち自席に戻るのも面倒で、受付のテーブルの隅に菓子の箱を積み上げていたが、とても邪魔だ。
「これは人気とは言わない。ただの、肩書き目当ての品評会だ」
つい本音が漏れる。サイラスには変に取り繕う必要がないのが、逆に楽だった。
「そんなものですか?」
「そんなものだ。エドワードという人間が見られているんじゃない。マクスウェル公爵家の次男で、それなりに顔がいい、という記号が見られているだけだ」
自分で言っていて、少し情けなくなる。贅沢な悩みだとわかってはいるのだが。
「じゃあ、エドワード様のことを一人の人間として、ちゃんと見てくれる人はいないんですか?」
悪気なく、彼がそう聞いてきた。素朴すぎる質問に、思わず答えに詰まる。
すぐに脳裏に浮かんだのは、ヘンリー。
だがサイラスの求める答えは異性だろう。
自分のことを家柄でも肩書きでもなく、一人の人間として見てくれる人――黒いフェイスベールを付けた妖艶な女性が頭に浮かんだ。
「……いる。ただ、その人は誰のことも、肩書きでは見ない人だから」
「へえ」
サイラスが興味深そうに目を輝かせる。この様子だと、根掘り葉掘り聞かれそうだ。
「……その話は終わりだ」
「ケチですね」
不満げに口を尖らせつつも、彼は追及をやめてくれた。察しがいいのか、単に興味が別に移っただけなのか。
「この差し入れ、公爵家に持ち帰りましょうか?というか、食べていいですか?」
「持って帰ってくれ。食べてくれていい。むしろ助かる」
サイラスは嬉しそうに菓子の箱を鞄に詰め込み、笑顔で持ち帰った。その屈託のなさに、少しだけ肩の力が抜ける。
入れ替わるように、受付の前に令嬢が立つ。「マクスウェル様、ごきげんよう」――今度は何だろうか。こっそりため息をついた。
受付業務が終わり、ぐったりと机に突っ伏す。
「おう。お疲れさん」
書類仕事の手を止めず、ヘンリーが言う。
「疲れた。ヘンリー、今日は暇か?」
「飯でも食いに行くか?」
「ヘンリーの家がいい」
ヘンリーの家はいつ行ってもホッとする。安らぎの家だ。今日は安らぎが欲しい。
「アイリスは二人分しか飯作ってないから、家に来るなら何か買って帰らないと」
「買う買う。……あー、失敗した」
額をぺちりと叩く。
「差し入れ全部持ち帰らせてしまったな。手土産に残しておけば良かった」
「手土産を使い回すなよ」
ヘンリーが笑う。
「アイリスちゃんへのお土産は何がいい?」
「何でも喜ぶ。野菜だって『食費が浮く』って喜ぶよ」
「手土産に野菜はおかしいだろ」
ヘンリーとあれこれ話しながら、机の上を片付ける。包帯は積み上げられたままだ。
今日は一日、受付に座っていただけで肉体的には全然疲れていないのに、精神的な疲労が肩や腰にどっと押し寄せる。ヘンリーと中身のない話をしていると少しだけ、症状が軽くなるような気もする。
こんな日は、あまりレイラさんに会いたいとは思わない。いつもは一目だけでも見れたら、と思うのに。
レイラさんに会えば緊張するのがわかっているからだ。
今日は緊張ではなく弛緩が欲しい。
ヘンリーと、ヘンリーの妹の織り成す癒しの空間に身を委ねたい。
そういえばヘンリーの妹も、私のことを顔や家柄ではなく、兄の友人のエドワードとして接してくれる人だったな。居心地の良さは、それもあるのだろう。
「まだ終わらないのか?」
ヘンリーに声をかける。
ヘンリーは苦笑しながら書類のファイルを閉じ、机上を片付け始めた。




