Case9:貴族学院七不思議(1)
「七不思議ねぇ……」
私は貴族学院玄関ホールに貼られた壁新聞を見ていた。
娯楽の少ないこの世界では、学校での出来事や噂をまとめた壁新聞も学生たちには大人気のコンテンツとなっている。
今も貼り出されたばかりの壁新聞には人だかりができていて、『学院の七不思議に迫る』という大きな見出しのついた記事についてあれこれ話していた。
「先輩の先輩が見たって言ってました」
「私の母の時から噂があるようですわ」
前世でも今世でも伝聞の伝聞で噂は広がっていく。
階段の踊り場にある少女の絵から描かれた少女が出てきたとか、誰もいない音楽室からハノンの演奏が聞こえたとか、夜の教室に制服を着た女子学生が立ってるのが見えたとか、前世では『ありがち』なものばかりだったけど、この世界では目新しいらしく、怖がりつつも楽しんでいるようだ。
壁新聞の前の人だかりから抜け出して教室に向かう。
階段の踊り場にも人だかり。
あぁ、そうか。この絵が七不思議のひとつなんだな。そう思いながら人だかりをすり抜ける。
教室に入ると友人のクララが駆け寄ってきた。
「ねえアイリスさん、聞いた?うちの学院に七不思議があるんだって!」
「壁新聞?それならちらっと見たけど」
「びっくりしたわ!そんなことがこの学院にあるなんて。階段の踊り場の絵から真夜中に少女が出てくるとか、食堂の隅のテーブルに血まみれの男子生徒が座っているとか」
「そうみたいね」
「他にも、成績が上がらないことを苦にして自殺した男子生徒が図書室で勉強しているとか、去年通り魔に刺されて亡くなった女の子が教室に現れるとか」
クララは目を輝かせながら、指折り数えて話を続ける。
「あとは、中庭の噴水の周りを夜な夜な白い服を着た女性がさまよっているとか、旧校舎でかつての教師が今も授業をしているとか。それから、誰もいない音楽室でハノンが独りでに奏でられるっていうのもあるみたい」
「全部覚えたの?」
「ええ!せっかくだから、放課後に順番に見に行ってみない?」」
クララの目は、もう好奇心でいっぱいだった。こういう時のクララは、テコでも動かないくらい頑固になる。付き合わなければ、きっと一人ででも突撃してしまうだろう。
クララは、私の能力を知らない。この学院で、そのことを知っているのは誰もいないはずだ。だからこそ、こういう噂話には、少し複雑な気持ちを抱いてしまう。
「まぁ、いいけど」
そう答えると、クララは満面の笑みを浮かべた。
◆
放課後、私とクララは早速一つ目の噂の場所――階段の踊り場に向かった。
「これがその絵ね」
踊り場に飾られているのは、古びた肖像画だった。若い女性が描かれているが、特に不気味な雰囲気があるわけではない。
「真夜中に少女がここから出てくるって話なんだけど……」
クララが期待した目で絵を見つめる。私はできるだけさりげなく、興味本位を装って絵に近づき、指先で額縁に触れてみた。
だが、何の反応もない。私にははっきりとわかる。ここには、何もない。
「うーん。信じられないかな」
「そう?」
「この絵、ずいぶん古いものみたいだし、本当に霊が出てくるのならもっと前から噂になっていてもいいと思うんだけど……。私はこの七不思議の話が出て来る前にそんなこと聞いたことないんだよね。クララさんは?」
「そう言われてみると、聞いたことないかも」
「古い絵だから、噂もでっち上げやすいし……あまり信憑性はないかも」
「確かに……。やっぱりアイリスさんに一緒に来てもらってよかった」
「こんな感じで七不思議を否定しても?」
「私も全部信じてるわけじゃないよ。面白そうだなってだけで。調べるのが楽しいし、アイリスさんの意見は客観的で、なるほどなって思う」
クララは笑顔でそう答える。その顔には裏がなく、本当にそう思っているようだった。
「じゃあ次!行ってみよう!」
クララに導かれ、私たちは次の場所へと向かった。
二つ目は、食堂の隅で血まみれの男子生徒が座っているという噂だった。食堂には七不思議の噂を聞いたのか、数名のグループが隅のテーブルを遠巻きに眺めていた。
クララは物怖じせずに隅のテーブルの側に寄る。
「このテーブルなんだけど」
クララが指差した席に、私はそっと近づいた。念のため、テーブルの縁に手を触れてみたが、こちらも反応はなかった。椅子の背もたれや、床にまで軽く触れてみたが、同じだった。
「アイリスさん、そんなに真剣に調べてくれるんだ」
「あら、せっかく付き合うって言ったんだもの。中途半端にはできないでしょう」
本当は、確かめずにはいられない性分なのだと言いたいところだが、それを言えば「何を確かめているのか」と聞かれた時に困る。
「血まみれの男子学生って、いつ亡くなった人とか、どうして亡くなったのかとか詳しいこと壁新聞に書いてあった?」
「いいえ。なかったわ」
「だとしたら、これも信憑性がなさそうね」
私たちは次の場所へと足を向けた。
三つ目は、中庭の噴水の周りを、夜な夜な白い服を着た女性がさまよっているという噂だった。日が傾き始めた中庭を歩きながら、噴水の縁に手を触れてみる。冷たい石の感触が伝わるだけで、やはり何の気配もない。
「ここも信憑性がなさそう」
「うーん、残念」
クララは頬を膨らませながらも、次の場所へと私の腕を引いた。
四つ目は、旧校舎の一室に、かつての教師が今も授業をしているという噂だった。今はほとんど使われていない旧校舎は、廊下の板張りが軋み、埃っぽい匂いが漂っている。噂の教室に入り黒板や教壇に触れてみたが、そこにも死者の気配はなかった。
「この教室、随分古そうね」
クララが言う。
「ここも一つ目と同じかな。古いから、噂が作りやすい」
「確かに今までそんな噂、聞いたことないもんね」
クララはそう言って肩を落とした。
「四つ連続でハズレだと、なんだか拍子抜けしちゃうわね」
「あと三つあるから、まだ諦めないでよ」
クララはそう言って、気を取り直したように次の場所へと歩き出した。
◆
五つ目は、成績が上がらないことを苦にして自殺した男子生徒が図書室で勉強しているという噂だった。
「この辺りの席で、よく夜遅くまで一人で勉強してる姿が目撃されるんだって」
クララがそう言いながら指し示した席に、私はそっと手のひらを乗せてみた。木の机の、ひんやりとした感触が伝わってくるだけで、それ以上のものは何も感じられない。
「自殺した男子生徒って本当にいたのかしら」
私が言おうとしたことを、クララに先に言われた。ニヤリとした私に、クララは「私だって学習するのよ」と言って胸を張っていた。
「本当に何もないわね」
図書室を後にしながら、私はそう呟いた。
もし”女子生徒”が図書室に出るということになっていたなら、私はあの『七不思議』を少し信じてしまったかもしれないけど、それはもう確かめることはできない。
「そっか。じゃあ全部作り話ってこと?」
「そうかもしれないわね。噂って、事実に尾ひれがついて、どんどん大袈裟になっていくものだから」
もしかしたら本人たちがもう成仏してしまっているのかもしれない、という本音は、もちろん口には出さない。
それか私が触れた部分には何も思い入れがなかったか。そちらの可能性も否定できない。私は依代なしでは見えないから。
「なるほどねぇ」
クララは少し残念そうな顔をしたが、すぐに気を取り直したように言った。
「あと二つあるのよ! 最後まで付き合ってね」
六つ目は、去年、通り魔に刺されて亡くなった女の子が現れるという教室だった。彼女は私の同級生で、隣のクラスだった。
放課後の教室に足を踏み入れると、机や椅子が整然と並んでいるだけで、特に変わった様子はない。
ここは何にも触れなくてもわかる。彼女はここには出てこない。
「去年の事件って、まだ犯人は捕まっていないのよね」
クララが少し声を潜めて言う。
「そうみたいね」
通り魔事件はヘンリーも捜査に当たっていた。気になって何度か聞いたことがあるけれど、犯人は捕まっていない。
すれ違いざまに服が切られるという犯行が数件あった後、私たちの同級生が刺されて亡くなった。そしてその後ぱったりと犯行がなくなったそうだ。捜査は継続しているものの、進捗はないようだ。
「まだこの世を彷徨っているのかしら」
クララが教室を見渡しながら言う。
幽霊になったかならないかで言えば、なった。偶然降霊してしまったことがあったから。
でもたぶん彼女は神の国に渡っているし、もしそうでなかったとしても学校の、しかも教室になんて出ない。
「この世に残ってたとしても、教室には出ないんじゃないかしら。ここに出る意味ある?」
「そう言われてみればそうよね……」
今までの噂とは違い、同級生が七不思議のひとつとなっていることにモヤモヤとしたものを感じながら教室を出る。
「これで六つとも、全部ハズレね」
クララは少し疲れた様子で肩をすくめた。夕暮れが迫る中、私たちは最後の七つ目——音楽室へと向かった。
◆
「ここが最後ね。誰もいない音楽室で、ハノンが独りでに奏でられるんだって」
音楽室の扉を開けると、そこには古びたハノンが一台、静かに佇んでいた。
ハノンは前世のピアノにそっくりな楽器だ。高価な楽器だけあって、古いものを丁寧にメンテナンスして使っているようだ。
「音は聞こえてこないわね」
「私たちがここにいるからかな」
私は、これまでと同じように何気ないふりをして、鍵盤にそっと触れてみる。冷たい鍵盤の感触。だが、それだけではない。指先から、これまでの六箇所とは明らかに違う、確かな気配が伝わってきた。
通り魔事件と亡くなった女子学生の話を盛り込んだら、ちょっと長くなってしまいました




