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幕間 テオドールの日常〜護衛の休日

「明日は休みか……。テオって休みの日は何してるの?」


 ある平日のことだった。

 学校帰りのレイラ様が書き物机で宿題をしている時、お茶を出した俺を見てそう言った。


「休日……」


 そう思い悩む俺にレイラ様は慌てて言った。

 

「ちょっと待って、テオ。あなた休みの日ある?」

「依頼がない日は休んでますので」

「休んでるって、この部屋で待機してるよね?休日じゃないじゃない」


 そう言われても、休日というのがよくわからない。

 曖昧に笑う俺を見たレイラ様は少し呆れた顔をしていた。

 

「明日は占いの方に行くから、テオは休みを取っていいわよ」

「いえ、別に休みなど……」

「たまには休みなさい。ちゃんと休むのよ!何してたか聞くからね!」


 そう言われて、少し戸惑った。休みを取れと言われても、何をしていいのかわからない。



 薄暗いうちに、目が覚めた。


 体に染み付いた習慣というのは、そう簡単には抜けないものらしい。影としての生活を送っていた頃、朝は誰よりも早く起き、体を仕上げておくのが当たり前だった。

 今日は休みだと頭ではわかっていても、体は勝手に布団を撥ね除け、着替えを始めている。


「……今日は、休みだったな」


 誰もいない部屋で、そう呟いた。呟いてから、少し可笑しくなる。何をしていいのかわからない自分に、苦笑いが漏れた。


 結局、体を動かさずにはいられず、外に出る。

 影だった頃は公爵家の敷地内に使用人の住居があり、そこに住んでいたがレイラ様の護衛に配置転換された後、実家に戻って暮らしている。

 実家の周囲を走り、庭で軽く型稽古をこなす。休んでいるはずなのに、体が"休む"ということを知らない。そのことに気づいて、また苦笑いが漏れた。


 型を終えた後、しばらく塀の外を眺めた。朝日が昇り始め、通りに人影が増えていく。誰もが自分の予定を持って歩いている中、自分だけが何をすればいいのかわからず立ち尽くしている。それが、少し滑稽に思えた。


 これまで、命令や任務のない時間というものを、まともに過ごしたことがなかったのだと、改めて気づかされる。護衛としての仕事も、ある意味では任務の延長のようなものだ。完全に何も予定のない一日というのは、思えば人生で初めてかもしれない。


「……とりあえず、街に出るか」


 誰に言うでもなく呟き、家に入る。



 朝食を済ませ、なんとなく街に出た。

 目的地は特に決めていない。ただ歩く、というだけの行為が、こんなにも落ち着かないものだとは知らなかった。


 しばらく歩いていると、甘い匂いが漂ってくる屋台が目に入った。焼き菓子を売っているらしい。特に食べたいと思っていたわけではないのに、気づけば足が止まっていた。


「一つ、もらえるか」


 店主から受け取った焼き菓子を、道端でひと口かじる。


 甘い。


 思っていたよりもずっと、口の中に広がる甘さが心地よかった。

 思えば、影としての生活の中で、甘いものをゆっくり味わうような時間はなかった。任務の合間に糖分を補給することはあっても、それは味わうというより、体を動かすための燃料でしかなかった。


 自分がこんなに、甘いものを食べて心が動くとは知らなかった。

 すぐに食べ終え、迷って、結局二つ目も買ってしまう。



 古書店の前を通りかかった時も、同じように足が止まった。

 興味を引かれる背表紙があったわけではない。ただ、店先に積まれた本の匂いが、なんとなく懐かしく感じられた。


 中に入り、店主に断って棚を眺める。植物図鑑、古い地図、詩集。どれも仕事には全く関係のない本だ。関係のないものをただ眺めるという時間は、今までなかったように思う。


 影としての教育では、諸国の言語や一般教養も叩き込まれた。だがそれは、任務のための知識であって、興味の赴くままに何かを学ぶという経験ではなかった。

 目の前に並ぶ本を、ただ「面白そうだから」という理由だけで手に取っていいのだと気づくのに、少し時間がかかった。


 試しに一冊、詩集を手に取ってみる。パラパラとめくってみたが、内容はほとんど頭に入ってこなかった。それでも、意味もなく本を眺めているというこの時間自体が、悪くないと思えた。


 結局、何も買わずに店を出た。それでも、しばらく本の匂いの余韻が鼻に残っていた。



 通りを歩いていると、リボン専門の小さな店が目についた。

 覗いてみると、色とりどりのリボンが並んでいる。降霊術の仕事場で、レイラ様がよく使っている黒いベールを思い出した。


 ふと、これに似た色合いのレースのリボンが目に留まる。


「これを一つ」


 気づけば、そう口にしていた。


 店員が「贈り物ですか?」と尋ねてくる。とっさに答えに詰まった。


「……いえ、その」

「よろしければ、包装いたしましょうか」


 結局、頷いてしまう。誰への贈り物とも言えないまま、包装だけは丁寧にしてもらった。


 包んでもらいながら、我に返る。何のために買ったのか、自分でもよくわからない。休みの日に、仕事関係のことを考えているなんて、休みになっていない。


 そう思いながらも、リボンの包みをそっと懐にしまう手つきは、存外に慎重だった。



 気づけば、日はすっかり傾いていた。


 どこか別の場所に行こうか、まだ迷っていたはずなのに、足は自然と、ホテルの方角へと向いていた。


 誰に指示されたわけでもない。休みなのだから、どこへ行っても構わないはずだ。それなのに、結局、いつもの場所に戻ってきてしまう。


「……休日なのに、な」


 ホテルの明かりを遠くに見ながら、思わず笑ってしまった。


 影としての生活では、任務のない時間そのものが存在しなかった。だからだろうか。何もない自由な時間を持て余した結果、結局は自分の"定位置"に戻ってきてしまう。


 中に入るつもりはなかった。ただ、その灯りが見える場所まで来ると、なぜか安心してしまう自分がいる。誰かに命じられたわけでもないのに、自然とここに足が向く。それは、これまでの人生になかった感覚だった。


 それが、少しだけ可笑しくて、同時に、悪くない気もした。



 翌日。


「休みの日は何をしていたの?」


 俺が淹れた紅茶を飲みながら、レイラ様がそう聞いてきた。


「特に何も。街をぶらついていました」

「へえ、楽しかった?」


 そう言われて、懐からリボンの包みを取り出す。


「これを」

「何これ?」

「その、ベールの色に合いそうだったので」


 レイラ様は少し驚いた顔をして、それから包みを開け、リボンをためつすがめつ眺めた。


「へぇ……綺麗なリボンね」


 そう言って、レイラ様は小さく笑った。


「休みの日まで、仕事(わたし)のことを考えてたわけ?」

「たまたま、目についただけです」

「ふうん」


 からかうような視線を向けられ、少しだけ居心地が悪くなる。誤魔化すように視線を逸らすと、レイラ様は満足そうにリボンを髪に当ててみせた。


「今度から、こういうのも自分で選んでみようかしら」

「……そうですね」


 休み方は、まだよくわからない。それでも、こういう休日も、悪くないのかもしれないと、そう思った。

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