Case8:自由という名の毒(1)
「本日はようこそいらっしゃいました。私は降霊術師のレイラです」
いつものように黒いベールで鼻と口元を隠し、来客用のリビングで依頼人と向かい合う。
今日の依頼人は、二十代半ばほどの兄妹だった。兄はグレゴリー、妹はシャーロットと名乗った。子爵家の当主と、その妹だという。
二人とも上等な喪服を纏っているが、その表情には、悲しみだけでなく、隠しきれない怯えのようなものが滲んでいた。
グレゴリーは真面目そうな顔立ちで、姿勢を正して座っているものの、膝の上で組んだ手には力が入りすぎている。
対照的にシャーロットは、時折落ち着きなく視線を彷徨わせ、隣の兄の袖をぎゅっと握りしめていた。二人とも、ここに来るまでによほど思い悩んできたのだろう。
「父の霊を呼び出していただけないでしょうか」
グレゴリーが、硬い声でそう切り出した。
「お父様、ですか」
「はい。三年前に亡くなった父です。ある日、突然胸を抑えて苦しんだかと思うと、あっという間に息を引き取りました。持病があったとは聞いていません。本当に突然の死でした」
二人が着ていた喪服から、最近亡くなった人を呼び出すのかと思っていたが違うらしい。
だが、三年も喪に服しているというわけではないだろう。何か深い事情がありそうだ。
「三年前に亡くなったお父様を呼び出すということですか。何か呼び出して聞かなければならないことでも?」
「……その、父の呪いではないかと思うことがあって」
「呪い?」
「母の死です。母が死んだのは父の呪いで、私たちにもその呪いがかけられてるんじゃないかって」
シャーロットが答える。
「お父様を呼び出して問いただしたいということかしら」
「問いただす……父にそんなことできるかどうか……」
弱々しくそう答えるシャーロットに対し、グレゴリーは硬い口調できっぱりと言う。
「父に、呪うのはやめてほしいと言うつもりです」
「兄さん……」
シャーロットは不安げに兄を見上げる。
「お父様は、お母様やあなたたちを呪うような人だったのでしょうか。もしくは何か理由が?奥様を呪い殺すというのは、無いことではないと思いますが、お子さんたちまでというのは余程の理由がないと考えられないのですが」
私が尋ねると、グレゴリーは重い口を開いた。
「父は、生前ずいぶんと厳しい人でした。母にも、私たち子どもにも、使用人たちにも、常に厳格で、あらゆることを縛り付けるような人だったんです」
シャーロットが小さく頷き、言葉を継ぐ。
「父の前では、誰もが萎縮していました。母の服の色ひとつ、私たちの外出先ひとつまで、父の許可がなければ何もできなかった。母は特に、よく父に叱責されていました。ほんのちょっとしたことでも、父の意に沿わない言動があれば、容赦なく」
「母の泣いている姿を見たのも数えきれないほどです」
「夜会でも、母は地味な色のドレスしか着ることを許されませんでした。灰色か、濃紺か、黒。それ以外の色を着ようとすると、父はひどく機嫌を損ねて」
「派手な色は、慎みのない女の証だと、父はいつも言っていました。母がほんの少し明るい色のリボンを付けただけで、人前で叱責したこともあります」
「私たち子どもも同じです。友人と遊びに出かけることも、興味のある習い事をすることも、父が『無駄だ』と判断すれば許されませんでした。屋敷は、まるで見えない檻のようでした」
グレゴリーとシャーロットが交互に話す。
「父が亡くなった時、正直に言えば……ほっとしてしまったんです」
グレゴリーのその告白には、罪悪感の色が滲んでいた。シャーロットもまた、隣で暗い顔をしながら頷いていた。
「父が亡くなってから、私たちはようやく自由に生きられるようになりました。母は好きな服を着て、好きな場所に出かけ、久しぶりに笑うようになりました。私たちも、これまで許されなかった趣味や交友を楽しむようになって」
「でも、一年ほど前から、母が徐々に体調を崩すようになったんです。最初はただの疲れだろうと思っていました。でも、日に日に悪化して、寝込みがちになって。母付きのメイドたちも次々に体調を崩し、私たちにも頭痛や倦怠感が出るようになりました」
「医師には?」
「もちろん診てもらいました。でも、原因がわからないと言われるばかりで。そして、とうとう先日、母が亡くなってしまったんです」
グレゴリーの声が震える。
「これは、父の呪いだとしか思えません。生前あれほど私たちを縛り付けていた父が、自由になった私たちを、あの世から罰しているんじゃないかと」
「私たちも、いつか母と同じように……」
シャーロットが不安げに、自分の手を見つめる。
二人の恐怖は、決して大げさなものではないのだろう。原因不明の体調不良が続き、母親まで亡くなったとなれば、そう考えてしまうのも無理はない。
「わかりました。それでは、お父様を呼び出してみましょう」
私はいつもの説明をした後、依代を求めた。二人は、前子爵が生前愛用していたという懐中時計、書斎の椅子の敷物、そして万年筆の三点を持参していた。
「これだけ持ってきていただければ、どれかしらは反応があるはずです」
そう言いながら、私は懐中時計を手に取った。使い込まれた金属の感触が、ひんやりと指先に伝わってくる。
◆
降霊用の部屋に移動して、降霊を開始する。
一つ目の懐中時計から始め、順に三つの品に触れる。だが、いくら意識を集中させても、何の反応もなかった。懐中時計には、事務的な冷たさしか感じられない。椅子の敷物にも、万年筆にも、同じだった。まるで、そこに誰の気配も残っていないかのように。
「……出ませんね」
「出ない!?そんな……」
グレゴリーが愕然とした声を上げる。
「死者が出てこない原因は、最初に説明した通り二つあります。一つは、死者がすでに神の国に渡っている場合。もう一つは、依代とした品にご当人の思い入れがない場合です。今回は依代となりそうな品を三つ持ってきていただきましたけど、どの品でも出てくる気配がありません。おそらく、お父様はもう神の国に渡っているのかと」
「いやしかし……母が亡くなった後も、体調不良を訴える使用人が後を絶たなくて。絶対に父が何かしているに決まっているんだ」
グレゴリーはまだ納得できない様子だった。私は少し考えてから、質問を重ねる。
「お母様が亡くなる前から、使用人の方が体調不良で休んだり辞めたりしていたと先ほどお聞きしました。亡くなった後も、相変わらず体調不良で辞める方がいらっしゃるということですね」
「そうです」
「……お父様が亡くなる前は、お母様や使用人の方で、体調不良となる方はいらっしゃいましたか?」
「全くいなかったわけではないが……体調が悪くなっても、少し休んだら戻ってきていた人の方が多かった」
「うーん。お父様もお母様も、亡くなるにはまだお若いですよね。それまで大病を患ったわけでもない。少なくともお父様は、突然死だったとお聞きしました。その後、お母様は徐々に体調を崩されていったわけですが……そのようなことを目の当たりにすると、不安や恐怖で精神のバランスを崩して、体のだるさを感じたり、頭痛やめまいを感じたりということもあると思うんです」
「そう……なのか?」
「それに、『呪い』となると、お父様が亡くなってからお母様が亡くなるまで三年は少し長い気がします。本当に呪いなのだとしたら、もう少し早く、お母様が体調を崩されていたのではないかと」
「だとしたら、どうして」
「精力的に活動されていたお母様が体調を崩されたことで、お屋敷内の雰囲気が変わって、今回のように、亡くなったご当主様の呪いではないか、いやきっと呪いに違いない、というように、集団心理が働いてしまうということもあり得るかと」
「集団心理、ですか」
「ええ。ご当主様の呪いだ、奥様も亡くなってしまった、次は私かもしれない――なんて気持ちが、体調に影響するということはあるんじゃないでしょうか。人は、不安を抱えると、体にも不調が出やすくなるものです。特に、身近な方が立て続けに体調を崩されるのを見ていれば、なおさらでしょう」
「ふむ……」
グレゴリーは腕を組み、しばらく黙り込んだ。
「でも、それだけでは説明がつかないこともあります。母は本当に、あっという間に弱っていったんです。あんなに元気だった人が、まるで坂道を転がり落ちるように」
「詳しい症状を、教えていただけますか」
「最初は、疲れやすいと言っていました。それから食欲がなくなって、次第に寝込むようになって。お腹の調子も悪そうでしたし、最後の方は、手足が痺れると言っていました」
その症状を聞きながら、私は内心、小さな違和感を覚えていた。単なる精神的な不調にしては、あまりにも具体的で、進行性のある症状に思えたからだ。だが、その正体はまだ、はっきりとした形を持たない。
「あの、こんなこと言うのは変かもしれないですけど……降霊術師の方って、もっとこう……」
シャーロットが遠慮がちに口を開く。
「なんでも霊のせいにすると思いました?」
「すみません……」
「いいんですよ。胡散臭い職業ですもの。でも、出てないものを出てるとは言えないですし、そんな嘘をついても、どこかでボロが出てしまいますからね」
「なるほど」
二人の表情に、少しだけ安堵が滲む。
「とりあえずお父様は出てきませんでしたけど、お母様はまだ亡くなったばかりですし、お話を聞くことはもしかしたら可能かもしれませんよ。別料金になりますが、お母様の降霊もしてみますか?」
「そう……そうね。お兄様、そうしましょう」
シャーロットがすがるようにそう言い、グレゴリーも重々しく頷いた。




