幕間 占い師レイラの日常〜恋文の添削
「今、いいだろうか」
中央広場の天幕に、また例の男がやってきた。ローブを羽織った、いかにも学術院の研究者然とした佇まい。
「あら、この前の。今日はどうしたんですか?また論破しに来たんでしょうか?」
「今日は別件だ。これを読んでもらえないだろうか」
差し出されたのは、几帳面な字でびっしりと書き込まれた便箋だった。
怪訝に思いながらも受け取り、目を通す。
『第一に、我々が別れるに至った要因について論理的に整理する。第二に、その要因が現在は解消されていることを説明する。第三に、今後同様の問題が再発しないための改善案を三点提示する』
そこから先、番号付きの箇条書きがびっしりと続いていた。
「……論文?」
「いや、別れた彼女に復縁を乞う手紙だ」
「はぁ?バカじゃない?」
思わず素の言葉が出てしまったが、クロードは全く動じない様子で腕を組んでいる。
「なぜそんなことを言われるのか理解できない。感情的な文章より、論理的な文章の方が説得力があるはずだろう」
まじめくさったその言い方にバカらしくなって、営業用にかぶった猫を取り払った。敬語も無しだ、無し。
「相手はあなたと同じ研究者なの?」
「いや違う。図書館の司書をしている」
「じゃあダメね。全部書き直しましょう」
「なぜだ。私は誠意を持って、この手紙を書いたつもりだが」
「誠意はわかるわよ。伝わってこないだけで」
私は便箋をひらひらと振ってみせる。
「彼女と別れたのってどんな理由?」
「理由は、よくわからない。だが『泣いてる私に、合理的に考えたら泣いている場合ではないなんて言う人と、これ以上一緒にいられない』と言われた」
「それだ」
「何が悪かったんだ」
ため息をつく。何もわかっていない。
「前にも言ったけど、彼女はただ話を聞いてほしかっただけで、解決は求めてなかったんだと思う」
「……以前ここで言われたその言葉で、自分が間違っていたのではないかと検討し、これを書いたんだが」
「泣いてるなら抱きしめるだけで良かったのよ。何も言わなくていいの。それなのに、この手紙もまた、あなたが言いたいことを一方的に並べてるだけじゃない。『第一に』とか『第三の改善案として』とか、まるでお説教されてるみたいよ。これ読んだら、別れる前と全く変わってないって彼女は思うわよ」
クロードは黙り込んだ。図星を突かれた顔だ。
「じゃあ、どうすればいいんだ」
「まず、この論文みたいな構成をやめる。箇条書きのところは全部消す」
「全部か」
「全部よ。まず最初に彼女のことをどれだけ考えていたか、素直に書きなさい」
「素直に、というのが具体的にどういうことなのか、私には」
「あなた、彼女と離れてる間、何を考えてたの?」
「……彼女が今頃、何をしているだろうかと」
「あなたに人間らしい感情があって良かったわ。それでいいのよ。それをそのまま書けばいいの」
私はペンを取り、便箋の余白に走り書きしてみせる。
『君と別れてから、ふとした瞬間に、君のことばかり考えていた』
「……こんな、感傷的な文章で、説得力が出るのか?」
「説得力とか要らないの。ただ、あなたが本当にどう思ってるかが伝わればいいのよ」
クロードは腕を組み、まだ納得しかねる様子で首を傾げている。
「では、この後に続く『改善案』の部分は、どうすればいい。これは必要な項目だと思うが」
「見せて」
私は便箋の続きに目を通す。そこには、こう書かれていた。
『改善案その一、週に一度、決まった時間に対話の場を設ける。改善案その二、彼女の発言内容を要約し、確認を取る。改善案その三、感情表現の頻度を、意識的に増加させる』
「……これ、恋人じゃなくて部下の業務改善報告書ね」
「効率的だと思うが」
「効率とか求めてないの、彼女は。あなたね、彼女が本当に欲しがっているのは、改善案の数じゃなくて、あなたの気持ちそのものなのよ」
私はペンを走らせながら続ける。
「例えばね、『週に一度、対話の場を設ける』じゃなくて、こう書くの。『これからは、君と過ごす時間を、もっと大事にしたい。君の話をちゃんと聞きたい』」
「同じ意味ではないのか」
「同じ意味でも、伝わり方が全然違うのよ。数字や頻度を並べられると、まるで契約書みたいでしょう。でも、気持ちを言葉にすると、相手はあなたの本気を感じ取れる」
「感じ取れる、根拠は?」
「根拠とか要らないって言ってるじゃない。恋愛は論理学でも幾何学でもないの。数学では二+二は常に四だけど、恋愛に限って言えば一にも五にもなるの。理屈で納得させるものじゃなくて、感じさせるものなのよ」
クロードはしばらく黙り込み、それから小さく頷いた。
「……なるほど。感情の表出そのものが、説得材料になり得る、ということか」
「そうそう、そういうこと」
「では、この最後の一文はどうだろう。『以上の点を踏まえ、再度交際を検討していただければ幸いである』」
「それも全部消して」
「なぜだ」
「まるで会議の提案書の締めくくりじゃない。そうじゃなくて、ちゃんと自分の言葉で、もう一度会いたいって伝えなさい」
私は最後の一文も書き直してみせる。
『もう一度、君と話がしたい。都合のいい時でいい。少しの時間でいいから、会ってもらえないだろうか』
「これだけでいいのか。もっと、私の誠意を示す文言を加えるべきでは」
「誠意は、もう十分に伝わってるわよ。それ以上言葉を重ねると、逆にくどくなるの。手紙は短くても、気持ちがちゃんと乗っていればそれでいいのよ」
クロードは何度も便箋を読み返し、やがてぼそりと言った。
「わかった。書き直してみる」
「頑張りなさい。ああ、それと」
「なんだ」
「代金、五千ゴルド」
そう言って手を差し出す。
「占いもしていないのに金を取るのか?」
「手紙の添削を無料でさせるつもりなの?」
「全く、がめつい奴だな」
そう言いながらも、クロードは代金を支払い、差し出された便箋を大事そうに折りたたみ、天幕を後にした。
◆
それから二週間後。
「失礼する」
またクロードが天幕に現れた。今日はやけに機嫌が良さそうだ。ローブの下から覗く表情も、以前よりずっと柔らかくなっている。
「いらっしゃいませ。また手紙の添削?」
「いや。報告だ」
「報告?」
「彼女と、復縁した」
その一言に、思わず口元が緩む。
「あら、良かったじゃない」
「あの手紙が心に響いたと彼女は言っていた。……お前の助言のおかげだ。礼を言う」
「珍しく素直ね」
「事実は事実として認める」
「それで、手紙は結局どうなったの?あの箇条書き、ちゃんと直した?」
「もちろんだ。お前の言う通り、番号も改善案も全て削除して書き直した。ただ、最後にひとつ、お前の助言にはなかった一文を、私の判断で加えた」
「なにそれ、気になるじゃない」
「『君のいない日々が、いかに非効率であったか、痛感した』と書いた」
思わず頭を抱える。
「……その一文、いる?」
「彼女は、それを読んで笑っていた。あなたらしいと言っていた」
相変わらず理屈っぽい物言いに、私は思わず笑ってしまった。
「今度は、ちゃんと彼女の話、聞いてあげるのよ」
「わかっている。それも、既に実践している。昨日も何度も先を促したくなったがじっと我慢した。解決方法も提示しなかった」
「頑張ったわね」
誇らしげにそう言うクロードを見ながら、少しだけ、その成長ぶりに感心してしまう。
「ああ。これからも、助言の通りにしていこうと思う。……また困ったら相談に来ていいだろうか」
「別にいいけど、ここ、占いの店なのよね。たまには占いに来てよね」
「占いのような非論理的なものは好まない」
「でしょうね」
この先もこの人はたびたび訪れるのだろう。占いではなく相談に。
それでもまぁ、いいか。そう思いながら軽い足取りで帰っていくクロードの背中を見て微笑んだ。




