Case6:真実の愛(2)
ある夜会の会場。
アルフレッドは飲み物のグラスを持ち、ぼんやりと立っていた。
「久しぶりだなアルフレッド」
声をかけてきたのは友人だ。
「あぁ」
「ずいぶん痩せたようだけど……まぁ、そうなるか。真実の愛の相手が婚約者に殺されたんだもんな。平気な顔でいられる方がおかしいか」
「お前は遠慮というものを知らないのか」
こんな時に声をかけてくれる友人がいることがありがたいと思いつつ、いつものように軽口をたたく。
「お前と俺の仲でそんなものあるかよ。まだ立ち直れないようだな」
「当たり前だろう」
あの事件からずっと体調不良が続いている。頭痛に不眠に食欲不振。痩せて肌もカサカサになり、顔色も良くない。
医者に診てもらっても体に悪いところは見つからず精神的なものだろうと言われている。
自分自身こんなふうになるとは思っていなかった。
夜も浅い眠りしか取れず、目を閉じるたびに、あの日の光景がちらついた。
時折、誰かに見られているような気配を感じることもあった。振り返っても誰もいない。
使用人に聞いても、そんな誰もいないと言われる。
気のせいだと自分に言い聞かせてきたが、その気配は日を追うごとに強くなっている気がしていた。
「本当は夜会も欠席しようと思っていたんだが」
「まぁ、今日は出ないとなぁ」
国王陛下主催の建国を祝う宴にはよほどのことがない限り欠席ができない。
ベアトリスはどうしているだろうか。
婚約者だったベアトリスは殺人の容疑で収監中だ。
自分の責任であることは重々承知している。
ベアトリスには申し訳ないことをした。だがもう、取り返しがつかないことだ。
会場の煌びやかな光も、着飾った人々の笑い声も、今の私にはひどく空虚に感じられた。
誰もが私を憐れむような、それでいてどこか面白がるような視線を向けてくる気がして、居心地が悪い。
シャンデリアの光も、オーケストラの調べも、まるで遠くの出来事のようにぼんやりとしか感じられなかった。
フラフラと歩いていたら、誰かにぶつかってしまった。
「あ、申し訳ない」
ぶつかった相手は美しい令嬢だった。いままで見たことがない。成人したばかりの令嬢だろうか。
「いえ、こちらこそ。初めての夜会で舞い上がってしまって……あ、どうしましょう。ワインが」
少し舌足らずな喋り方が、いかにも社交界に不慣れな令嬢らしい。だが、その所作にはどこか堂々とした落ち着きも感じられて、不思議な違和感があった。
彼女の視線を辿って自分のジャケットを見ると、赤ワインのシミがついていた。
「申し訳ありません。急いでシミを取らないと」
そう言うと、私の腕を取って近くの扉からテラスに出た。
テラスのテーブルにおいてあった水差しで自分のハンカチを濡らし、トントンと胸のあたりについたシミを叩く。
ジャケットを脱いだ方がシミを取りやすいのだろうが、令嬢の美しさに目を取られ「そのままでもいいか」と思い直す。
白い肌に黒い髪。上から見下ろした睫毛は長く、唇は可憐なピンク色に染まっている。
見覚えのない顔だ。だが、王都の社交界にはまだ私の知らない令嬢もたくさんいる。
今夜のような大きな夜会で、初めて顔を合わせる者も少なくない。それにしても、これほど印象的な容姿をした令嬢を見過ごしていたとは思えなかった。
トントンと叩いていた手を止め、令嬢がこちらを見上げる。
パッチリとしたアーモンド型の目。瞳は茶色だ。
だが、こちらを見上げているというのに視線が合わない。私のすぐ後ろを見ているようだ。
「大丈夫。私は彼を取ったりなんかしない。だから教えて。誰が、あなたを殺したの?」
「な、なんだ君は。突然何を言っているんだ」
「あぁ、申し訳ありません。あなたの後ろに血まみれの令嬢の姿が見えるんです。あなたに触るな、あなたは自分のものだと喚いていらっしゃる。……何か彼に伝えてほしいことは?」
私に向かって話していたかと思うと、また後ろに視線をずらして見えない何かと喋りだす。
「離せ!一体君は何なんだ」
令嬢を振り払うと、彼女は美しい顔に薄っすらと笑みを浮かべて言う。
「私には亡くなった人が見えるんです。そして話すことができる。あなたの後ろにいる令嬢は、あなたを愛していると。ずっとあなたのそばにいると言ってます」
「は!そんなデタラメを」
そう言いながらも、声には力がなかった。
「頭痛、ずっと重いものを背負っているような全身の倦怠感、肩や背中も痛みますよね。あとは、空気が重く、ねっとりと体に絡みつくような感覚」
このところ悩まされてきた症状を、目の前の見知らぬ令嬢に言い当てられたことに動揺すると同時に背筋が凍る。
「幽霊に重さがあるのかどうかわかりませんけど、あなたは四六時中彼女を背負っているような状態です。腕も足もあなたに巻き付いているというか、あなたを締め付けているというか、それはもうガッチリと」
「え……待ってくれ、私はどうしたら」
半信半疑だった気持ちが、急速に恐怖へと変わっていく。
もしかしたらこの令嬢はベアトリスの両親に雇われて自分を陥れようとしているのかもしれない、そんな考えが頭を掠めるけれど、もし本当にセシルに取り憑かれているのだとしたら……足が震えてきた。
「あなた、最近眠っていても急に体が重くなって目が覚めることはありませんか? まるで誰かに覆いかぶさられているみたいに」
「……ある。しょっちゅうだ」
思わず声が漏れた。誰にも打ち明けたことのない症状だった。
医者にも話していない。話したところで、まともに取り合ってもらえないと思っていたからだ。
「あの、彼女に話を聞いてみましょうか」
「……頼む」
「では、腕に触れさせていただいていいでしょうか。あなたに触れないと彼女の姿が見られないので」
「わかった」
腕を差し出す。令嬢はそっと私の腕に触れ、また私の後ろに視点を定めて言う
「どうしたらあなたは彼から離れていただけるの?」
その言葉を皮切りに、まるで誰かと会話しているように令嬢が一人で話し続ける。
もちろん、自分に憑いているという霊の――セシルの声は聞こえない。
真剣な顔で頷いている令嬢を祈るように見つめる。
「……わかりました」
そう言って、こちらに視線を移す。「まずは彼女の無念を晴らさないと」
「無念を……晴らす?」
「ええ。彼女を殺したのは、あなたですね」
「な……」
「セシルさんが教えてくれました」
「な、なぜ私がセシルを殺すんだ」
声が震えていた。顔からは血の気が引き、額には冷や汗が滲んでいる。
周囲の華やかな音楽も喧騒も、もう耳に入っていないようだった。




