Case6:真実の愛(1)
ある日の王都の夕暮れ。
侯爵令嬢ベアトリスは、馬車の中で一枚の手紙を握りしめていた。
差出人は、男爵令嬢セシル。ベアトリスの婚約者である伯爵令息アルフレッドが「真実の愛」を誓ったとされる、同い年の美しい浮気相手だ。
「……話し合いたい、ですって?」
ベアトリスは自嘲気味に呟いた。政略結婚とはいえ、アルフレッドとはそれなりに信頼関係を築けていると信じていた。幼い頃からの顔見知りで、結婚が決まった時も「悪くない相手だ」と思っていたくらいだ。
しかし、貴族学院に入り、セシルが現れてから、アルフレッドは少しずつ変わっていった。
定期的なお茶会は「所用で」と断られることが多くなった。
二人で会って話していても、うわの空でベアトリスの話を聞いていない。相槌は打つのに、後で聞き返すと何も覚えていないことがしばしばあった。
街で二人が腕を組んで歩いているのを見かけた。
それをアルフレッドに聞いても「見間違いじゃないか?」と言われた。あの日見た二人の距離の近さは、とても他人同士のものには見えなかったのに。
ある夜会の日、会場から姿を消したアルフレッドを探してみると、庭園でセシルと二人顔を寄せ合って話していた。
月明かりの下、セシルがアルフレッドの腕にそっと手を添えているのが見えた瞬間、ベアトリスの中で何かが冷たく凍りついた。
もちろんアルフレッドの婚約者はベアトリスであり、セシルは彼の浮気相手でしかない。しかも男爵令嬢などと取るに足らない存在だ。
騒ぎたてる行為はむしろベアトリスの評価を下げる。ベアトリスはそれを咎めることもできず、ただ見過ごすしかなかった。
セシルは『私たちは真実の愛で結ばれているの』と周囲に吹聴していたらしい。
そして『真実の愛』で結ばれた二人にとって、ベアトリスは二人の愛の障害であり、二人の仲を引き裂く悪魔なのだそうだ。
「馬鹿らしい」
親しい友人たちは心配してくれるが、親しくもない知人が親切ごかして注進してくることにも辟易していた。
誰も彼も、ベアトリスがどんな気持ちでいるかなど考えもせず、面白おかしく噂話の種にするだけだ。
両親は「無理に結婚を続ける必要はない」と言ってくれた。侯爵家としての体面よりも、娘の幸せを優先してくれる両親には感謝している。だからこそ、この茶番に早く決着をつけたかった。
そもそも肝心のアルフレッド自身の煮え切らない態度に、ベアトリスはもう我慢ができなかった。
既にベアトリスは両親と話し合い、婚約解消に向けての準備に入っている。これ以上、この茶番に付き合うつもりはなかった。
セシルが何を話し合うつもりなのかは知らない。聞く必要もないのだけれど、ベアトリスは一言彼女に言いたかった。
「アルフレッドとの真実の愛を貫きたいというならどうぞご自由に。私にはもう関係のないことですので」
それを面と向かって伝えるためだけに、指定された街外れの空き家へと向かった。
手紙には「二人だけで、誰にも知られずに話したい」と書かれていた。妙な指定だとは思ったが、これで最後にできるならと応じることにしたのだ。
御者を待たせ、一人で家の中に入る。カビ臭い空気が鼻を突いた。長らく人が住んでいないのだろう、床には埃が積もり、窓には蜘蛛の巣が張っている。
廊下を進むごとに、床板がギシギシと軋んだ。
「セシル様、いらっしゃいますか?」
耳を澄ますが返事はない。しかし奥の部屋から、微かに何かが滴る音が聞こえる。
ポタ、ポタ。
嫌な予感が背筋を這い上がった。だが、ここまで来て引き返すわけにもいかない。
扉は開いていた。
ベアトリスが部屋に入った瞬間、視界に飛び込んできたのは、地獄のような光景だった。
「……あ……」
白い床が、赤く染まっている。その中心に、セシルがいた。
椅子に座り、テーブルに突っ伏している。ポタポタと聞こえていた音は、テーブルから滴る血の音だった。
「セシル様?どうしたんですセシル様?大丈夫ですか?」
体を揺すってみても反応はなく、揺すられた反動でそのままぐらりと床に倒れた。
仰向けになったセシルの喉には血まみれの傷。生臭い血の臭いの中に、嗅ぎ慣れた香水の香りを僅かに感じる。
「セシル、様……?」
足が震え、ベアトリスはその場に崩れ落ちた。助けを呼ぼうにも、喉が震えて声が出ない。床には血の海が広がり、ベアトリスの手が血で汚れる。
その時だった。
「動くな!」
けたたましい足音と共に、数人の兵士が踏み込んできた。彼らが見たのは、血まみれの死体の傍らで手を血に染めて呆然と座り込むベアトリスの姿だった。
「おい!大丈夫か!」
血まみれのセシルに声をかけるが、彼女が既に息をしていないことを確認した兵士は、仲間の兵士に向かって黙って首を振る。兵士がベアトリスに声をかけた。
「ご令嬢、これは一体どういうことか、話を聞かせていただけますか」
「違います、私は……手紙で呼び出されて……」
言い訳は、虚空に消えた。
警備兵が駆けつけたのは、匿名で「女性の叫び声が聞こえた」という通報があったからだという。あまりにも早すぎる到着。あまりにも出来過ぎた状況。
拘束され、警備兵が手配した粗末な馬車に押し込まれても、ベアトリスは震えることしかできなかった。
翌朝の新聞には『真実の愛を引き裂く殺人』という見出しが躍った。
侯爵令嬢ベアトリスが、男爵令嬢殺害の容疑で逮捕されたと報じられていた。
◆
「それで、セシルさんの霊を呼び出してほしいということでしょうか?」
レイラはエドワードが連れてきた今回の依頼人にそう聞いた。
目の前の夫婦は今、王都で話題になっている殺人事件の犯人とされる令嬢の両親。母親は目の下に濃い隈を作り、父親も憔悴しきった様子で、椅子に座る姿勢すら覚束ない。
「はい。セシル嬢を呼び出して真犯人の名前を聞くことができれば、ベアトリスの容疑が晴れるかもしれない」
「どうでしょう。降霊術でセシルさんから聞いたと言っても信じてもらえないんじゃないでしょうか。たとえ本当にセシルさんが『ベアトリスさんは犯人ではない』と言ったとして、あなたたちが娘のために降霊術師を雇ってデタラメを言わせていると思われるのでは」
傍らにいるエドワードをちらりと見る。
今回の事件はエドワードが担当しており、ベアトリスの聴取もしているそうだ。
彼女は殺人を否認しているが、セシル嬢を殺す動機があり、犯罪現場にいたところを発見されている。状況としては極めて厳しいところだ。
しかしエドワードも彼女が犯人だということには疑問を持っているようで、事前に事件のあらましと「ベアトリス嬢は婚約者のアルフレッド氏を疑っているようだ」という情報も教えてくれた。
現場にアルフレッド氏の香水の匂いがしたと。
だが匂いは消えてしまい、証言の裏付けは取れなかったらしい。
「そうですね。残念ながらレイラさんしか聞くことのできないセシル嬢の証言は証拠にはならない」
エドワードも認める。
「しかし、このままでは娘がやってもいないことの罪をかぶることになる」
父親がそう言うと、母親も続ける。
「こちらのエドワードさんからも、公爵夫人からも聞きました。あなたはとても優秀で、本物の降霊術師だと。あなただけが頼りなんです」
「そう言われてしまうとつらいのですが……私はそもそもあなたたちの依頼を受けることができないんです」
「なぜだ!」
「どうして!」
「聞いていませんか?私の降霊術には依代が必要なんです。亡くなった方の遺品、思い入れの深い物しか依代になりません。あなたたちにセシルさんの遺品を用意することができますか?」
「依代が必要ということは聞いていました。でも、なんとかなりませんか?もうあなたしか頼る人がいないんです。お願いします!」
母親がテーブルに頭がぶつかるくらいの勢いで頭を下げる。
侯爵夫人という身分でありながら、うさんくさい降霊術師に頭を下げるなんて、よっぽど切羽詰まっているのだろう。その必死さに、私も胸が痛んだ。
「残念ながら……私の能力では依代なしに呼び出すことはできません」
「そんな……」
母親の肩が力なく落ちる。父親も俯いたまま、拳を握りしめていた。しばらく重い沈黙が部屋を支配する。
「セシル嬢のご遺族に、何か遺品をお借りすることはできないのでしょうか」
「それも考えました。しかしセシル嬢のご実家は男爵家で、こちらの事件のことで大変な混乱状態にあると聞いています。加えて、被疑者の家族である私たちが遺品を借りたいと申し出ても、まず間違いなく拒絶されるでしょう」
父親の言う通りだろう。セシルの家族からすれば、ベアトリスは娘を殺した憎い相手の家族だ。頭を下げたとしても遺品を借りるどころか、門前払いされるのが目に見えている。
「では、セシルさんが亡くなった現場に何か手がかりが残っていないか、調べることは?」
「警備隊が現場検証を済ませており、私たちが立ち入ることも許されませんでした」
当然といえば当然だ。殺人事件の現場に、被疑者の家族が自由に出入りできるはずがない。
「現場にはセシル嬢の私物は残されてなく、依代となりそうなものはなかった」
「そうですか……」
しばし瞑目する。新聞記事を読む限り、セシル嬢はアルフレッド氏を深く愛していたようだ。
それならばーー
「一つだけ可能性が残されています。一度もやったことのない方法なので成功するかどうかはわかりませんし、チャンスがあるかどうか……それにお二人の協力も必要です。それでもやりますか?」




