幕間 アイリスの家計簿
休日の朝。
リビングのテーブルに帳面を広げ、私はペンを走らせていた。
降霊術師レイラとしての収入。占い師としての細々とした稼ぎ。商会からの顧問料三十万ゴルド。そして――
「学院の授業料免除、五万ゴルド」
声に出しながら書き込んでいると、寝室の方から欠伸まじりの声が聞こえた。
「まだやってるのか、それ」
ヘンリーが眠そうな顔で出てきた。休日でも兄はいつも通りの時間に起きてくる。
寝癖のついた髪をぼりぼりと掻きながら、キッチンの方へと向かった。
私が降霊術師レイラとしての仕事を始めるようになって、外での呼び間違いを防ぐために「兄さん」から「ヘンリー」に呼び名を変えることにした。
五歳年下の妹に呼び捨てにされても気にしないおおらかさが兄の美徳だ。
「毎月きちんとつけてるだけよ」
「授業料免除は収入でも支出でもないだろう」
「浮いたお金も記録しておかないと。お金のことはきちんと書き留めておくのが大切なのよ」
そう言いながら、欄外に書かれた『授業料免除』の文字をなぞる。これは私の努力で勝ち取ったものなんだから。
「お前が首席で授業料免除取ってくれてるおかげで、うちの家計も助かってるんだけどな」
湯を沸かしながらヘンリーが言う。
「もし普通に授業料払ってたら、俺の給料だけじゃ結構厳しかったと思う」
「でしょう?だから毎月ちゃんと『免除された分』も数えて、自分の頑張りを可視化してるの」
「自分で自分を褒めるタイプだよな、お前」
「褒めてくれる人が少ないから、自分でやるしかないの」
軽口を叩き合っているうちに、ヘンリーが紅茶を二杯淹れて戻ってきた。湯気の立つカップをひとつ、私の前にことりと置く。
「ありがとう」
礼を言いながら帳面のページをめくっていると、ヘンリーがテーブルの端に置いてあった手紙に目を留めた。実家からの、今月分の便りだ。
「今年は不作気味、か」
母の少し癖のある丸みを帯びた字で書かれた一文に、二人してしばし黙る。
ローエン伯爵領は決して裕福ではない。私が王都に出てこられたのも、ヘンリーの住む家に同居できたことと貴族学院の授業料免除がなければ厳しかったと思う。それでも両親は、いつも「心配しなくていい」と手紙に書いてくる。子供に余計な心労をかけまいとする、その優しい嘘が、逆に少し切ない。
「……ねぇ、ヘンリー。実家への仕送り、今月少し増やそうかと思ってるんだけど」
「……俺もちょうど、同じこと考えてた」
顔を見合わせて、どちらからともなく苦笑いする。
「どれくらい、増やせそう?」
ヘンリーは帳面を覗き込んできた。
「あ、ここ。計算合ってないぞ」
「え?」
指差された箇所を見ると、確かに足し算がずれている。降霊術師としての収入と占い師としての収入を合算した欄。繰り上がりでミスして答えが違っていた。
「……気づかなかった」
「珍しいな、お前がミスするなんて」
「うるさいわね。ちょっと寝不足なだけよ」
実際、昨夜は依頼の準備で遅くまで起きていた。だが悔しさを誤魔化すように帳面を閉じかけると、ヘンリーがにやりと笑った。
「なぁ、俺がいつか伯爵家継いだら、お前を経理担当として雇ってやろうか」
「いくらくれる?」
「現金だな、お前は」
「経理として雇うなら当然の対価でしょう。タダ働きはしない主義なの」
「そうだよな。降霊料だけじゃなく成功報酬まで取ろうとするんだから」
「取れるところからはきちんといただく。それが商売の基本よ」
声を上げて笑うヘンリーを見て、私も釣られて笑ってしまう。
「でもさ、こうやって二人で家のこと回せてるの、悪くないよね」
「掃除はヘンリー、料理は私。家計は毎月黒字。悪くないどころか、優良経営じゃない」
「お前が言うと本当に会社みたいだな、うちの生活」
「これでメイドの一人でも雇えれば、超優良経営だって胸を張れるんだけど」
軽口を叩きながら、ふと兄が窓の外を見て言った。
「そういえば今月、エドワードに酒奢ってやったんだよな。あいつ最近元気なかったから」
「へえ。ヘンリーも人並みに優しいところあるんだ」
「人並み、は余計だ」
むっとした顔をするヘンリーがおかしくて、また笑う。
「何かあったの、エドワードさん」
「さぁな。詳しくは聞いてない。聞かれたくなさそうだったし」
少しだけ声のトーンが落ちる。長年の親友として、無理に聞き出さない優しさなのだろう。私はそれ以上何も言わず、帳面に視線を戻した。
しばらく他愛のない話――今度の休みにどこかへ食事に行こうか、庭の手入れをそろそろ業者に頼むべきか、といった話が続いた後、帳面のある項目に目が留まった。
「これ……」
「ん?どうした」
「前に言ったことあるでしょ……降霊に成功したけど依頼は達成できなくて成功報酬が一千万ゴルドから百万ゴルドになったやつ……」
もちろんヘンリーには依頼内容も降霊結果も詳しくは話していない。守秘義務、という概念はないかもしれないけど、私の矜持として。だが一千万が百万になったという事実だけは伝えた。ヘンリーの前でも嘆いた。
「まだ言ってるのか、それ」
「だって惜しいじゃない!十分の一よ!?」
「百万だって大金だろうが」
「それはそうだけど」
「もう何ヶ月前の話だよ」
「お金の恨みは一生よ」
ヘンリーが盛大に噴き出した。
「お前、降霊術師としては立派なのに、なんでそういうところだけ変わらないんだ」
「立派な降霊術師でもお金にはシビアなの。生きていくのにお金は大事でしょう」
「まぁ、そうだけどさ」
呆れながらも笑っているヘンリーを見ながら、私は帳面をぱたりと閉じた。
「でも、その百万ゴルドのおかげで前に仕送り増やせたんだから文句言わないの」
ポンポン、とヘンリーに肩を叩かれる。
「文句なんて言ってない!ただ確認しただけ!一千万と百万の差は大きいって話をしただけよ!」
「はいはい」
軽くいなされて、少し悔しい。
お金にはうるさい。でも、家族のためなら惜しくない。
紅茶のカップを傾けながら、私はそっと帳面を鞄にしまった。来月分の記帳は、また月末に。
そんな私たち兄妹の、いつも通りの休日の朝だった。




