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Case4:秘密の花園(3)

「マーガレット様もお会いしたかったようなのですが、あなたの姿が見えなかったと」


「俺は……あんなことがあってお嬢様に合わせる顔がないと思って、お嬢様の様子を伺うこともしていなかった。お嬢様もここに来ることはなかったし、お嬢様はもう俺のことなんて忘れたのかと」


「マーガレット様からの伝言を預かっています」


 ゆっくりとマーガレット様の言葉を伝える。


『今まで綺麗な花を咲かせてくれてありがとう。あなたの元で咲く花たちが、私の心の拠り所でした。あなたを酷い目に遭わせたことは後悔しています。でも、あなたを愛したことは後悔していません。先に神の国で待っています』


 青年は目を閉じた。

 震える息が漏れる。


「……お嬢様は知っていたんだな」


「ええ」


 だからマーガレット様は、()()()()、離れを出なかった。


 この花壇が見える場所から。


 彼の存在を感じられる場所から。



 私は静かに言った。


「この屋敷で、あの日のことを知る者はもう誰もいません」


「そうだろうな」


「けれど、分かったことがあります」


 花壇へ視線を落とす。

 薄桃色の花々が静かに揺れている。


「庭師たちに聞きました。この花壇だけは“雑草を抜き、水をやるだけで、絶対に掘り返すな”と昔から言い伝えられていたそうですね」


 青年は黙る。


「ろくに世話をしていないのに、毎年異様なほど美しく咲く」


 沈黙。


「……師匠の爺さんが言い残したんだろうな」


「ええ」


 私は彼を見る。


「でも誰も知らなかったんです」


 声が少しだけ低くなる。


「駆け落ちに失敗したあの日、あなたがマーガレット様の父親の手で殺され、この花壇の下に埋められたことを」


 青年は、否定しなかった。


「……ああ」


 やがて、静かに答えた。


「そうだ」


 侯爵は家名を守るため、庭師の亡骸を庭の片隅に埋めさせた。

 埋められた庭師の上着のポケットには、「お嬢様から預かった宝石」だけでなく「お嬢様の好きな花の種」が入っていた。ポケットに種を忍ばせていたのは、いつか二人で育てるつもりだったからだろう。

 事情を知る老庭師だけが、この場所を花壇として囲った。せめてもの弔いだったのかもしれない。


 当時のことを思うと、胸が締め付けられる。

 愛する人を目の前で傷つけられ、心を病みながら庭の花を見続けたマーガレット様。

 そして、想い人に会うことも叶わぬまま、この土の下に眠り続けた青年。

 三十年という歳月は、あまりに長い。


「俺と一緒に埋まった種が芽を出した」


 青年は花々を見る。


「この花はあまり手をかけなくても育つし、きれいな花が咲く。そしてその後、種が落ちてまた翌年も芽が出る」


 彼は少し笑った。


「お嬢様と逃げて新しい生活を始めたら、一緒に育てるつもりだったんだ。だがそれが叶わなくなったから一人で育てていた」


 そう。だからマーガレット様が欲しがった花がわかった。彼が育てた花を触れば、彼が呼び出せるはずだと。


『たぶん、あなたならわかるはずよ』


 マーガレット様の最後の言葉が耳に甦る。


「俺が骨だけになってからも、どうにか持ってた。でも、もう限界だった。肥料も撒いてないし土が痩せちまったからな」


 その時だった。

 青年の輪郭が、ふっと揺れた。

 実体のない者は揺らぐ。


「来年か……再来年にはもう花を咲かせるのは難しいと思ってた」


 私は声を絞る。


「マーガレット様の近くに埋葬していただけるよう、ご当主に伝えます」


「骨なんてもういい」


 彼は空を見上げた。

 柔らかく笑う。


「俺も、行く」


 輪郭が薄れていく。


「お嬢様が待ってるんだろう?」


「ええ」


「あれから三十年も経った。俺に気づいてくれるかな」

 私は頷いた。


「私の目には、あなたは今も二十代の、逞しくて爽やかな青年に見えています」


 彼は照れたように笑った。


「死んだ時の姿か」


「ええ。土に汚れた手も、日に焼けた顔も。マーガレット様が恋をした、そのままのあなたです」


 青年は一瞬、泣きそうな顔をした。それから、それを隠すように大きく息を吸い込んだ。


 そして、小さく頭を下げる。


「ありがとうな」


 そのまま、煙のように姿がほどけた。最後まで、花壇の方を見つめながら。


 風が吹く。

 薄桃色の花が、一斉に揺れた。

 まるで見送るように。


 誰もいなくなった花壇の前で、私はそっと手を合わせる。

 花壇の下には三十年間埋もれていた真実がある。


 やがてここは掘り返されるだろう。

 骨が見つかる。

 ピンクダイヤモンドも。

 侯爵家の古い罪も。

 すべてが白日の下に晒される。


 けれど、もうそれでいい。

 埋もれていた真実は、ようやく花を咲かせたのだから。


 私は手を挙げて離れに合図を送る。

 しばらくしてテオと侯爵がやってきた。


「ここですか?」


 硬い表情で侯爵が言う。


「ええ、この下に。それと、この花をマーガレット様の墓前に供えてあげてください」


 切った花を侯爵に渡す。


 マーガレット様の依代は宝石箱じゃなく花の種だった。

 駆け落ちの前に彼にもらったものなのか、彼の死後に手に入れたものかはわからない。

 でもマーガレット様と彼を繋ぐものはこの花だった。花だけだった。


「庭師の墓はどうすれば。通常、使用人は引き取り手がない場合には共同墓地になるのですが」

「本人にはこだわりがないようでしたのでお好きなように」


 少し考えてから、私は付け加えた。


「ただ、もしできるなら――マーガレット様のお墓の近くに埋めていただけたらと思います。本人は『骨なんてもういい』と言っていましたが、離れることを望んでいたわけではないでしょうから」


 侯爵はしばらく黙り込んだ後、静かに頷いた。


「……そうですね。当家が犯した罪の、せめてもの償いになるでしょうか。三十年前は今よりもずっと使用人の命が軽かったとはいえ、痛ましいことです」


 侯爵は花束を小脇に抱え、花壇に手を合わせた。その横顔には、これまでの当主としての厳しさよりも、一人の人間としての痛みが滲んでいるように見えた。




 帰りの馬車の中、テオが窓の外を見ながらぽつりと言った。


「ダイヤモンドは見つかるでしょうか」


「ダイヤモンドは掘り返せば見つかるだろうけど、それより大事なものが見つかった気がするな」


「大事なもの?」


「三十年間、誰にも言えなかった二人分の想いよ」


 私は膝の上に置いた小さな花を一輪、指先でそっと撫でた。侯爵に渡した花束から一輪だけ分けてもらったものだ。


「これは?」


「私にとっての記念、かな。大丈夫よ。もう彼は出てこないし」


 テオは呆れたように笑ったけれど、何も言わなかった。


 馬車の窓の外を、侯爵家の庭園がゆっくりと遠ざかっていく。

 あの花壇は掘り返される。誰かが再びあの花を植えてくれるのだろうか。それとも忘れ去られてしまうのだろうか。


 ふと、隣に座るテオの横顔を見る。

 護衛として、助手として、いつも私のそばにいてくれる彼。


「どうかしましたか?」


 テオに顔を覗き込まれる。


「ううん、ちょっと考え事」


 誤魔化すように窓の外に視線を戻す。

 夕暮れの光が、遠ざかる庭園を橙色に染めていた。


 少しずつ橙色から紫色に変わり始めた空を見上げて祈る。


 神の国で、二人が無事に再会できますように。

 もし次に生まれてくることがあるなら――

 どうか今度こそ、幸せになれますように。

 

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