Case4:秘密の花園(2)
「初めまして。私は降霊術師のレイラです」
呼び出したマーガレット様は私に興味がないようで、窓の外をずっと見つめている。
生気のない姿、というと当たり前だと笑われるかもしれない。もう彼女は生きていないのだから。でも彼女の第一印象がそれだった。
痩せぎすで薄桃色のストンとしたワンピースを着ている。肌の色は青白く、窪んだ目元に艶のない髪。
だが背筋はピンと伸び、侯爵令嬢としての気品を感じた。そしてその佇まいには不思議な静けさがあった。
「本日はこちらのご当主様のご依頼で、侯爵家に代々伝わるピンクダイヤモンドの行方を教えていただきたく、お呼び出しした次第です。
ご当主様はマーガレット様がお持ちだと前侯爵様から聞いていたそうですが、マーガレット様がお亡くなりになった後、どこを探しても見つからずに困っていたそうで」
一度言葉を切って、マーガレット様の様子をうかがう。
彼女は窓の外を見たまま、姿勢も表情も変わることがなかった。
「ピンクダイヤモンドはどちらにあるのでしょうか」
単刀直入にそう切り出すと、しばしの沈黙の後、ぼそりとつぶやく。
『あれは当家の嫡流に代々伝わる物です』
そしてちらりと侯爵の方を見る。
やっと窓から視線を離してくれた。
「ええ。そうでしょうとも。だからこちらのご当主様が親戚筋から養子に来られた後も、マーガレット様がお持ちになっていた」
そう言うと、彼女が小さく頷く。
「ですが、あなたがお亡くなりになった今、侯爵家の嫡流はこちらのご当主様になります」
彼女は侯爵をしばらく無言で見つめた後、こう聞いてきた。
『そちらの方はなぜ私がここにいたのか知っているのかしら』
そちらの方一一その言い方で侯爵とマーガレット様の距離感がわかる。
侯爵にマーガレット様の質問を伝えたが、彼女の父親である前侯爵からは詳しいことは聞いていないと言う。
『そう。お父様も亡くなってしまったし、もう知ってる者は誰もいないのかもしれないわね』
そう言って寂しそうに笑った。その笑みには、諦めのような何かが滲んでいるように見えた。
『長くなるけど、私の話を聞いてもらえるかしら』
「もちろんです。聞かせてください」
マーガレット様は穏やかな声で話し始めた。
『私には愛する人がいましたーー』
その声は、まるで遠い夢を語るようだった。
『身分違いの恋だとわかっていました。侯爵家の娘が、平民の――それも庭師の男を好きになるなんて、許されるはずがないと。でも、彼と過ごす庭での時間だけが、私にとって本当の自分でいられる時間だったの』
彼女は、庭師と過ごした日々を語った。花の名前を教えてもらったこと、彼が丹精込めて育てた花を一緒に見たこと。花について語る彼の横顔が好きだったこと。
『最初はただの好奇心だったの。庭を散歩していたら、見たこともない花を見つけて。誰が育てているのか気になって、こっそり様子を見に行ったのがきっかけ』
マーガレット様の声が、わずかに柔らかくなる。
『彼は不器用な人でした。私が話しかけても、最初はろくに目も合わせてくれなくて。でも花のことを聞くと、目を輝かせて話してくれるの。身分なんて関係なく、ただ純粋に花を愛しているその姿に、私は惹かれていったのだと思います』
密会は、最初は数ヶ月に一度。やがて週に一度、そして毎日のように。誰にも見つからないよう、ささやかなひとときが、彼女にとって何よりの楽しみになっていったという。
『でも、いつまでもそうしていられるわけがなかった。私には婚約者がいて、その方との縁談を進めることが、侯爵家の娘としての務めでした』
しかし彼女は人生を変える大きな選択をする。
『あの人と生きるために、私は全てを捨てる覚悟をしました。この家の宝も、地位も、名前も。だから――』
そこで言葉が途切れる。
『二人で家を出ようとしたの』
その日のことが詳細に彼女の口から語られた。
一生に一度の恋。
叶うことのなかった夢。
全てが壊れた日。
そして――
『捕らえられた夜、お父様はあの人に殴りかかった。私の目の前で』
声が微かに揺れる。
『それ以来、あの人の姿を見ることは二度とありませんでした』
「前侯爵、あなたのお父様はダイヤモンドのことは知らなかったのでしょうか?」
『お父様は、私が宝石箱を持ち出したことは知ってました。でも私は宝石箱をお父様に渡すことなく、ずっと手元に置いておきました。「その中にあるんだな?」と聞かれたら「そうよ」と答えた。私からあの人を奪っておいて、宝石のことしか気にかけないお父様に、本当のことを教えてやるものかと思ったから』
その声には、これまでとは違う硬さがあった。
「彼のその後は?」
『知らない。誰も教えてくれなかった。ただ、しばらくして庭に見覚えのない花壇ができていることに気づいたわ。離れの窓からちょうど見える場所に。あの人と、いつか一緒に育てようと話していた花と同じ色の花が、そこに咲き始めていたの』
マーガレット様の目から涙が溢れる。
『あの花壇を見た時、あの人が育ててくれているんだって、なぜだかそう思った』
マーガレット様の涙はとめどなく流れるが、頬から顎を伝って落ちると、床に届く前に虚空に消えた。
『ひとつ、お願いがあるのだけれど』
「なんでしょうか」
『彼が育てた花を、私のお墓に供えてもらえるかしら』
窓の外を見ながらマーガレット様が言う。
「庭の、どの花でしょう」
『たぶん、あなたならわかるはずよ。ピンクダイヤモンドの在処も彼に聞けばいい』
そう言って彼女は消えてしまった。
◆◆◆
「マーガレット様から、あなたのことも聞いています」
青年の目がわずかに細くなる。
「俺の話?」
「ええ」
私は抱えた花を見下ろしながら言った。
「マーガレット様は、お亡くなりになるまで……いえ、お亡くなりになってからも、あなたのことを深く想っていらっしゃいました」
青年の喉が動く。
だが、すぐに視線を逸らした。
「でも俺は……」
言葉が切れる。
躊躇いの理由は分かっていた。
「この屋敷の庭師であるあなたと、侯爵家のご令嬢であるマーガレット様」
私は穏やかに続けた。
「相思相愛だったというのは、貴族社会では口にできる話ではありませんね」
青年の顔色が変わった。
「なぜ、それを……」
「言ったでしょう。マーガレット様とお話をしてきたと」
彼はしばらく黙っていた。
風がふわりと花を揺らす。
やがて、絞り出すように言った。
「…… 今さらそんな話を持ち出して、どうする」
そこには怒りよりも、古傷を抉られるような苦さがあった。
私は問いかけた。
「お二人でこの屋敷を抜け出そうとした日のことを覚えていますか」
彼は視線を落とした。
長い沈黙。
やがて、小さく笑った。
「忘れられるわけがないだろう」
◆◆◆
あの日、マーガレット様は夜着の上に外套を羽織り、小さな宝石箱を胸に抱えていた。
月のない夜だった。
裏門へ続く石畳は湿っていた。二人にとっては、新しい人生への一歩を踏み出す夜のはずだった。
宝石箱の中には侯爵家の家宝――大粒のピンクダイヤモンド。
本来なら、代々嫡流だけに受け継がれるもの。
だが彼女は、それを駆け落ち後の資金として持ち出した。
若かった。
二人とも。
愛があれば生きていける。そう信じていた。
門の影で待つ庭師へ、彼女は震える手で宝石箱から宝石を出して渡してきた。
『持っていて』
『お嬢様』
『今だけ』
彼は受け取った。持ち出した花の種の袋の中に宝石を忍ばせ、上着のポケットに入れる。
その瞬間だった。
灯りがいくつも揺れた。バタバタとこちらに向かってくる足音が聞こえた。
計画は漏れていた。
裏門へ向かう前に、二人は捕らえられた。
激昂した侯爵が庭師を殴り、何かを言い放つと、使用人たちに引きずられるようにして彼の姿は闇の中へと消えていった。
マーガレット様は必死に手を伸ばしたが、侍女に取り押さえられ、それ以上のことは何もできなかった。
侯爵は激怒したが、一人娘を処分することはできなかった。
侯爵家の跡継ぎは彼女しかいなかったからだ。
だが、それ以降マーガレット様は少しずつ壊れていった。
人形のように無言で過ごす日もあれば、突然泣き叫び、壁を叩き続ける夜もあった。
駆け落ちのきっかけとなった、他家の令息との婚約は破談。
その後も縁談はまとまらなかった。
マーガレット様は離れに住むようになり、離れからはたびたび泣き声や叫び声が聞こえていた。
やがて侯爵はマーガレット様に侯爵家を継がせることを諦め、傍系から養子を迎える。
それが今の当主だ。
侯爵も使用人たちも「あの日」のことを口にすることはなかった。
秘密は、時の中に埋もれていた。
◆◆◆
「あなたはずっとここで?」
私が尋ねる。
青年は柔らかな目で花壇を見た。
「ああ」
「離れからこの花壇が見えました」
マーガレット様の窓からここが見えるように、ここからもマーガレット様がいた離れが見える。
「少しでも、お嬢様の気が休まればと思ってな」
そう言う声には偽りがなかった。
私はその横顔を見つめた。日焼けした黒い肌、男らしい顔つき。貴族にはあまり見ない風貌は、お嬢様が憧れ、淡い恋心をいだいてしまうのも仕方ないと感じられた。
「実はマーガレット様から聞いて、あなたに確認したいことがあって来たんです」
「……あの日のことか」
察しが良い。
「ええ」
私は頷く。
「マーガレット様は、あの日あなたに宝石を渡したと」
青年は苦く笑った。
「それも知られたのか」
そして探るように言う。
「……どこにあるのかも?」
私は彼を見た。
「あなたが知っている、と」
青年の表情がわずかに揺れた。
「そうか」
しばらくして、ぽつりと呟く。
「……お嬢様は、亡くなってからも俺の前に出てきてくれなかったな」
その声には、寂しさとも安堵ともつかない響きがあった。私はしばし言葉を選んでから、静かに口を開いた。




