Case4:秘密の花園(1)
「おい、そこで何をしている」
低く、よく通る声だった。
風の上を滑るように届いたその声に、私は鋏を持つ手を止め、ゆっくりと振り返る。
そこには一人の青年が立っていた。
日焼けした肌に、短く刈った黒髪。生成り色のシャツと黒いズボンには土がついている。ひと目見て「庭師だな」とわかる姿をしていた。
肩幅が広く肉体労働者らしい体つき。袖をまくった逞しい腕にも土が付き、長く庭に携わってきた者らしい無骨さがあった。日々の労働で鍛えられたのだろう、貴族の護衛や騎士とはまた違う種類の逞しさが感じられる。
その視線は、私の顔ではなく、手元に落ちていた。
切り取ったばかりの、薄桃色の花。そして、銀の剪定ばさみ。
私は花をそっと持ち直した。
「こちらはあなたが育てているお花かしら」
問うと、青年は花壇へ視線を移し、短く頷いた。
「そうだが」
不審そうな声。当然だろう。見知らぬ女が、侯爵家の庭の一角――誰よりも丁寧に守られている花壇から花を切っているのだから。しかも黒いベールで顔を隠した怪しげな女だ。警戒されない方がおかしい。
でも私は、どうしてもこの花が必要だった。
この庭は広かった。
噴水を中心に幾筋もの小道が伸び、季節の花々が整然と植えられている。白い薔薇、青いネモフィラ、背の高い百合。どれも美しく手入れされている。庭師の技量の高さが窺える、見事な庭園だった。手入れの行き届いた芝生を踏むたび、靴底からしっとりとした感触が伝わってくる。
けれど、その中でこの花壇だけが妙に目を引いた。
複数の種類の花がお互いを引き立てるよう計算して植えられている花壇の中で、一種類の花のみが咲く花壇。
だが薄紅の花々が折り重なるように咲き、まるでここだけ春が深く留まっているようだった。他の花壇の花よりも一回り大きく、色も鮮やかに見える。
私が花に触れた時、指先にわずかなざわめきが走った。冷たいわけでも熱いわけでもなくじわりと響く淡い震え。
だから私は、この花を切った。
「私は降霊術師のレイラです。亡くなったマーガレット様の希望で、ここの花を墓前に供えてほしいと言われたの」
青年の眉がわずかに寄る。
「降霊術師?」
「亡くなった方と対話する力を持つ者です。ご当主様の依頼で、この屋敷に招かれました」
私は花束を抱え直した。
「侯爵家の家宝――ピンクダイヤモンドの行方を探すために」
青年が腕を組む。節くれだった指先の爪の先には土が入り、黒くなっていた。
「マーガレット様が持っていると聞いていたのに、お亡くなりになった後にお部屋のどこを探しても見つからない。だから私が呼ばれたんです」
当主が私を呼んだ理由は、慰霊ではない。
侯爵家の家宝の隠し場所を死者から聞くためだった。
「先ほど、マーガレット様とお話をしてきました」
「……お嬢様と?」
声が低くなる。
驚きと、触れてはいけないものに触れたような戸惑い。
私は頷いた。
◆
三日前のことを思い出す。
歴史ある侯爵家の若き当主。
それが今回の依頼人だった。
三十代半ばくらい。痩せ型で見るからに真面目そうな顔つき。私のような胡散臭い人間に対しても物腰は柔らかく、言葉遣いも丁寧だった。ホテルの一室に案内された時も、椅子を引く動作ひとつにまで育ちの良さが滲んでいた。
聞けば、前侯爵の一人娘が精神を病み、婿取りが困難になったことで傍系から養子に入ったらしい。
「当家に古くから伝わる、家宝のピンクダイヤモンドを探したいのです」
前にもそんな依頼を受けたな、と思いつつ答える。失せ物探しの依頼というのは、意外と多い。
「私は降霊術師です。亡くなった方の失われた声を聞くだけ。失せ物探しは範疇外です」
「はい。存じております。ダイヤはお嬢様、マーガレット様がずっとお持ちでした。いえ、お持ちだと聞いていました。
代々嫡流に受け継がれて来たものということもあって、私が侯爵家を継いでからもそのままにしておいたんですが、先日、マーガレット様が亡くなりまして」
「マーガレット様の部屋からダイヤが見つからない、と?」
「そういうことです」
侯爵は苦い顔で続けた。
「侯爵家の家宝が行方知れずというのは、外聞が悪いだけでなく、当家の格式にも関わる問題でして。何としても見つけ出したいのです」
マーガレット様は精神を病んで以来、ずっと離れで暮らしていた。
ほとんど部屋から出ることもなく、穏やかに毎日を過ごしていたというが、ある朝、眠るように亡くなっていたという。心不全、という見立てだった。
マーガレット様は古い小さな宝石箱を大切にしていたことは使用人も知っていた。
「私の大切な宝物が入っているのよ」
そういって少女のように笑っていたらしい。
だが、マーガレット様の死後に宝石箱を開けてみてもピンクダイヤモンドは無く、部屋のどこを探しても見つからかった。
「宝石箱の中は空っぽだったのですか?」
「宝石は何も入っていませんでしたが、小さな黒い粒のようなものがいくつか。調べたところ花の種でした」
「本当にマーガレット様が持っていたのですか?」
「前侯爵からは宝石箱自体が古くから伝わる物で、そこにピンクダイヤモンドが格納されていたと聞いています」
「そんな物がなぜマーガレット様の手元に置かれていたのです?」
「マーガレット様から宝石箱を取り上げようとすると狂ったように泣き叫んで宝石箱にしがみついて離さないとかで……前侯爵からは『宝石箱をマーガレットから取り上げないように』と言われていました。それに嫡流に伝わる家宝ということですから、私よりマーガレット様が持っている方が良いだろうとも思いまして」
「誰かに盗まれたという可能性は?」
「もちろんその可能性もあります。だからそれをはっきりさせるために、直接お聞きしたいのです」
「マーガレット様が持っていたのかどうか、そしてそのダイヤモンドがどこにあるのか、ということですね」
「はい」
侯爵に降霊の条件を説明する。依代が必要なこと、神の国に行った場合は呼び出せないこと。降霊費用は五十万ゴルド、呼び出せない場合は四十万ゴルド返金。
説明した後で「質問は?」と聞くと
「当家に来ていただくわけにはいかないでしょうか」
と言われる。
「離れからほとんど出ることのなかった方です。盗まれたのであればともかく、もしお嬢様自身がどこかに隠していたとしたら、離れの中かその周囲しかありません」
少し考える。確かに今回の依頼はマーガレット様が隠したのならダイヤモンドの場所を指し示してもらえば早いだろう。侯爵の言うことにも一理ある。
「承知しました。送り迎えの馬車の手配もお願いしてよろしいかしら」
◆◆◆
降霊を行う当日。
侯爵の手配した馬車で助手のテオとともに侯爵家に向かう。馬車に揺られながら、テオが窓の外を眺めて言った。
「今回は珍しく、こちらから出向く形の依頼ですね」
「依頼人が来られない事情があるならね。まぁ今回は、依頼人本人じゃなくて呼び出す相手の事情だけど」
侯爵家に着くと侯爵自らが迎え出てくれて、そのままマーガレット様が暮らしていた離れに案内される。
離れは古びた建物だったが、中は綺麗に整えられていて、どこか寒々しい空気が流れていた。マーガレット様の死後はほとんど出入りがなかったのだろう。空気そのものが淀んでいるように感じられた。
マーガレット様の部屋には無駄な装飾がなく、必要最低限の家具しかなかった。壁紙も家具も上等な物ではあるけれど、令嬢の部屋にしてはあまりに簡素だ。
侯爵の指示でテオは部屋の外で待つことになった。
マーガレット様は若い男性を見ると怯えたり泣き叫んだりしていたらしい。
降霊した時にテオを見たら取り乱してしまうかもしれない、とのことだ。侯爵が初めてマーガレット様に会った時も大変な騒ぎになったという。
「では私はここで」
テオが心得たように扉の外に控える。
テーブルの上には宝石箱がぽつんと置かれている。
これが当主の話に出てきた宝石箱だろう。
開けてみると、聞いていた通り黒い花の種が入っている。
宝石箱を手に取り死者を呼ぶ。
手応えがない。何も感じられない。
私の降霊の力には制約がある。マーガレット様が既に神の国に渡ったのか、それともこの宝石箱は依代にならないのか。
「反応がありませんね」
侯爵が不安そうに私を見る。
「マーガレット様はこの宝石箱を大切にしていたと伺いましたが……」
マーガレット様はこの宝石箱を大切にしていた。
だが侍女に「宝物が入っている」と言っていたことを考えると、この宝石箱はただの入れ物で何の思い入れもないということか。
おそらくマーガレット様の依代となるのはこの宝石箱に入っていたとされるピンクダイヤモンド。だが、それと一緒に入っていた花の種も気になる。
種にそっと触れるといつもの感覚。
冷えた空気の向こうに、彼女は現れた。




