Case3:しゃべり過ぎた男(3)
「ダニエルさんの話に頻繁に出てくるベンというのは誰ですか?」
レイラが周りに問う。
「私の息子です」
デーヴィスが答える。
「なるほど。相当ダニエルさんにかわいがられていたようですね。今も横でベンさんの自慢をしています。ずっとしゃべり続けています。おいくつなんですか?八歳ですか」
レイラがそう言うと、クラリス夫人が目を開けて笑顔で話す。
「ベンはダニエルと同じでおしゃべりなので、ダニエルとベンが二人そろうとうるさくて」
「二人で競うようにしゃべり続けるからな」
デーヴィスも苦笑し、サモンも笑う。
「いつも聞き役の母上を取り合っていた」
その微笑ましいやりとりに、レイラはふと違和感を覚えた。皆が笑って懐かしむ空気の中で、ひとつだけ抜け落ちているものがある。
「もうひとつ、気になることがあって。ダニエルさんのお話の中にはご家族や使用人の話題が出てくるのに、奥様の話題だけは出てこなかった。奥様の侍女の話は出てきましたけど、奥様本人の話はない。ダニエルさんや奥様の様子を見ていると、お二人は仲が悪いわけでもなく、むしろお互いに深い愛情を感じます」
そこで言葉を切り、レイラはダニエルの方を見る。
「んー。ダニエルさんは何も話してくれなさそうですね。奥様、何か心当たりはありますか?」
「ダニエルが亡くなってから、ずっと部屋に引きこもっていたから……私にはみんなに話すようなことが何一つなかったってことじゃないかしら」
そう言って寂しそうに笑う。その笑みの奥には、この一年間の重さがそのまま滲んでいるようだった。
「温室にもしばらく足を運んでなかったわ。でもリリーが綺麗に咲いたのは知っていたの。ベンが部屋に持ってきてくれていたから。ああ、そうねベンはいつも私を心配してくれていた。部屋にもよく来てくれていたわ」
しんみりと言う。
「奥様にとってもベンさんはかわいい孫ということですね」
「ええ。もちろん。とてもかわいい孫よ」
「なるほど。ダニエルさんは自分が亡くなってから部屋に引きこもりがちになってしまった奥様が心配だったのではないでしょうか。ダニエルさんが話していたことは家の中のことと家族のこと。なにか奥様が少しでも興味や関心の持てる情報がないかと思ったのでは?」
「いや、父はいつもそんな感じだった。自分の身の回りのささいなことをずっとしゃべっていたよ。いつも通りなんじゃないか?」
「いえ、サモン。レイラさんの言う通りよ。ダニエルの話が家の中の話に偏っている。ダニエルはそんなに家の中のことまで詳しくなかった。むしろ私が家の中の出来事をダニエルに報告していたくらいよ」
そこで言葉を切るとため息をつく。
「そうね、家の中のことにも家族のことにも全然目を配れていなかったわね。知らないことばかりだった。温室にも前はよく行っていたのに。ベンが何かを育てていたなんて聞いていたかしら……。きっと話していたわね。あの子のことだから。私がちゃんと聞いていなかっただけで。料理長のアップルパイも、ダニエルではなく私の大好物よ。ダニエルはあまり甘いものが好きではなかったけれど、いつもアップルパイを食べるのに付き合ってくれたの。ベンもよく一緒に食べてくれたわ。パイの皮をぼろぼろこぼしながら」
夫人はそう言うと目を伏せた。ダニエルも何もしゃべらなくなった。部屋の中に、これまでにない重たい静寂が降りる。
しばしの沈黙ののち、夫人が私を見て言う。目にも言葉にもこれまでの弱々しかった様子とは違って力があった。まるで、ずっと目を逸らしてきた何かに、ようやく正面から向き合う覚悟を決めたかのような目だった。
「指輪は盗まれたのではなく、隠されたのかしら。ダニエルとの思い出にばかりかまけて引きこもってしまった私を心配して、ダニエルがやったのでしょう?」
ダニエルは『そうだ。俺がやったのだ』と言う。でもそうではない。レイラはそう確信していた。
「ダニエルさんは『そうだ』と言っています。『俺がやった』と。でも私はそうは思いません。死者が実体のある物を動かすというのはかなり難しいようです。もしダニエルさんに指輪を動かせるほどの力があったとするならば、指輪を隠す前に奥様に対して何かしているはずです。奥様の関心を引くような何かを。これまで何もしていないのに、いきなり指輪を隠すというのは考えにくい」
ダニエルは眉を顰める。でも反論はしなかった。
そのことでレイラは自分の考えが間違っていないと確信する。ダニエルがなぜ、誰のために罪を被ろうとしたのか。
「ここからは私の推測です。奥様の言っていたことは半分くらい当たっていると思います。指輪は盗まれたのではなく、隠された。それは確実だと思います。そうですね?ダニエルさん」
ダニエルは何も答えない。
「犯人は誰なんだ」
デーヴィスが問う。
「犯人、という言い方もちょっと……。彼もこんな大騒ぎになるとは思っていなかったのではないかと。彼は奥様が指輪を弄りながらずっと物思いにふけっているのを見て、指輪がなくなればまた元の奥様に戻るのではないかと考えただけではないかと思います」
「……わかったわ。指輪を隠したのはベン。そうでしょう」
「おそらく。ダニエルさんも彼に悪気がないことはわかっていた。だから名指しで指摘しなかったのでしょう。奥様がまたベンさんに関心を向けてほしいと思ったから、先ほどの話にもベンさんの話題が多く出てきた。ああ、そうだ。ベンさんはダニエルさんと同じように話好きな男の子なんでしょう?だったら奥様を心配する気持ちと共にやきもちもあったのかもしれないですね」
「やきもち?」
「いつも話を聞いてくれていたおばあさまが話を聞いてくれなくなった、あるいは話をしていても上の空で元気がない。おばあさまの関心は指輪に向いている。じゃあ指輪がなくなればいい。そんな気持ちで指輪を隠してしまったのかもしれません。いかにも小さな子供が考えそうなことです」
「なんということだ……ベンが……」
デーヴィスが頭を抱える。その声には、息子への叱責よりも、気づいてやれなかった自分への情けなさの方が強く滲んでいた。
「ええ、先ほども言った通り、彼は悪気なく指輪を隠しただけ。むしろこんなに大事になってしまって困惑し、怖くなっていると思います。もちろん奥様の指輪を隠したことは悪いことですし、叱る必要もあるかと思いますが、それと同時に彼の心のケアもしてあげてほしいです」
「私がきちんとベンに向き合っていれば、こんなことは起こらなかった。私の責任です」
クラリス夫人は悄然として俯いた。
『違う。クラリスだけの責任ではない。デーヴィス、お前はベンの話を聞いていたか?俺の話と同じように聞き流してはいなかったか?俺は仕事の反動でただただ喋りたかっただけだがベンは違う。ベンはしゃべりたいのではなく、聞いてほしいんだ。ベンにちゃんと向き合ってやってくれ』
ダニエルの言葉をデーヴィスに伝えると、デーヴィスはしっかりと頷いた。その目には、先ほどまでの動揺とは違う、父親としての静かな決意が宿っているように見えた。
◆◆◆
あれから一週間。エドワードがレイラの部屋を訪ねてきた。窓の外は柔らかな西日に包まれ、テーブルの上には湯気の立つ紅茶が並んでいる。
「ありがとうございました」
そう言って頭を下げるエドワードにレイラが聞く。
「やはりお孫さんでしたか?」
「そうでした。レイラさんの推理通り、おばあちゃんに構ってほしくて指輪を隠したそうです。父親には叱られて、前侯爵夫人にはごめんなさいと謝られて、大泣きしながら謝罪していましたよ」
「指輪はどこに?」
「温室の鉢植えの土の中。ハンカチに包まれて埋められていました」
「ダニエルさんは隠し場所も教えてくれていたんですね。温室の話も多かったから」
そう言ってレイラが微笑む。
「少しだけ、彼の気持ちもわかる気がします」
ポツリと漏らしたエドワードの言葉に、レイラは不思議そうな表情を浮かべる。
「もしヘンリーが話を聞いてくれなくなったら、あいつの気を引こうと躍起になるでしょうね」
「ヘンリーのことがお好きなんですね」
おどけたようにレイラが言うと、エドワードは慌てたように弁解する。
「いや、違います!そういうことじゃなくて」
顔を赤くしながら否定するエドワードを見て、レイラは声を出して笑った。ベールの下からこぼれるその笑い声は、いつもの妖艶な雰囲気とはまるで違って、まるで少女のように無邪気だった。
いつもの落ち着いたレイラとはまた違った魅力に、エドワードは違う意味でまた顔を赤らめた。




