Case3:しゃべりすぎた男(1)
ホテルの階段を駆け上がる。
「やっとレイラさんに会う口実ができた」
そう考えると自然と足取りが軽くなった。仕事帰りだというのに疲れなど微塵も感じない。五階に到着し、廊下の姿見でネクタイの緩みや髪の乱れがないか確かめ、軽く身だしなみを整える。
既にアポイントメントは取っている。
部屋のドアをノックすると、中から男が顔を出した。
「いらっしゃいませ」
一礼して扉が大きく開かれる。
気に入らない。
こいつはレイラさんの護衛兼助手として公爵家から派遣している人間だ。すらりとした立ち姿、無駄のない所作、そして口数の少なさ。悪い男ではないのだろうとはわかっている。わかっているが、それとこれとは話が別だ。
兄さんも義姉さんも、なぜレイラさんの傍にこんな若い男を置くのだ。何かあったらどうする。小さな苛立ちを隠しながら部屋に入る。
部屋の奥のソファにレイラさんがいた。窓から差し込む午後の光が、黒いドレスの輪郭をやわらかく縁取っている。
こちらを見て立ち上がる。
「お久しぶりです。エドワードさん」
口元を布で隠してはいるが、笑顔だということはわかる。今日も美しい。
初めて会った時はベールで目元を隠していたが、今は目を出して口元を隠している。
綺麗な目だ……あ、右の目尻にホクロがある。前に会った時にも見たはずなのに、なぜか毎回新鮮に感じてしまう。
「どうぞお座り下さい」
レイラさんに見とれていたらそう声をかけられた。慌ててソファに腰を下ろす。背もたれの布地がやけに冷たく感じたのは、緊張のせいかもしれない。
「事件の捜査を手伝ってほしいとのことですが、亡くなった人から話を聞けたとしても、それは証拠にはならないですし調書にも書けないですよ。以前ヘンリーもそれで頭を悩ませてました」
ヘンリーも捜査を手伝ってもらっていたのか。早く教えてくれよそういうことは。腐れ縁のくせに、こういう肝心なところで水臭い。
「今回の事件は窃盗なんです」
「窃盗?それで死者が出たのでしょうか?」
「厳密には死者は事件に関わっていません。この事件はある侯爵家で発生しました――」
◆◆◆
「サファイアの指輪が消えた、ということですね」
レイラが問う。
「ええ」
前侯爵夫人クラリスが頬に手を当て、小さな声で答える。
五十代半ばだと聞いているが、心労のせいか実年齢よりも上に見えた。目の下には隈が薄く残り、指を組む手の甲には血管が浮いている。
その指輪は一年前に心臓発作を起こして急死した前侯爵が、夫人との結婚の際にあつらえた記念の指輪で、生前肌身離さず付けていた物だった。
夫婦仲は大変良く、夫人は前侯爵が亡くなってから毎日時間があればその指輪を眺め、話しかけていたそうだ。
ある日、朝にはあったはずの指輪が、昼過ぎに指輪のケースを開けると忽然と消えていたという。
部屋から持ち出すこともなく、几帳面な夫人がケースから出しっぱなしにすることもない。
夫人は紛失よりも盗難を疑い、即座に警備隊に通報した。
通報を受けてすぐに駆けつけたエドワードら数名の捜査官はすぐに門を封鎖して指輪の捜索に当たった。
当日、早朝には配達などで人の出入りはあったが、夫人が指輪を最後に目撃した時間から、指輪がなくなっていることに気づいた時間までの間で侯爵家を出入りした者はいなかった。
その時、侯爵家にいたのは前侯爵夫人、侯爵夫妻とその長男、侯爵の弟の計五人。そして使用人二十数名。
ただし、使用人のうち、前侯爵夫人の部屋のある二階に出入りできるのは、家令や侍女などの上級使用人と掃除メイドで、十名ほどしかいなかった。
指輪はまだ外に持ち出されていないと考えた捜査官たちは、当時侯爵家にいた使用人全員の身体検査や持ち物検査をしたものの発見されず、聞き込みでも芳しい成果は上がらなかった。屋敷中の絨毯の下から花瓶の中まで調べ尽くしたというのに、指輪一つ出てこないというのは、いっそ不気味なほどだった。
それで困り果てたエドワードがあの日、レイラの元に相談に来た。
「盗難事件って死んだ後の出来事でしょう?呼び出してどうするの?」
と言うレイラに、
「クリスも死んだ後のことを見ていたから、前侯爵もそうじゃないかと思って」
と返すエドワード。
「その可能性はあるけれど……」
その発言を聞いたエドワードは数日後、前侯爵夫人クラリスと長男であり侯爵家を継いだデーヴィス、次男のサモンの三人を連れてきたのだった。
ホテルの応接間に通された三人は、いかにも半信半疑といった様子で椅子に浅く腰掛けていた。
「サファイアと言ってもそれほど大きな石ではないの」
そう言って夫人は指に嵌められた指輪を見せる。無くなった指輪と揃いであつらえた指輪だということで、サファイアの大きさは同じだそうだ。
確かに侯爵家にしてみれば小さな石かもしれないが、それでも宝石には違いない。
「母にとっては大切な父の形見だが、単なるアクセサリーだと考えたらもっと高価な物が宝石箱にうなるほどある。私たち家族からしたら、わざわざそんな物を盗む価値はない。十中八九、犯人は使用人の誰かだとは思うのだが、長年うちに仕えてくれている者が多く、信じたいという気持ちもある」
侯爵はそんな言葉とはうらはらに、うさんくさそうな目でレイラを見た。
「こちらの捜査官から、マクスウェル公爵夫人が信頼する霊能力者だと聞いたけれど、正直言ってそういうものは信じられなくてね。申し訳ないが」
「いえ、そういう方は多いですから」
霊能力者ではなく降霊術師だと訂正することもなく、レイラは受け流した。テオドールは「慣れたものだ」と思いながらその様子を眺めていた。
「第一、父が話しますかねえ。捜査官は知っているでしょう、父のこと」
次男のサモンがエドワードに向かって言う。
「そうですね。ダニエル・レイバン氏と言えば、厳格で寡黙な司法長官として有名でした。ですがそんなレイバン司法長官であるからこそ、家の中で発生した盗難事件には言及してくださるのではないかと」
エドワードは自信満々に返すがレイラは少し不安げな表情を浮かべていた。
「エドワードさんから聞いているかもしれませんが、私の能力について説明します」
そう切り出す。
レイラは自身の能力の制約について、故人を呼び出すには依代が必要なこと、故人が神の国に渡っていた場合は呼び出せないことを説明する。
「呼び出した故人の姿は私にしか見えません。また、故人の声も私にしか聞こえません」
そう言って周囲を見渡すと、クラリス夫人はがっかりした表情を浮かべ、デーヴィスとサモンの兄弟は鼻白んだ表情を浮かべる。
降霊の料金については説明しない。
犯罪捜査への協力の場合、降霊の料金は取っていない。レイラの元に捜査協力を依頼するのはヘンリーとエドワードの二人だけ。
ヘンリーは身内だし、エドワードはレイラの仕事の出資者の身内だから、捜査協力はボランティアで日頃の恩返しのようなものだとレイラは割り切っていた。
「それでは依代をお貸しいただけますか」
夫人がバッグの中から使い込まれた黒革の手帳を取り出す。革の角は擦り切れ、長年手に馴染んだであろう艶があった。
「ダニエルが生前に愛用していた物や愛着のある物と言われたのですが、一番愛着のある物は無くなった指輪だと思います。でもこの手帳もずっと使っていた物なので、たぶん、大丈夫ではないかと思うのですが」
「ありがとうございます」
レイラは手帳を受け取り、ダニエル・レイバンの霊を呼び出した。
呼びかけに応じて一人の男がレイラの前に現れた。
しかしレイラは戸惑いの表情を浮かべる。
「こちらは故人の手帳ということで間違いないんですよね?別の方の手帳を持ってきたりはしていませんよね?」
そう家族に問いかける。
「なんだ?父が出てこない責任をこちらに押し付けるつもりか?」
サモンが言う。
「いえ、そういうことではなく……出てきている人が違うのではないかと……」
「なぜ、そう思うのです?」
夫人が聞く。
「寡黙な方と聞いていましたが……出てきた瞬間からとめどなくしゃべり続けているんです」




