幕間 エドワード・マクスウェルの初恋
ヘンリー・ローエンは学生時代からの付き合いで、親友である。
王立貴族学院時代、ヘンリーと私は四年間ずっと同じクラスだった。
学校内では身分は関係ないという建前になっているが、実情は社交界の縮図で低位貴族と高位貴族の間には見えない壁のようなものが存在するし、家同士の関係が友人関係にも影響する。
公爵家は手広く商売もしているため、派閥に関係なく公爵家と繋がりを持ちたい家は多い。
私には四つ上の兄がいて公爵家の跡を継ぐのは兄と決まっているのだが、それでも私の周りには多くの人が集まってきた。
人に囲まれるのは慣れているが、たまには一人になりたいと思って昼休みに校舎の周りをうろついていた時にヘンリーと出会った。
植え込みのそばに座り込んでいるヘンリーを見て、具合が悪いのかと思って近寄ってみると、彼の視線の先には猫がいた。
入学して一ヶ月以上経っていたのに、彼と話すまで同じクラスだとは気づかなかった。自分を棚に上げる訳では無いが、気づかなかったのも仕方ないと思う。
ヘンリーにはとにかく見た目に特徴がない。
中肉中背で髪の色は茶色、瞳の色も茶色。この国の国民の大多数と同じ色だ。
目は一重で少し細い、というのが彼の顔の最大の特徴。眉にも鼻にも口にもこれといった特徴がなく、ほくろやあざや傷などもなく、全く印象に残らない顔立ちだった。
例えは悪いが彼がもし犯罪を犯し、目撃者の証言で似顔絵を作成することになった時、証言者も似顔絵画家も特徴がなくて途方に暮れるだろう。
彼は古くからある伯爵家の嫡男という立場だったが、私におもねることもなく、へりくだることもなく、ごく普通に接してくれる稀有な存在で、初めて言葉を交わしたその日からすぐ仲良くなった。
彼はとても聞き上手で、自分が話したいことをさらに掘り下げる質問をしてくれるし、適切な相槌を打ってくれるし、表情が豊かでリアクションも大きい。
学校の成績はわずかに私のほうが良かったから、彼に勉強を教えることはたびたびあったが勉強以外のこと――周囲の人達の接し方や家族との関係などでは私が教えられることの方が多かった。特に当時私は些細なことで父と喧嘩し、父を避けるようになっていたのだが、ヘンリーに諭されて父に歩み寄って仲直りし、それなりの親子関係に戻すことができた。
その数年後、就職して一年が過ぎた頃に父が突然亡くなったのだが、関係が改善できていなければ一生後悔していたかもしれない。
ヘンリーは私の恩人でもあった。
学院を卒業して就職する時、私達の道は分かれるはずだった。
私は中央の財務部門の文官を志望し、ヘンリーは農業生産部門の文官を志望した。
それなのに文官登用試験に合格した私達が配属されたのは揃って警備部犯罪捜査課だった。
ヘンリーは優秀な捜査官になった。
どこにでもいる顔で場に溶け込み、いい意味で貴族らしくない雰囲気を持つ彼はどんな相手にも警戒心を抱かせない。
商家や貴族の屋敷への潜入捜査を行なったりもしているようで、生来の聞き上手も相まって、めきめきと手柄をあげている。
危険と隣り合わせの仕事だが、そのぶん高額の手当が付くと本人は喜んでいる。
同じ職場でもヘンリーは不在であることが多く、学生時代と違って顔を合わせるのは月に片手で数えられるほどだったが、月に一度は時間を作って遊びに行ったり飲みに行ったりしている。
ヘンリーには妹がいて、彼女が貴族学院に入ってからはヘンリーと一緒に暮らしているのだが、彼の家に遊びに行った時に妹さんも一緒に食事を取ることがある。
ヘンリーと瓜二つの顔で、ヘンリーと同じく聞き上手で、ヘンリーと同じく私に媚びへつらうこともなく、もちろん私に対して色目を使うようなこともなく、ただの「兄の友人」として接してくれる、とてもいい子だ。
兄妹二人暮らしで使用人も置いていないのに、とても清潔で明るく居心地のいい家で、こういうところにも二人の人柄が出ているのかなと思った。
だから――
だからこそわからないのだ。あのレイラさんはヘンリーとどういう知り合いなのか。
ヘンリーに恋人がいるという話は今まで聞いたことがない。婚約者もいないはずだ。
ヘンリーには姉はいない。そもそも顔が全然似ていない。
ヘンリーの家には使用人はいない。
彼が気安く話しているのを見ると、彼に近しい人物だと思う。伯爵家に所縁のある人物、例えば親類だとか領地での幼馴染だとか、両親が暮らす屋敷の使用人だとか、その辺りなのかと思うけれど、それでもやっぱり二人の関係性が見えないし、ヘンリーに聞いてもはぐらかされる。
レイラさんはとても美しい人だ。
初めて会った時はベールを頭からかぶっていて目元まで隠れていたが、妖艶な口元と魅惑的なスタイルに釘付けになった。
降霊した甥のクリスと話す時には床にしゃがみこんでいたが、生前のクリスの大きさを考えるときっとクリスと目線を合わせて話をしていたのだろう。
私達と話す時はどちらかというと冷たい印象を与える声なのに、クリスと話す時は優しく温かかった。
その時点でたぶん私はレイラさんのことを好きになっていたのだと思う。
公爵家に向かう馬車の中、ベールがずれてちらりと見えたその目、そして目が合った時の小さな笑顔でさらに心臓を撃ち抜かれた。
今まで周囲に群がってくる女性は面倒なだけで全く興味を持てなかったし、そのうち父が(父が亡くなってからは兄が)家柄の合う結婚相手を勝手に決めるのだろうと思っていたから、自分が誰かに恋をするなんて思っていなかった。
レイラさんに会いたい。少しでいいから話をしたい。
そう願ってもヘンリーからはいい返事が返ってこない。
「レイラさんにお礼がしたい」と頼んでも「謝礼は充分いただいている、と言っている」と断られ、「レイラさんを誘って食事でもどうか」と誘っても「忙しいので遠慮させていただきます、と言っている」と断られる。
もしかしてヘンリーもレイラさんのことが好きなのか?
だからこんなに頼んでも会わせてくれないのか?
そう聞いたこともあるが、「絶対にそれはない」と完全に否定された。
ヘンリーとはそれなりに長い付き合いだから、こんなことで嘘をつくような人間ではないと知っている。
信じている。
あぁ、それなのに、なぜ。
こうなったら、なんとかしてレイラさんに会える口実を作ろう。
レイラさんの仕事場は知っている。公爵家の経営するホテルだ。
さて、どんな口実を作ろうか。




