Case2:ゴーストライター(3)
『戻る場所はなくても、行く場所は作れる』
先生の言葉を伝えるとプルトンさんも援護してくれた。
「そうです!子爵家を出ればあなたは自由です。どこにだって行けます!王都に来るなら住まいを見つけるお手伝いもしますし、仕事だって紹介できます」
「そう。それをプルトンさんにお願いしたかったのです。ゴードン先生はプルトンさんのことを信頼できる人だと言っていました。もしパトリシアさんが望むなら、子爵家と縁を切るのを手伝ってあげてほしいと」
「承知しました。私は商会に入る前は法律関係の仕事をしていました。一度だけですが貴族の離縁に関わったこともあります」
そう言って笑う。
「小説のネタになるかと先生に話したことがあったのですが、覚えていただいてたのですね」
ゴードン先生は無言で頷いている。
「でも……その……」
パトリシアさんが口ごもる。
「恥ずかしい話なのですが、私には自由になるお金がなく……子爵家を出たとしても、その……」
「お金のことでしたら気にしなくていいのでは?『エスメラルダの瞳』が完成したら執筆料が入るでしょう?前借りできません?」
「今まで先渡しと言う前例はないのですが、『エスメラルダの瞳』ですから商会長も認めてくれるのではないかと……いえ、認めさせます。必ず」
それでもどこか迷っているようなパトリシアさんにゴードン先生の言葉を伝える。
『もうお前は自分自身の名前で生きていいはずだ。それに私も『エスメラルダの瞳』の結末が知りたいんだ』
パトリシアさんが顔を上げる。
『読ませてくれないか』
「でも……」
『お前はもう十代の若い小娘ではなく、人生経験を積み酸いも甘いも噛み分けた立派な大人だ。ああいう小説を書いたとしてもおかしくはないだろう』
パトリシアさんの瞳に光が宿ったように見えた。
そしてその会話の意味に気づいたプルトンさんが呆然とこちらを見る。
「プルトンさん、聞いてしまいましたね?あなたも共犯者ですよ」
ニヤリと笑ってプルトンさんに言った。
実はこれまで『フレデリック・ゴードン』名義で出された小説のほとんどはパトリシアさんが書いたものだった。
もちろん『エスメラルダの瞳』も。
パトリシアさんが隠れて書いていた小説を読んだゴードン先生は娘の才能を確信し、恥ずかしがる娘を説得して小説を商会に持ち込んだ。
パトリシアさんではなく自分が書いたことにしたのは、小説の内容的に当時未婚のパトリシアさんが書いたというのは外聞が良くないからだろう。
ただの親心だったのだが、結果的に娘の名声を奪ってしまったこともゴードン先生は悔やんでいた。
かくして真実を誰にも言えないまま『フレデリック・ゴードン』という人気作家が誕生してしまった。
結婚後もパトリシアさんは婚家で隠れて小説を書き、手紙と一緒に父親に送っていたそうだ。
しかし『エスメラルダの瞳』の最終回が送られてくる前にゴードン先生は急逝してしまった。
もしかしたら、この小説の結末を誰よりも知りたかったのはゴードン先生なのかもしれない。
「では、最初に『書かない』とおっしゃったのは……」
プルトンさんが震える声で尋ねる。
『私も結末を知らない。最初は「書かない」と言ったが、書かないというより書けないと言った方が正しい。結末を知るのはパトリシアだけだったからな。でもそれを教えたとしたら、パトリシアはあの家に縛り付けられたまま搾取され続けると思ったから言えなかった」
ゴードン先生の言葉を伝えると、プルトンさんもパトリシアさんも息を呑んだ。
「先生は、娘さんを守るために、頑なに拒んでいらしたんですね」
「そうみたいです。娘のためと言われて意固地になったんじゃなくて、娘のためだからこそ意固地になっていたという、なんとも不器用な話でしたね」
私がそう言うと、ゴードン先生は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「でも私が書いたとして、結局は遺産と同じように子爵家に取られたりしないのでしょうか」
パトリシアさんが、ふと不安げに呟く。
「先に離縁してしまえば大丈夫ですよね?プルトンさん」
「はい。離縁後にパトリシアさんご本人の名前で契約したら、元旦那様や元お姑さんが口を出す権利はありません。離縁を先に成立させなければならないので、『エスメラルダの瞳』の出版には少し時間がかかりそうですが、商会長にも説明して納得してもらいます」
「そこまで……」
パトリシアさんの目に、また涙が溜まっていく。
『ひとつ、頼みがある』
ゴードン先生が重い口調で言う。『パトリシアの名前を、著者として記してほしい』
「でも、それは……」
パトリシアさんが口ごもる。
『ずっと後悔していた。これまで私が受けてきた賞賛は全てパトリシアが受けるべきはずのものだ。あるべき姿に戻してほしい』
パトリシアさんはプルトンさんを見た。
「パトリシアさんの名前で出版することもできますが、フレデリック・ゴードン、パトリシア・ゴードンの共著として出版することもできます」
プルトンさんはさらりとパトリシアさんが旧姓に戻る未来を明示する。
「こちらとしては共著としていただいた方が、元からのファンも納得してくれそうなのですが」
少し逡巡したのち、パトリシアさんが言う。
「父と名前を並べたい。父はそれでいいと言ってくれるでしょうか?」
ゴードン先生は静かに頷き、照れくさそうに、鼻を摘んだ。
◆◆◆
一ヶ月後、パトリシアさんから「無事に離縁できました」と連絡が来た。手紙の最後には「これから王都で新しい生活を始めます」と、力強い一文が添えられていた。
そしてその三ヶ月後、『エスメラルダの瞳』の完全版が出版された。
離縁のスピード感にも出版のスピード感にも驚いたが、それほどまでに『エスメラルダの瞳』が待ち望まれていたということだろう。
『エスメラルダの瞳』は人気作家フレデリック・ゴードンの未完の遺作を、娘であるパトリシア・ゴードンが引き継いで完成させたという話題性と、その完成度で大きな反響を呼び、大ベストセラーとなった。
その後もパトリシアさんは次々と新作を発表し、人気作家としての地位を確立しつつある。
時折届く新作には、決まって私宛のメッセージカードが添えられていた。「レイラさんのおかげです」と。
私の元には降霊費用の他に百万ゴルドが舞い込んだ。
結果的に口述筆記はしていないけれど、パトリシア・ゴードンという『有望な新人作家』を見つけることができたことに対する謝礼だそうだ。
「よかったですね」
テオはそういうけど、どこがよかったのよ。
「最初の提示額は一千万ゴルドだったのよ!十分の一よ?」
「まぁまぁ、レイラ様。パトリシアさんが幸せになったのですから、それが一番の報酬ということで」
「テオはそういうこと言うと思った。わかってるけど、わかってるけどね……惜しいものは惜しいの」
そう言って口を尖らせる。
「それに、あの口述筆記をしなくて済んだのは、レイラ様にとっても良かったのでは?」
図星を突かれて、思わず言葉に詰まる。
「な、なによ。口述筆記だってできたわよ」
テオはくすりと笑って、それ以上は何も言わなかった。
ぶつぶつ言いながらも、私はソファーに座り、今日届いたパトリシア・ゴードンの新作を開いた。
装丁のどこにも『フレデリック・ゴードン』の名前はない。表紙に大きく躍るのは『パトリシア・ゴードン』という、彼女自身の名前だけだ。
それだけで、なんだかんだ良い仕事をしたなと思えてしまうのだから、我ながら単純なものだと苦笑した。




