番外編 山崎の冬休み
清水庁舎へ新設された、禍津鰐対策の現地合同本部での打ち合わせを終えた山崎が通路を歩いていると、正面から来た黒髪ボブの女性に声をかけられた。
安積:「山崎さん、はじめまして。
禍津鰐対策チームの地上班に所属しています、安積と申します」
安積は綺麗な姿勢でお辞儀をし、山崎も釣られてお辞儀をする。
爽やかな雰囲気の美人に突然話しかけられて、内心パニックの山崎も、慌てて自己紹介を返す。
山崎:「はじめまして。山崎です。
僕は海洋学部の大学生で、禍津鰐の研究をしています」
安積:「私のことは、6月の禍津鰐災害の資料に記載されている、乗務員Aと言えば分かりやすいでしょうか」
フェリー唯一の生還者だと理解する。
凄惨な事故の生存者で、カウンセリングを受けているという情報を知る山崎が返答に困っている様子を見て、安積から口を開く。
安積:「状況もご存知のようですが、気にしないでください。
声をかけさせていただいたのも、今日山崎さんがいらっしゃると聞いて、お礼を言いたかっただけなので。
山崎さんの論文を読んでいた、船長の機転のおかげで私が助かったのだと聞いています。
もちろん、色々な感情を経て今に至るのですが、今はこれ以上禍津鰐による被害を出さないための活動に参加する程度には、前を向いています。
研究を続けてくださり、ありがとうございます」
安積が45度ぐらいの綺麗なお辞儀をし、山崎が慌てて否定するように手をバタバタと動かす。
山崎:「…そんな…僕なんて、皆さんの助けがあって出来た資料をまとめただけですし、今でも凄い人たちに教えてもらうばかりなので、たいしたことは出来ていません。
あの状況で冷静に判断した船長さんが凄かっただけです」
安積:「たしかに、後になって真実を知ると、船長の冷静さと献身には驚くばかりです。
私も含めて乗務員は、逃げ惑うか動くことも出来ずにいました。
途中から駆けつけた船長も、同じように呆然と立ち尽くしていると思っていたのですが、冷静に被害状況を確認して、“クイーン”の捕食行動が止まったところで、私を浮遊物の上に落としてくれました。
ですが、禍津鰐について何も知らず、無限に食べ続ける映画のモンスターのように認識していれば、あの時と同じ行動をすることは、いかに船長であろうと出来なかったのではないでしょうか。
山崎さんが謙虚なのは分かりますが、この感謝の気持ちだけでも受け取ってください」
後方から近づいていたヒールの足音が、曲がり角の辺りで止まった気がする。
山崎:「…分かりました。
ですが、僕の方が年下ですし、普通に話してください」
安積:「分かりました。では、山崎“くん”、ですね。
私のことは、安積って呼び捨てでもいいですよ?権威さん」
悪戯っぽく笑う安積に戸惑うが、視線は山崎よりも後ろの方に向いている気がする。
山崎:「権威なんて、まだまだ周りの凄い人達の背中を追っている僕には早いですよ!」
手のひらをブンブンと振って否定しながらも、安積の、時折少し遠くを見る視線を山崎が不思議に思っていると、ヒールを履いた足音が再び近づいて来た。
碧:「山崎くん。今度 “一緒に” 勉強会をする日程を決めたいのですが、今よろしいでしょうか?」
安積の笑顔が、どこか生暖かい目になった気がする。
安積:「私はこれで失礼します。
山崎くん、清水庁舎に来た時には現地合同本部に寄ってくださいね」
最後は爽やかな笑顔に戻って去っていった。
碧:「お忙しい ”権威さん“ のご都合はどうでしょうか?」
慣れない相手との会話が終わった後は、トゲのある口調が待っていた。
── 以下、蘭視点 ──
夕食の片付けをしていると、スマホに碧から
『いつものルーム開いてもいいですか!?』というメールが入る。
自室に戻り、PCを開いてオンライン会議のアプリを開くと、碧からの招待が来ていた。
入室すると同時に
碧:『蘭さ〜〜〜ん!』
泣き出しそうな情けない声の碧が、こちらの言葉も待たず、激流のような勢いで悩みを言い連ねる。
夏ぐらいから恋愛相談を受けるようになり、最近は仮面が完全に剥がれている──と思っていたが、まだ先があった。
今日は壁紙すら設定せず、フィギュアやポスターで埋め尽くされたオタクの部屋を隠しもせず、論理的な話し方も忘れて早口で言いたいことをまくしたてている。
蘭は額に右手をあてて俯き、一度ため息をついた。
それでも話し続ける碧の言葉を聞きながら、片手でスマホを操作する。
そして、今なお話し続けている碧の言葉の濁流に、自分の言葉を割り込ませる。
蘭:「少し落ち着きなさい。
つまり、要約するとこういうことよね?
せっかく久しぶりに清水に出張に行って、打ち合わせで山崎くんと会ったのに、会議室を出たら山崎くんは爽やかな美人と楽しそうに話していた。
しかも、距離を詰めるのも早くて、次に会う約束までしていた。
その相手は、山崎くんの論文で命を救われた、フェリー事故唯一の生存者。
恩人を好きにならないはずがない。
その後、勉強会の予定の話をする時も、距離を感じた。
でも、嫉妬して棘のある言い方をしたのは反省している。
…こんなところかしら?」
画面の向こうで碧が、頭をブンブンと縦に振って頷いている。
そこでスマホへ来た返信を確認した蘭が、マウスをクリックする。
少し間を置いて画面が2分割され、その半分に山崎が映る。
碧と山崎、2人とも同時に驚き、シンクロするように同時に顔を少し伏せる。
蘭:「夏頃から2人に恋愛の相談を受けて、お互いのことは伏せたままアドバイスをして来たわ。
ゆっくり進んでいくのもそれはそれでいい。
最初は私も気長に楽しませてもらったわ」
2人共、俯いたまま顔から耳まで真っ赤になっていく。
蘭:「…でもね、オタク2人に任せてても1ミリも進まないじゃない!
しまいには今日!
のび太に泣きつかれるドラえもんの気持ちを察したわ。
私が2人に言えることは1つだけよ。
あなた達、もう付き合いなさい!」
衝撃を受けたように口を開ける2人を無視し、蘭は退室ボタンをクリックする。
そのままPCを閉じて、リビングへと戻った。
リビングには、気怠そうな表情で本を読む稲垣が、ソファに座っていた。
紅茶を淹れて稲垣のところへ持っていき、自分もソファに着席する。
稲垣:「どうした?口元がニヤけてるぞ?」
指摘されて自分の緩んだ口元に気づき、スンッとした表情に戻す。
蘭:「なんでもないわ」
稲垣:「そうか」
稲垣がニヤニヤしている。
明日の紅茶は、長時間煮出してやることにした。
安積:曲がり角から秘書さんがひょっこりしてる。
……あぁ、そういうこと……分かりやすい。
〜対策室に戻った後〜
安積:秘書さん、クールな人だと思ってたけど、意外と可愛らしい人なのかも。




