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禍津鰐《メガロドン》──深層の目覚め  作者: 麦野ライト
第2章 深層の顕現

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第0話 プロローグ

胎内に命を宿した女王は、焦っていた。


少し前から自らを取り巻く深淵に、目に見えぬ破滅の兆(きざ)しが満ちていた。

どこからか流れ込んできた不快な“病”が、この世界に満ちる獲物たちを、音もなく腐らせて死滅させていく。

出産を間近に控えた女王の体内では、絶え間なく新たな生命が熱を帯びて蠢(うごめ)き、凶暴な飢えを訴えかけてくる。

飢餓の焦りと荒れ狂う闘争本能のままに牙を剥く女王を恐れ、他の禍津鰐たちは次々と闇の奥へと気配を消していった。


そんな時、かつて中層にいたオスが、壁に向かって音波を響かせていた話を思い出す。


【この壁の向こうに、未知のエサが溢れる別の世界がある】


穴などどこにも存在しなかったが、いよいよ胎内の熱が限界に達しようとする頃、女王はその壁を気にかけるようになった。


そんな世界があるのであれば、独占したい。


同胞の寄らない、今の状況は好都合だった。

もしもその世界への扉が開いても、他のものは追うのを躊躇(ためら)うだろう。


穴が見つからない以上、オスを蔑(さげす)むものも多かった。

だが、女王には確信があった。

この世界の異変は、オスが壁に音波を当て始めた頃からだった。

世界が揺れ、かつてないほど強い、”感覚を狂わせる波“を感じたあとのことだった。

あの時、世界は繋がったのだろう。




見果てぬ世界に、女王は焦がれた。


その世界は、小さなエサに溢れ、食べたことのないほど大きなエサがいる。

そのさらに上にはエサ達の巣があり、そこを叩けば良質なエサが落ちて来る。


ただし、エサの巣には、感覚を狂わせる波を出すものもあったという。




出産の気配が濃くなった時、世界は女王に微笑みかける。


世界が揺れた。


空間を揺るがす震動の直後、オスの言っていた場所に、外洋へ向かって吸い込まれる水の流れを全身で感じ取った。

女王が声を反響させると、自らの頭蓋がそのまま通れるほどの、巨大な穴が口を開けていた。

女王は躊躇うことなく、繋がった新しい海へとその巨躯を滑り込ませた。




別の世界は、確かに存在した。


上へと昇るほどに呼吸は薄く、頼りなくなっていくが、緩やかに尾鰭(おびれ)を動かしている限り、息切れをすることもない。

一転して深みへ潜れば、体に馴染む海水が、女王の血液を力強く満たしてくれる。


この深淵を、揺り籠に定めよう。


息苦しさもなく、何より、あちらの世界に繋がる穴を監視しやすい。

生まれたばかりの子供たちにとって、最大の脅威は「同胞」だ。

黄泉の国の飢えた略奪者たちは、自らの血を分けた子供すら容赦なく貪り喰らう。

だがここならば、穴より這い出てこようとする同胞たちの微弱な電気や波紋を、瞬時に捉えて噛み殺すことができる。


この外の世界には、あちらの世界にはなかった身を切り裂くような強い潮流が走っているが、この急峻な海溝の陰には、流れの緩やかな、子供たちを育むのに最適なよどみもある。

この安全なよどみと、あちらの世界から繋がる穴を、自らの牙で守り抜く。




その時、上層から、かつて聞いたことのない不快な音と物理振動が、海を震わせて降ってきた。

オスが言っていたエサの巣の脈動、そのものだった。

立ち昇る波紋を目掛けて突き進み、その巣を激しく叩きつける。

オスの言葉通りその巣は一撃で壊れ、中から8匹のエサがこぼれ落ち、女王の顎へと吸い込まれていった。




貪り終えて戻ろうとした瞬間、さらに強大で、内臓を揺さぶるような音と振動が遠方より伝わってきた。

女王よりも巨大なその巣は頑丈で、体当たりを喰らわせても、すぐには壊れなかった。

だが、2度目の体当たりをしようとした時、中からエサ達が次々と水中にこぼれ落ちてきた。




エサの巣は、狩りの獲物として極めて優秀だった。

一度に数え切れないほどのエサを落とし、水面に落ちた獲物たちは逃げることもせず、ただ恐怖の波紋を撒き散らして己の居場所を教えてくれる。

エサに困窮したあちらの世界での、数日分に及ぶ食事を貪り食うと、女王は守るべき揺り籠へと帰還した。




出産場所へと戻った瞬間、鋭敏な器官が、門の奥から近づいてくる「同胞」の電気を感知した。

匂いと波長で分かった。あちらの世界で番(つがい)となったオスだ。

だが、たとえ番であったとしても容赦はしない。

オスは子供を喰らう敵でしかない。

穴からその頭部が現れた瞬間、女王は躊躇なく、その喉元に巨大な顎を叩きつけ、骨ごと噛み裂いた。


絶命したオスの尾鰭が岩盤に引っ掛かり、傷口から流れる大量の血が、あちらの世界へ向かう流れに乗って吸い込まれていく。

望外の成果だった。

奥に潜む同胞たちにとってもこの血の臭いは、ここが「女王の領域」であるという強烈な警告として機能するだろう。


世界は、自らを祝福している。

女王は自らの望みを叶える世界に感謝し、冷たい深淵で、静かにその時を待った。

“クイーン”視点です。


1章で外洋と一時的に繋がったことで、外洋のウイルスが黄泉の国に流入しました。

閉鎖環境で耐性のなかった生物群に爆発的に感染し、禍津鰐の食物網が一気に崩壊したのが、”クイーン“が外洋を出産場所に選んだ理由です。

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