第6話 政府会議④──封印と個体数
会議室は、水を打ったような沈黙に包まれていた。
山崎の問い──
『……なぜ皆さん、“そいつ”と単数形で呼ぶんでしょうか』
その一言が、場の空気を一変させていた。
長机に突っ伏していた稲垣が、弾かれたように顔を跳ね上げ、「あー……」と低く唸り、頭を掻きむしった。
「完全に思い込んでたわ。メガロドンがホホジロザメの近縁種ってだけで“単独行動”の習性をそのまま当てはめて……噛み跡が一つだったから“一匹”だと勝手に決めつけてた。
怪獣映画じゃあるまいし、バケモンが1匹だなんてお決まりがある訳じゃなし」
会議室のあちこちから、当惑したようなざわめきが漏れ始める。
鳥井教授は静かに目を細めた。
「……社会性、か。私が先ほど挙げた“進化の条件”の一つだ。閉鎖空間で社会性を獲得していたとしたら──“単独行動”という前提そのものが崩れる。
現時点で複数匹いるという痕跡は出ていないが、その可能性は考慮するべきだろう」
教授の話し方は落ち着いていたが、その声色の重さが、会議室の空気を沈める。
その時、これまで会議の応酬をよそに、一人で黙々と海底地形図と亀裂の写真を見つめていたブーニーハットの地質学者──白井の呟きが重苦しい静寂を破った。
「……この亀裂、ただの海底のひび割れではなく、どこかの空間と繋がっていますね。ただ割れているのではなく、内側に向かって崩落しているようです。教授の言うような閉ざされた環境があっても、地質学的に不思議ではありません」
頭に手を当てて俯いていた稲垣が、のっそりと上体を起こす。
「閉鎖された環境とはいえ、20m超の生き物が何万年も種を繋いでいた環境だ。決して狭くはない。とはいえ、小さなホホジロザメですら何万kmも回遊するんだ。何倍もデカいやつらが、狭い空間で社会性もなく好き勝手やって上手く行ったとは考えづらい。
…教授はどう考えます?」
稲垣の問いに、教授は顎に手を当てながら、ゆっくりと答えを紡ぐ。
「静岡のメガロドンは今日発見されたばかりで、年代も何も分かってはいない。だが世界ではおよそ300万から360万年前に絶滅したとされている。
閉鎖環境の広さは未知数だが、稲垣君の言う通り、巨大捕食者達が好き勝手暴れて何万年も存続出来たとは考え難い。独自の社会性、あるいは繁殖や狩りにおける何らかのルールなくして、現代まで種を繋ぐ事は出来なかっただろう。
ただ、一つだけ希望的観測を述べさせて貰うなら、社会性のある群れでの摂食行動にしては、クジラの腹部の傷が1箇所なのは、他の個体が出て来ていない証だと思いたい所だね」
稲垣が答える。
「何匹いるにしろ、祖先の好物だったクジラを一口しか食べていない理由は謎だ。サメってやつは、好きな部位だけつまみ食いするような、シャチみたいなグルメな食べ方はしない」
山崎が恐る恐る疑問を口にする。
「…1匹だとして、社会性があるのに、1匹しか出て来ないのはなぜでしょう……他の個体が大き過ぎて通れないとか、そいつだけが群れを追い出された“はぐれ個体”だとか」
再び、会議室が少しだけざわつく。
それぞれの専門家が山崎の仮説を頭の中で吟味し始めた、その時だった。
「やつは四天王の中でも……、いや、何でもない……です」
山崎の言葉が起こした一瞬のざわつきが収まり、静まり返った会議室。
そこで思いの外通ってしまった自分の呟きに驚き、海洋工学の専門家──知多は慌てて口をつぐんで資料に顔を隠した。
しかし、稲垣はその冗談のような言葉を笑わなかった。
真面目な表情で知多を睨み、ぽつりと言った。
「つまり…20m超でも、群れでは小さい個体の可能性があるって事だな」
知多が資料の上から、目の辺りまでゆっくり出す。
鳥井教授は資料を閉じ、静かに言った。
「なぜ一咬みだけなのか、どうしてそこまで巨大化出来たのか。学者としてはこのまま考察を続けたい内容だが…今の我々に、その議論を優雅に続ける余裕はないだろう。
…いずれにせよ、まずは“出口を塞ぐ”必要がある。個体数が不明な以上、これ以上の個体が外洋に出られる状況を放置するのは、あまりに危険だ」
議長が頷き、言葉を漏らす。
「封印、か……」
白井がつぶやくように話す。
「…ちなみに魚雷なんかは論外です。閉鎖空間の壁を破壊すれば水圧が乱れ、内部の生態系が一気に外へ溢れ出す可能性もあります。地下空間の隔壁の範囲や厚さが分かっていない以上、爆発物の使用は控えるべきでしょう」
稲垣は肩をすくめて付け足す。
「爆発音は“群れ全体”を呼び寄せる可能性もありますよ。もし複数いたら……地獄絵図です」
会議室が静まり返った。
知多が顔を隠していた資料を机に置き、ためらいがちに半ばまで手を挙げた。目線は資料に落ちたままだ。
「…僕も爆発物を使わないのに賛成…です」
そこまで言うと、知多は資料を指先でめくり、少しだけ早口になる。
「あ、その……海底ケーブルって、本来は海溝からもっと離して敷設されてるんですけど……写真の位置にあるのは…今回の地震でプレートがずれてるって事で、海溝の壁面そのものが不安定になってる可能性が高くて……。
で、その……もし壁面が“閉ざされた海域の境界”じゃなかったとしても、ドローンで見て来た感じだと…かなり危険な状態になってるはずで……。えっと…刺激すると、どんな事が起きるか……正直、全然読めない状況なんです…」
言い終えると、また声が小さくなる。
「……なので、刺激しない方がいい…です」
気象庁の担当者が頷く。
それを見た議長は深く息をつき、静かに言った。
「機雷等を使用した駆除は諦める必要があるな。だが、駆除方法よりも先に考えるべき事があるようだ。まずは“お出かけしているのが何匹いるのか”を確認する必要がある。そして“出口を塞ぐ方法”を検討する。以上の二点を最優先とする」
解決方法へと舵をきった議長の言葉に、冷え切った会議室の空気に、少しだけ火が灯る。
しかし20m超の黒影をして、“小さい個体かもしれない“、“1匹ではないかもしれない”という可能性は、全員の胸に影を落としていた。




