第22話 意富加牟豆美命《おおかむづみのみこと》
「残り15メートル、ブーストモード行くっスよ」
“黒影”が“IZANAMI”を噛み砕こうと、口を閉じる。
だが、黒影の鼻先に掠りながら、”IZANAMI“は辛うじて難を逃れる。
山崎の提案した電圧アップが、黒影の噛みつきのタイミングをわずかに外した。
それでも速度差は埋まらない。距離は、もうゼロだ。
海底にぶつかる寸前で“黒影”が僅かに減速しながら海溝へと舵を切る。
その一瞬を、“IZANAMI”が海溝の肩をかすめながら斜めに突っ切った。
“黒影”の凶悪な牙が水を噛む。
そのまま大きく弧を描くようなコース取りで“黒影”を誘導しながら、”IZANAMI“は亀裂の中へ入って行き、”黒影“もそれを追って行った。
”IZANAMI“視点のモニターに視線を移動させると、知多が、操作パネルから手を動かさずに小さく拳を握っているのが見えた。同時に知多が思わず呟く。
「…響くん、あの巨体の…『曲がりにくさ』を、逆手に取ったんだ。亀裂への…入射角まで計算した上で…最速のラインまで…」
その時、白州がインカムのボタンを押す。
「こちら白州!”黒影“、亀裂へ入りました!ホースの投下をお願いします」
『了解だ!投下!!』
富士の大声にインカムを着ける4人全員の顔が歪むが、表情が戻る時、張り詰めていた白州の顔が少し緩むのが見えた。
タブレットには、亀裂の狭くなっているところを進む映像が流れている。
「…C班、封印作業に入ります」
知多の連絡に、議長の返答が返って来る。
『承知した。まずは仮の封鎖を頼む』
「…承知しました」
言いながらモーターを駆動し、潜水艇は待機位置から発進する。
「…喰われたっス。でも、開けたとこまでは行ったっスよ。”黒影“がこっちに戻るには大きく旋回する必要があるっス」
響は、話しながらヘッドセットを取る。
長い時間では無かったのに、かなりの汗をかいていた。
知多は振り返らない。
モニターだけを見て、短く返す。
「…了解。今度は、僕が間に合わせます」
先程までの“黒影”の速度を思うと、潜水艇の速度がもどかしく感じる。
今にも“黒影”が亀裂から出てくる気がして、胸がざわつく。
“黒影”が入っていった巨大な亀裂の前に着くと、響が口を開く。
「亀裂によるトンネルは、10メートルってとこっス。
7メートルぐらいから急に広がるけど、そこまでは入り口と同じぐらいの直径っス」
小さく頷くと、知多が再度インカムで連絡する。
「意富加牟豆美命、…発射します」
ロボットアーム下の、“IZANAMI”がセットされていたバスケット。その片割れにセットされていたそれが射出され、亀裂の奥に入っていくとエアバッグが急に膨張し、亀裂の内側を覆い尽くした。
「こちらC班。意富加牟豆美命による仮封印を完了しました」
『そうか、承知した。
だが、万が一”桃“による仮封鎖前に”黒影“が再度亀裂に進入していた場合、引き返せない”黒影“は強引に突破して来る可能性がある。
1分間”桃“に変化がない事を確認した後、最終フェーズへと移行する」
作中にて射出された意富加牟豆美命、通称“桃”は、会議後に政府側専門家によって急遽配備された「高強度繊維による海底封鎖用エアバッグ」の作戦呼称です。
その名は古事記において、黄泉の国からの追手に対し、イザナギが投じて窮地を脱したとされる3つの桃の実に由来します。桃の実は鬼を祓う呪力を持つと言われています。
電圧アップした“IZANAMI”と“黒影”の速度差は以下のようになります。
“IZANAMI”の秒速:4.63m/s ⇨ 5.659m/s
“黒影”の秒速:6.69m/s




