第2話 遺跡
「こんな所に呼び出して、昔の人が食べていた魚の骨でも見つかったんですか?
清水の浜辺に座礁した鯨を見に行きたかったのに」
地震で少しひび割れた海岸線の道路を自転車で走らされ、登呂遺跡に到着した山崎は、荒い息を吐きながらペダルを止めた。
ヘルメットを外す手は、時折体幹を揺らす微弱な余震のせいか、わずかに強張っている。
しかし対面する男性は、慣れた様子でその不機嫌さをかわす。
「きっと君も興味を持つさ。
ところで座礁した鯨なんか、大地震の後なんだ。ないことではないだろう?」
落ち着いた口調で話す、ジャケットを着た目の前の男性は鳥井教授。
山崎の通う大学で海洋古生物学を教えている教授で、その道の一人者だ。
60代前半の初老だが、洗練された品格と渋みを持つ紳士然とした容姿。冷静沈着で穏やかな佇まいは、キャンパスの女子学生からも絶対的な人気を誇っていた。
「教授みたいな人がいるからTVでは取り上げられていませんが、SNSでは清水の浜辺に鯨が座礁してるって話題になっていますよ?
お腹に大きな穴を開けられていて、ネットではシャチにやられたんじゃないかって噂です。
でもあの傷口、ちょっと違和感があって…」
そんな話をしているうちに資料館に到着し、館長が教授を迎える。
個室に案内されると、館長は白い手袋をつけ、一つの箱を取り出してきた。
「これが電話でお話しさせていただいた、今朝の隆起断層から露出した歯です」
館長が取り出した歯は、複数のサメの歯の化石だった。
しかし、その大きさが異様だった。現生のホホジロザメのそれとは比較にならない。
山崎の手のひらほどある三角形の歯。
「これって……」
山崎は教授の顔を覗き込む。
「メガロドンである可能性は高いだろうね。いくつかあるようだし、1つを持ち帰って解析しても?」
「どうぞお持ちください」
館長に見送られて資料館をあとにし、自転車を押しながら山崎は、溜めていた疑問を吐き出す。
「……あの、日本にメガロドンなんていたんですか!?」
「静岡で発見されたという話は聞かないが、日本ではいくつかの場所で見つかっている。
昔はメガロドンの歯が“天狗の爪”として祀られていた例もあるんだ。
静岡県内でも伊豆や浜松に天狗伝説が残っているだろう?
だから、この辺りで見つかっても不思議ではないと思っていたよ」
山崎が少し目を輝かせ始めたのを見て、教授は微かに微笑む。
それに気づいた山崎は、咳払いをして必死に平常を取り繕う。
すると、ジャケットの裾からチラリと見える、教授の右手首に巻かれた包帯に気づく。
その視線に気づいた教授が答える。
「あぁ、これか。
停電の暗闇の中で避難中、高台に殺到する人波に巻き込まれてね。人に押されて縁石にひどく手をついてしまったんだ」
「ニュースで言っていた怪我人って…」
「恥ずかしながら、私も含まれているだろう」
話を逸らすように、山崎は少し大きな声で先ほどの会話に戻す。
「ここら辺の海にも、こんな怪物が泳いでいたんですね。
……でも、いくら巨大化したホホジロザメみたいなやつが近代の海にいたとしても、海の王者がシャチだってことは揺らがないですよね?」
「集団狩りに特化し、身体能力の高い現代のシャチには敵わないだろうね。
遊泳速度ではシャチの半分ぐらいの速度しか出なかったのではないかと言われているぐらいだ。
実際にメガロドンが絶滅したのも、気候変動による海水温の低下以外に、新たに現れたライバルに、その遅さ故に獲物の取り合いで負けたことが原因だとも言われているんだ」
「直接やりあっても勝てないですか?」
「歯の構造と顎の閉鎖圧からして、噛み付くチャンスさえあれば致命傷は与えられるだろう。
ただし、オーストラリアやカリフォルニアなどで報告されているように、シャチは集団で効率よくホホジロザメを狩る。
鈍重で単独行動のメガロドンに、そのチャンスは巡って来ないだろうね」
山崎は少し考え、口を開いた。
「じゃあ……もしメガロドンがシャチと戦えるようになるとしたら、どんな進化が必要なんですか?」
教授は歩みを止め、少しだけ目を細めた。その瞳に、学術的な好奇心の光が灯る。
「まずは速度。そして社会性だ。この二つをクリアしない限り、ホホジロザメを狩るノウハウを共有する地域のシャチの群れには太刀打ちできないだろうね。
それから、シャチが狙ってくる腹部の防御力。鮫肌の密度を上げて皮下脂肪と筋肉を厚くすれば、あるいは……。
鮫肌の配列を流体力学的に最適化しつつ密度を上げれば、速度も少し上がるかもしれない」
興味深い質問に、自問自答のように可能性を紡いでいく教授。
自分をChat AI扱いして来るこの若者の、本質を突くセンスを教授は存外気に入っており、時折こうして助手扱いして呼び出している。
「せっかく頂点捕食者になりうるメガロドンの条件を教えてもらったので……
もしその“強化版メガロドン”を現代に生き残らせるとしたら、どんな条件が必要なんですか?
たとえば……映画の『MEG』みたいに、外界と隔絶された環境があるとか」
その時、教授のスマホが鳴り、教授は静かに通話に出た。
「──私だ。……そうか」
通話している教授が、目を細める。興味深い物を見つけた時の目だ。
「……そうか。承知した。ただし、その場には地質学の専門家も呼んでおいてほしい」
短い通話を終えると、教授はスマホを収め、山崎の方へ向き直った。
「先ほどの質問の答えは、場所を変えて話そうか」




