3 ソルスペスの花冠
ソルスペスの咲き乱れる季節は、夏の入り口だ。
公国の夏は気温はそこそこ上がるが湿度が低く、そもそもそれほど過ごしづらい季節ではない。乾いた風も吹く。
真夏に向けて陽射しは強くなるが、科学技術と魔術が最低限の干渉を行い、それを和らげている。他の季節についてもそれは同様で、移ろいは感じられつつも過酷な時期はない。
「夏がすぐそこまで近付いている匂いの風です」
街を抜け、休息の野に繋がる小路に入った頃、日傘を差したモモがふと目を閉じてそんなことを言った。
「うむ、そこは妾たちの故郷とも変わらぬな」
同じように日傘を差したサクラも頷く。たっぷりとレースがあしらわれた日傘はクローディーヌ公女から二人に贈られたもので、二人はそれを大層気に入っていた。外出の際は欠かさず持ち歩くのだ。
「そうなんですね、サクラちゃんとモモちゃんの故郷の夏は、どんな季節なんですか?」
先導するオディルが振り返って問うと、サクラとモモは顔を見合わせてから答えた。
「まず、夏の前には雨が降り続く。湿度も高いな、その辺はこのエスペリアとは大違いだ。だが雨に似合う花が咲く」
「夏は暑くて、陽射しも強いです。エスペリア公国のような技術はないので、直に陽射しが照りつけます。けれど――お日様のような花も咲きますわ。ね、お姉さま」
そして、二人はふふ、と笑い合う。
「エスペリアとはずいぶん違うんですね……なのに、夏の匂いがわかるんですか?」
「ふふん。妾たちは花の神の血を引くからな。季節を運ぶ花の匂いはよく判るのだ、知らぬ花でもな。この風にはそれが混じっている。夏はすぐそこだ」
サクラが誇らしげに言って、モモも控えめな笑みとともに頷いた。
「――現在、その血を狙う悪しき者もいるため、同盟国である我が公国がお二人を保護しているわけですが……」
「うむ、メリザンド。母上が妾たちをこの公国に寄越したのは、ここの方が安全だと判断したかららしいな」
「魔物は出ると聞きましたが――この公国の戦士たちは見事なものです。お陰で平和に過ごせています。メリザンドも頼りになります。オディルとのお出掛けも楽しみです」
二人の言葉に、メリザンドは恭しく一礼し、オディルも敬礼で応じる。
「……さあ、休息の野はもうすぐそこです。ほら!」
オディルの示す先に、白い絨毯が見える。絨毯の正体は、こぼれ種で広がる八重咲きの花、ソルスペスだ。一斉に咲き乱れるそれが、野原を敷き詰めているのだった。
「……わあ!」
サクラとモモはぱあっと顔を輝かせると、思わず駆け出した。
「お二人とも、そのように走られては……!」
メリザンドがとっさに、小路の所々にある小石などを魔法で取り除き、せめてもの安全を確保する。メリザンドはそういった魔法を身に着けていた。それゆえに二人の専属メイドとして指名されたのだ。
「転んでしまうと危ないです、サクラちゃん、モモちゃん!」
オディルも慌ててあとを追った。
「ふふっ、心配には及ばぬ! なあ、モモ!」
「はい!」
二人の姫君たちは笑いながら、オディルたちからすると動きづらそうなキモノドレスの可動域をものともせず、そしてつまずくこともなく休息の野に入った。オディルとメリザンドも追いつく。
「……これが、ソルスペスか」
サクラはしゃがんで、まじまじとその花の一つを観察した。
「茎のすっとしたところは白詰草に似ていますが、花の形は違いますわね。オディルがさっき、花冠を作ると言っていたのも納得です」
モモも興味深そうに頷きながら、サクラに倣う。
「白詰草……確かトレフルでしたね、隣国にも咲くようです。エスペリアではあまり見掛けませんが……」
花に詳しいオディルが知識をたぐり寄せた。
「公国でも、田舎の方ではたまに見掛けますよ。セレニアのような都市部になると、公国独自で進化を遂げた花の方が多くなりますからね」
メリザンドは地方出身であり、白詰草ことトレフルにも比較的馴染みがあった。オディルは生まれも育ちもセレニアで、余所へ出たことがなかった。
「そうだったんですね! 実は投影図鑑でしか見たことがなくて」
投影図鑑とは、その場にホログラムで対象を浮かび上がらせ、情報に触れられる技術だ。公国の科学者たちの叡智の結晶で、今では国民全体がその恩恵を受けている。
「そんなことより、花冠だ!」
サクラが声を弾ませ、
「きっと可憐な冠になります」
モモもその仕上がりを予想しながら、うっとりした表情を浮かべた。
「ふふっ、そうですね、恐らくトレフル……白詰草の花冠と作り方は同じです、サクラちゃんもモモちゃんも――」
「もちろん知っている!」
言葉の後半を元気に引き取って、サクラは早速ソルスペスに手を伸ばした。
「――少しばかり、いただくぞ」
花に声をかけ、そっと摘み取る。モモも慈しみの表情を浮かべ、
「……わたくしも、少しいただきますね」
ソルスペスを労るような調子で言うと、茎を長めに取って根元でソルスペスを摘んだ。花に声をかける習慣がなかったオディルとメリザンドは、二人が花の神の血を引く存在であることを改めて突き付けられたような静かな衝撃を受ける。
それから、華神族に倣ってソルスペスに感謝を述べ、花を摘み取った。
四人はしばし、花冠を作ることに夢中になる。サクラとモモはもちろんのこと、オディルもメリザンドも、幼い頃のことを思い出しながら熱中した。公国の子供たちは大抵、ソルスペスの花冠に二度か三度は夢中になるものだ。誰もがその花冠にそれぞれの思い出を持つ。だからソルスペスの花言葉は『思い出』だ。
オディルにとってそれは、幼い頃に兄のエクトルと過ごした時間だった。エクトルは器用で、何でもできる兄だった。完成した花冠をオディルの頭に載せ、お姫さまのように扱ってくれた。
メリザンドにとってのそれは、妹たちと過ごした時間だった。末の妹はなかなか上手く花冠を編めず、泣きそうになっていた。妹が泣かないように童謡を口ずさみながら、妹の頭に載せるのにちょうど良い小さな花冠を編んだ。
「……ふふ」
真っ先に花冠を完成させたのはモモだった。真っ白で可憐な花冠を両手に載せ、満足そうに微笑む。
「相変わらずモモは器用だな――妾もできたぞ」
続いてサクラが同じように花冠を仕上げ、何度か頷く。オディルの花冠も完成した。
「……私も、どうにか」
メリザンドの花冠には、ソルスペスの花だけではなく葉も編み込まれている。
「わあ、メリザンドさんのは葉っぱも編み込むんですね?」
「はい。私の地元では、このように」
華神族の専属メイドは、少しはにかんで答えた。
「うむ、ソルスペスの全てを余すところなく使った冠も良いな」
サクラが感心したように言い、モモとオディルも同意を示す。
「つい、童心に返ってしまいました」
はにかんだままの表情で、メリザンドが小さく付け足した。ソルスペスの花冠作りは、大人のことも束の間少女に戻す。正確にはどのくらいの時の流れを経ているのか判らない華神族の姫君たちと、成人している二人の女性は、この瞬間、紛れもなく四人の少女たちだった。
それぞれが自分の花冠を頭に載せ、笑い合う。
少女たちを優しく包むように、風が吹き抜けた。




