1 セレニアの朝
エスペリア公国の城下町、石畳の大通りを、栗色の髪を靡かせながらオディルは駆けていた。
首都セレニアは今日も朝から活気に溢れている。
「おはよう、オディル、今日は宮殿に行く日かい?」
「おはようございます、ジェラルドさん! はい、サクラちゃんとモモちゃんをご案内して回る日です!」
「ご苦労さんだね、東国の姫君たちにもよろしく伝えておくれ」
「はい! ジェラルドさんも良い日を!」
「オディルもな!」
住民と言葉を交わすと、オディルはまた息を弾ませながら駆けていく。
オディルはこの街で保安官見習いをしており、今日は公国が保護している、東国の華神族の二人の幼い姫君たち、サクラとモモのお付きをする日だった。
エスペリア公国。
西の大陸にある、科学と魔術の最先端が共存する豊かな公国だ。
優れた技術は発展の一途を辿り、一方で古くから伝わる魔術や占術も大切に受け継がれている。
その街並みは堅牢で、しかし常に人々の活気が漂う。セレニアの城下町は特に、古式ゆかしい景色が広がる。その中にあらゆる科学技術が溶け込んでいるのだった。
例えば建物の鍵。物理鍵も存在する一方で、その家の住民がドアノブに触れることで指紋や静脈による認証を行い、解錠が可能である。
例えば情報技術。端末を用いる者もいるが、多くの者は腕に着けた装飾品を用いて目の前の空間にディスプレイを投影し、視線の動きでそれを操作する。
それらはエスペリア公国や世界各国の技術者たちが成し遂げた偉業の恩恵であった。
それと同様に、古から受け継がれてきた魔術、占術、あるいは呪術も伝統を守りながら発展を続けている。魔術師や占術師の権力は、今でも衰えていない。
この堅牢な街並みには理由があった。公国周辺、否、世界には今も、魔物が存在しているのだ。騎士や兵士、そして術士たちが討伐しているとは言え、魔物の数はゼロにはならない。それでも国が発展を続けられるのは、その戦士たちが魔物の侵攻を確実に防いでいるからとも言える。
彼らに守られた内側で、住民たちはそれぞれの暮らしを送っていた。街並みが守られているとはつまり、戦士たちの力の証明だ。
やがてオディルは、宮殿にほど近い商店街に店を構える花屋の前まで辿り着いた。
「オディルや、おはようさん」
店主であるアランの母親、マノンがのんびりした口調でオディルを呼び止める。
「マノンさん、おはようございます」
オディルは立ち止まって微笑んだ。マノンの手には、季節の花であるローテやマリガンで作られたブーケがあった。
「今日はこれをね、東国の姫君たちに届けてくれやせんかね」
オディルが宮殿を訪れ、サクラとモモのお付きをする日には決まって、マノンはこうしてブーケを用意して店の前でオディルを待っているのだ。
それはマノンの、華神族に対する敬愛と歓迎の心が込められているものだった。
「ありがとうございます、お届けしますね。サクラちゃんもモモちゃんも、喜ばれると思います」
「頼むよ、オディル」
「はい。では確かに預かりましたよ!」
丁寧にブーケを受け取ってから、オディルは明るく良い日を、と告げ、宮殿へと急ぐ。マノンはにこにことそんな彼女を見送った。
宮殿と街とを隔てる重厚な門の前には、番人として二人の兵士が立っていた。
「よぉ、オディル。今日も時間通りだな」
軽く手を上げて気さくに声をかけたのは、オディルの幼なじみのシルヴァンだ。
「おはよう、シルヴァン。それにジェレミーさんも。これでも保安官見習いですからね、時間は守るわよ」
「正式試験まであと半年だな。頑張れよ、オディル」
ジェレミーも暖かな言葉を向ける。保安官見習いであるオディルが、彼女の夢である正式な保安官に任命されるためには、半年後の試験に合格する必要があるのだ。現在はそれに向けての研修中の身である。
「ありがとうございます」
「……にしてもエクトルさん、どこにいるんだろうな? あれから六年だろ? 俺は――あのエクトルさんが、魔物にやられたとは思えないんだがな」
ふいにジェレミーの口から漏れた言葉に、オディルは途端に寂しそうな微笑を浮かべた。
「――わたしも、お兄ちゃんは絶対帰ってくるって思ってます。まだちょっと……情報が入らないだけで……例えば魔深の森で足止めを喰らっている、とか……」
「わ、悪い、オディル、つい……」
「大丈夫です、ジェレミーさん。ごめんなさい、今朝方ちょっとお兄ちゃんの夢を見て、つい心細くなっちゃってただけです、気にしないでください。ジェレミーさんも、それにシルヴァンも、何かと色んな人に尋ねてくれてるじゃないですか、お兄ちゃんのこと」
寂しい色を吹き消して、オディルは再び明るく言った。
「ま、俺たちは門番だし、ここは色んな奴が通るしな。情報収集にはうってつけさ」
シルヴァンが胸を叩く。
オディルの兄であるエクトルは、六年前の秋、魔物の討伐部隊の一員として国境付近に向かった。
部隊は強力な魔物に辛勝したものの、隊員の帰還は半数に留まった。残りの半数は、戦闘で命を落としたか、行方不明となっている。エクトルは行方不明になった兵士の一人だ。明確な死亡情報はなく、オディルたちはその生存を信じていた。
エクトルは、疾風の兵士として知られていた。
これまでにオディルたちが得たエクトルの最後の目撃情報は、その二つ名に相応しく疾風のように剣を振るっていた、というものだ。
「ったく、エクトル兄さんも手紙くらい寄越せよな。なぁ、オディル」
幼なじみであるシルヴァンも、エクトルを実の兄のように慕っていた。シルヴァンは一人っ子だし、エクトルはよく、オディルと一緒にシルヴァンの面倒も見たからだ。
「そうだね……手紙も魔深の森で迷ってるのかもしれないわ。あの森はほら、何でも迷わすから。あ、いけない、早くサクラちゃんとモモちゃんのところに行かないと!」
「っと、そうだな。じゃあオディル、ここで認証な」
ジェレミーが、門の解錠システムとなっている鍵穴を示し、オディルはいつものようにその鍵穴に触れる。公国が誇る最先端の科学技術が、彼女がこの門を通っても良い人間として登録されていることを認識し、門がゆっくりと開き始めた。この認証を通過していない者は、この空間を弾かれる。
「じゃあ、二人とも、また!」
開いた門を無事に通過し終えると、オディルは二人に声をかけ、ブーケを持ち直して宮殿の敷地内を進んでいった。




