違和感
総統官邸・戦略会議室
冬の夜。雪は静かに降っていた。
重厚な長机の上には王国との国境地図。
鉄道網、橋梁、工業地帯、軍備集積地点。
ヴァルターは立ったまま、地図を見下ろしている。
「……王国は我々を挑発している」
壁際に並ぶ将官たちが沈黙する。
「国境での“偶発的発砲”。
通商協定の一方的停止。
諜報員拘束。」
彼は振り返らない。
「これは戦争だ。まだ宣言されていないだけの。」
リシアは資料をめくる。
数字。
冷静な数字。
国力回復率 63%。
重工業生産量 72%。
戦車配備数――まだ不足。
「総統」
彼女の声は静かだった。
「王国の動員率は我々を上回っています。
現段階での全面衝突は――」
ヴァルターがゆっくり振り返る。
その目は冷たく澄んでいた。
「だからこそ、今だ」
部屋の空気が変わる。
「王国は“まだ”戦争を望んでいない。
彼らは我々の再軍備が不完全だと見ている。
ゆえに動かない。」
ヴァルターは地図上の一点を指す。
「ここで爆発が起きる」
将官たちが息を呑む。
「国境の橋だ。
我々の輸送列車が爆破される。
犯人は王国側工作員。」
リシアの視線が止まる。
「……証拠は?」
「作る」
その一言は、あまりにも軽かった。
「民衆は既に準備ができている。
経済は安定し、誇りは回復し、敵を求めている。」
ヴァルターはゆっくり歩く。
「戦争は“始まる”ものではない。
“始める”ものだ。」
静寂。
リシアの胸の奥で、何かが凍る。
会議後・廊下
重い扉が閉まる。
廊下には誰もいない。
リシアは一人、立ち尽くしていた。
あの雪原を思い出す。
ティアの血。
砲煙。
敗北。
“二度とあの戦場は繰り返さない”
そのはずだった。
だが今、総統の目は違っていた。
復讐ではない。
防衛でもない。
あれは――
設計だった。
歴史を、意図的に動かす設計。
リシアは気づく。
総統は
「必要だから戦う」のではない。
「戦うことで完成する」人間なのだ。
胸の奥で、微かな違和感が芽生える。
だがそれはまだ、疑念ではない。
ただ――
かつて戦場で感じた
“勝てるはずがない戦いの匂い”に似ていた。
雪が窓の外で降り続ける。
そして翌朝――
国境の橋は爆発した。
総統官邸・執務室
爆破事件から三日後。
国境の橋の爆発は大々的に報じられた。
新聞は「王国の卑劣な攻撃」と断じ、街には怒りが渦巻いている。
リシアは執務室に呼ばれた。
ヴァルターは窓辺に立ち、背中越しに街を見下ろしている。
広場では群衆が集まり、抗議集会が開かれていた。
「……よくやってくれた」
振り返らずに言う。
「軍の動員は?」
「予定通り。国境沿いに三個師団が集結しています」
リシアの声は平静だった。
だが、ほんのわずか――
いつもの鋼のような冷たさが、足りない。
ヴァルターはその“わずか”を聞き逃さなかった。
「君は、何か言いたいことがあるな」
静かに振り向く。
目が合う。
リシアは一瞬だけ迷う。
「……この戦争は、避けられた可能性があった」
空気が止まる。
ヴァルターは微笑んだ。
怒らない。
否定しない。
「避けられたかもしれない。だが、それで何が残る?」
彼は机に歩き、書類を手に取る。
「王国は我々を締め上げ続ける。
経済圏は封鎖され、資源は絞られる。
いずれは窒息する。」
一歩、近づく。
「君は戦場を知っている。
“待つ戦い”がいかに不利かを。」
リシアの脳裏に撤退戦がよぎる。
押し込まれ、包囲され、削られていった日々。
ヴァルターは続ける。
「私は戦争が好きなのではない」
声が低くなる。
「私は、“選択権”を失うことが嫌いなのだ」
沈黙。
その言葉は、論理として正しい。
だからこそ危うい。
ヴァルターはさらに踏み込む。
「……それとも君は」
ほんの僅か、声色が変わる。
「また敗北する未来を選ぶのか?」
その一言が、リシアの胸を刺す。
敗北。
ティア。
雪。
崩れ落ちる第零。
彼女の拳が無意識に握られる。
ヴァルターはそれを見逃さない。
「私は君を理解している、リシア」
穏やかに言う。
「君は復讐者ではない。
合理主義者だ。」
「だからこそ、私は君を隣に置いている」
微笑む。
「私が暴走しないために。」
その言葉は、甘い罠だった。
“自分は制御役だ”
そう思わせる。
リシアの中で、違和感が揺れる。
だが同時に、
「ならば私が見ていればいい」
という責任感が生まれる。
ヴァルターは最後に言う。
「信じてほしい。
私は祖国を愛している。」
その目は、嘘をついていない。
だからこそ――
リシアは混乱する。
廊下
部屋を出た瞬間、冷たい空気が肺に入る。
何が正しい?
彼は戦争を設計した。
だが、彼の理屈は合理的だ。
違和感はある。
だが決定的な“悪意”は見えない。
それが最も恐ろしい。
リシアは気づく。
ヴァルターは嘘をついていない。
だが――
真実を選んでいるとも限らない。
心理戦は始まった。




