同盟
帝都アルンベルク——敗戦から四年。
冬の空は澄み渡り、大通りを行き交う人々の顔には、かつての飢えと疲弊の影はなかった。
市場の棚は豊かに満たされ、鉄道駅には新造車両が並び、工場の煙突からは途切れぬ白煙が立ち上っている。
敗戦直後、焦土の上に膝をついていた国とは、もはや別物だった。
常備軍は条約の規定をとうに超え、百万人規模へと膨れ上がっていた。
その中でも黒い制服を纏った武装親衛隊は五十万。ハイドリヒの手で徹底的に鍛え上げられた精鋭であり、忠誠と残虐さを併せ持つ帝国の鉄槌だった。
航空戦力も、戦闘機・爆撃機合わせて千機を数える。
その中には、条約で開発すら禁じられていた長距離戦略爆撃機も含まれ、銀色の巨影が新設された滑走路に列を成していた。
だが、この露骨な軍拡を前にしても、ユルド王国は沈黙していた。
理由は一つ——再び大陸全土を巻き込む総力戦を避けるためだ。前大戦で得たものより失ったものの方が大きいことを、彼らは骨身に刻んでいた。
北方のサヴェリナ公国もまた口を閉ざす。共産主義者の反乱鎮圧に追われ、国外情勢に干渉する余力などなかった。
そして、この状況を作り上げた三人の名は明白だった。
国家経済と産業の再建を成し遂げたリシア・フォン・ヴェルン。
裏から諜報と粛清で道を開き、敵国の警戒心を麻痺させたラインハルト・ハイドリヒ。
そして、民衆を陶酔させる言葉と存在感を持つ、総統ヴァルター・エッケルト。
リシアは省庁街の高層庁舎から首都を見下ろしていた。
遠くに見える飛行場では、戦略爆撃機が滑走路を占領し、黒い制服の整列が冬の陽に光っている。
——四年前、この光景を想像できただろうか。
しかし、その胸中に浮かぶのは達成感ではなく、冷たい計算だった。
豊かさと軍事力は、再び戦火に向かうための足場に過ぎない。
《夜明け》計画はまだ完成していない。
本当の意味で世界を変えるのは——これからだ。
*
帝都南方・山岳地帯。
吹雪の中、切り立った崖を背に、コンクリートの巨大な壁が口を開けていた。
表向きは「新型発電施設建設現場」。だが、その奥深くには、外界から完全に隔絶された《夜明け》計画の心臓部——最終組立施設が隠されている。
内部は広大な地下空間で、何層にも渡る鋼鉄の梁が天井を支えていた。
クレーンが吊り下げるのは、巨大な金属球の半分——まだ未完成の爆縮殻だ。
作業員のほとんどは偽名を使い、施設外に出ることは許されない。
中央部の隔離作業区には、白衣と防護マントを着た技術者たちが、手袋越しに精密部品を組み上げていた。
リシア・フォン・ヴェルンは、防護ゴーグルを外し、視察用通路から下を見下ろしていた。
横に立つ技術主任メルツが、苦々しい顔で言う。
「精製ウランの確保が依然として不安定です。鉱石の搬入ルートは確保していますが、精製工程が律速になっている。純度九〇パーセントを安定して出すには、あと半年は必要でしょう」
「半年……」
リシアは視線を金属球から逸らさず、低く繰り返した。
半年あれば世界情勢は一変し、敵国に先手を打たれる可能性もある。
さらにメルツは続けた。
「起爆レンズの魔導回路はまだ試作段階です。魔力干渉による同期ズレが完全に解消できない。これが残れば、臨界反応が暴走する危険があります」
別の監督員が資料を差し出す。
そこには、失敗した試験の記録——試作殻が内部圧力で破裂し、実験区画を吹き飛ばした写真が貼られていた。
「……これを実戦兵器に仕上げるには、最低でも三度の全工程試作が必要です」
リシアは書類を閉じ、通路を歩きながら言った。
「いい。時間はかかっても構わん。ただし——その間に敵に嗅ぎつかれることだけは許さない」
視察の最後、彼女は通路の奥で待っていた黒い制服の男に目を向けた。
ラインハルト・ハイドリヒだ。
彼は施設全体を見回しながら、短く言った。
「ここにあるものは、帝国の未来だ。未完成の間は、牙を隠す。それが生き残る唯一の道だ」
リシアは頷いた。
まだ完成は遠い——だが、この暗い山奥で静かに育つ“牙”が世界に放たれる日を、誰も止められはしない。
*
帝都アルンベルク・総統官邸、戦略会議室。
分厚いカーテンが引かれた室内で、通信参謀が緊迫した声をあげた。
「報告! 本日未明、イタリス王国で軍部によるクーデターが発生。国王派閥は拘束され、臨時軍事評議会が政権を掌握。新政権は即座に帝国との軍事同盟を打診してきています」
会議室に一瞬、静かな空気が落ちる。
地図上のイタリスは、帝国から見て南西、地中海に似た内海を挟んだ位置。
豊富な工業力と港湾施設を持つが、内政腐敗と経済危機で長く不安定だった国だ。
リシア・フォン・ヴェルンは椅子から身を乗り出し、淡々と問いかけた。
「新政権の首班は?」
参謀が答える。
「陸軍参謀総長のルチアーノ・ベルティ元帥。反共主義者で、ガーヴァ連合残党の殲滅を公約に掲げています」
その言葉に、黒い制服の男——武装親衛隊司令官ラインハルト・ハイドリヒが、低く笑った。
「なるほど。我々と利害は一致する。だが同盟という言葉は軽々しく飲み込むべきではない」
リシアは地図に視線を落とす。
「イタリスが我々と結べば、南方海域の制海権を押さえられる。その代わり、ユルド王国は包囲感を強め、反発するだろう」
ハイドリヒが腕を組み、鋭い目を向ける。
「だからこそ、まずは“試す”必要がある。イタリス軍がどれほど忠実に我々の利益に従えるか、実地で確かめる」
リシアは頷き、素早く方針を口にした。
「ならば、同盟の前に共同作戦だ。ガーヴァ連合残党掃討の南方作戦にイタリス海軍を投入させる。その実績と忠誠を見極めた上で条約に署名する」
ハイドリヒがわずかに口元を吊り上げる。
「了解した。交渉と同時に、イタリス軍の高官に我々の“牙”の一端を見せてやろう。従順さは恐怖から生まれる」
その日午後、リシアは再建省の外交顧問団を招集し、秘密裏にイタリスとの会談準備を始めた。
ハイドリヒは別ルートで親衛隊の連絡将校をイタリスに派遣し、軍政内の権力構造を裏から洗い出す。
両者の動きは迅速だった。
帝国が南西の新たな同盟国を手に入れるかどうか、その答えは数週間以内に決まる——
だが、この接近は、大陸全体の勢力図に再び波紋を広げることになる。
*
帝都アルンベルク・中央駅。
灰色の冬空の下、特別装飾を施された深紅の列車が静かにホームへ滑り込んだ。
降り立ったのは、イタリス王国軍事政権の首班ルチアーノ・ベルティ元帥と、その随行将校団。
海軍の白い礼装、陸軍の緑、空軍の青が並び、その背後には表情を読ませない護衛兵が控えている。
ホームの向こうで待っていたのは、漆黒の制服に銀の飾緒を纏った武装親衛隊。
隊列は寸分の乱れもなく整列し、軍靴の音すら一糸乱れぬ調子で響いていた。
先頭に立つのは、総統直属武装親衛隊司令官ラインハルト・ハイドリヒ。
背筋を伸ばし、冷たい青灰色の瞳で客人を迎えた。
「遠路ご苦労、ベルティ元帥」
その声は低く、しかし空気を切り裂くように鋭かった。
ベルティは一瞬だけ相手を値踏みするような視線を向けたが、すぐに握手に応じた。
「閣下のお噂は耳にしております。実際にお会いでき光栄だ」
握手は形式的なものだったが、その背後で展開された光景が本当の“歓迎”だった。
ハイドリヒの指示で、武装親衛隊の精鋭大隊が閲兵式を開始。
最新鋭の自動小銃、長距離狙撃銃、そして帝国でしか製造できない装甲車が列をなし、黒い軍服が冬の陽光を反射して銀の稲妻のように光った。
ベルティの後ろにいた海軍少将が、低く息を呑むのが聞こえた。
イタリス国内の軍事力は決して弱くなかったが、この規律と装備の質は別格だった。
ハイドリヒはベルティの耳元に低く囁いた。
「これが、帝国が守ると決めた国に与えられる“盾”だ。……そして、逆らう者が受ける“鉄槌”でもある」
ベルティは一瞬だけ目を細めたが、やがて微笑を浮かべた。
「貴殿の言わんとすることは、よく分かった」
そのやり取りを遠くから見ていたリシア・フォン・ヴェルンは、駅舎のバルコニーから二人を見下ろしていた。
(恐怖と畏敬を同時に植え付ける……あの男は外交の場でも戦場の将だ)
そう感じながら、彼女はこの訪問がただの儀礼ではなく、イタリスを実質的に帝国の勢力圏に組み込む第一歩になることを確信していた。
この後、帝都での晩餐会と極秘会談が予定されている。
そこから先は、剣ではなく言葉と策略で国を征服する時間だった。
*
帝都アルンベルク・総統官邸、大広間。
高い天井から下がるシャンデリアが黄金色の光を放ち、長大な晩餐テーブルには銀器と水晶杯が規則正しく並んでいた。
赤いカーテンの向こう、楽団が静かな弦の旋律を奏で、場を柔らかく包み込んでいる。
中央の席に座るヴァルター・エッケルト総統は、朗らかな笑みを浮かべ、正面のルチアーノ・ベルティ元帥に杯を掲げた。
「ベルティ元帥、ようこそ帝都アルンベルクへ。……あなた方の迅速な行動と決断力には感服しました」
ベルティも微笑を返し、ワインを口にする。
「我々も、帝国の復興と軍の整備には驚嘆しています。敗戦から僅か四年で、これほどの再建を果たすとは」
両者の言葉には、形式ばった外交辞令以上の熱があった。
帝国とイタリス——立場は異なれど、どちらも共産主義勢力と隣国の干渉を嫌い、国を強くすることを望む点で一致している。
席の横で、リシア・フォン・ヴェルンは静かに二人のやり取りを観察していた。
総統は相手を威圧するでも、試すでもなく、真正面から同盟の利点を語っている。
「イタリスの海軍力と港湾施設は、南方海域の安定に不可欠です。我々は陸の強みを持っていますが、海ではあなた方の経験が必要だ」
ベルティは頷き、即座に応じた。
「帝国の工業力と兵器技術は、我々の防衛を何倍にも高めるでしょう。——力を合わせれば、この地域の秩序は揺るがぬものとなる」
やがてデザートが下げられると、総統は席を立ち、暖炉前の円卓へと客人を誘った。
ここからが、本当の交渉だった。
円卓に腰を下ろすと、ハイドリヒが地図を広げる。
「同盟が成立すれば、第一段階として南方海域の共同作戦を提案します。ガーヴァ連合残党の掃討です」
ベルティは地図に視線を落とし、深く頷いた。
「我が艦隊を投入しましょう。作戦計画は帝国と共同で策定したい」
総統はその言葉に満足げに微笑んだ。
「素晴らしい。これは単なる同盟ではない——未来のための協力です」
リシアは、その場に漂う空気が強い信頼と熱意で満たされていることを感じ取った。
この同盟は、力で縛るのではなく、共通の利益と目的で結びつく。
だが同時に——それは帝国の影響圏が南方へ一気に広がることを意味していた。
暖炉の炎が静かに揺れ、杯が重なる澄んだ音が響く。
それは祝宴の音であると同時に、二つの国が共に歩む新たな戦線の合図でもあった。




