プロデビューの日
翌日。
昨日とは違い、予定どおりの朝6時に目覚め、朝のメニューをこなす。
8時までで切り上げ、昨夜と同じく、鶏肉とオレンジジュースだけ摂り、試合会場へと向かった。
10時50分には会場に着き、ロビーで試合の受付を済ませ、昨日と同じ控室に入った。
11時から諸々の準備をし、試合への心構えをする。
今日のデビュー戦は試合開始時刻が12時。
新人はほとんどが最初の試合に組まれる為、この時間となる。
入場の時間となり、俺は左端の控室から会場口のドア前で待機。
対戦相手と思わしき人も会場右端の控室からの会場口のドア前で待機する。
ここでリングアナウンスが流れる。
「両選手、リングに入場です」
点いていた照明が暗くなり、改めてアナウンスが始まる。
「始めに青コーナーより、本日デビュー戦。住坂雅玖の入場です」
係員より合図が出た為、俺は会場内の通路を歩くと照明も追従して、セコンドと一緒にリングに近づく。
とりあえず、リングに向かってファイティングポーズをしてからロープの真ん中をくぐってリング内へと入る。照明が会場全体を明るくする。
また、会場の照明が暗くなる。対戦相手に合わせて、照明も追従する。
「続きまして、赤コーナーより彦 敦選手の入場です」
俺とは逆側の通路から対戦相手がリングへと近づいて行く。
そして、相手は俺に一礼してからリング内に入り、照明も会場全体を照らす。
両者ともに各コーナーの前に待機する。
今回の対戦は両者ともにガウン未着用な為、すぐにリングアナウンスが進行する。
「本日の第1試合。ウェルター級4回戦を行います」
一瞬の静寂。観客も静かに見守る。
「赤コーナー146.8パウンド。闘将ボクシングジム所属、彦ーーあつゥゥしィィ」
対戦相手が右回りに計4回観客に向けて礼をする。
「青コーナー141.1パウンド。今年4月に16歳でプロテストをクリアし、正真正銘の最年少記録で4回戦プロデビュー。住坂ボクシングジム所属。住坂ーー雅ァァ玖ゥゥ」
俺は対戦相手に相手に一礼して、レフェリーに対しても一礼する。
観客はと言うと、それなりに声援が上がった。
「ジャッジ古野和男、同じく東原武、同じく亀川源治、レフェリー塚元吉彦」
レフェリーは両コーナーを割るように一歩進み、対角のコーナー側に一礼する。
次に両手を両選手に向けて広げ、各コーナーに静止する。
今度は俺たちを自身の近くを寄せ、グローブを確認し、試合の注意事項をひと通り説明する。
注意事項と言うのは
「自分の身を守れ」
「私の指示に従って」
「ブレイクと言ったらパンチを止めて」
「グローブを合わせて、ゴングが鳴ったら戦って」
おおよそこんな感じだ。英語でもこの基本的な注意事項は変わらない。
そして、これから両選手に対する呼びかけで、
「日本ウェルター級4回戦JBOルールを守って、ベストを尽くし、悔いを残さないように頑張って、以上」
これが、俺達が登録している団体、JBOによる決まり文句となっている。
レフェリーが両手を広げ、手のひらを上に受けて、両選手は各コーナーへと戻る。
俺はファイティングポーズを取って、試合へのスイッチを入れる。相手も同じ動きをしている。
「ラウンド、ワン」
次の瞬間、ゴングが鳴ると同時にレフェリーもそのまま両手を内側に付け、試合開始の合図となる。
相手がいきなり、頭の軸が右に少しブレたのを確認し、脇を締めながらジャブ気味の右フックを叩き込む。
わずか4秒の攻撃に相手は顔を右方向に持って行かれる。
明らかに苦悶の表情をしたので、これで上は警戒してくれるだろう。
俺は見せジャブを左右に打ちつつ、たまにワンツーで打ち込みながら、さらにガードを上に重点を置くように仕向ける。
開始時間から1分13秒。
完全に顔周辺にガードが偏ったので、ここで力を入れずに右ジャブ。からの脇を締めながらの少し高めの左ボディブロー。
相手はボディブローを顔への左ジャブと勘違いして、顔をガードするが、位置が違うので、そのまま強打した。
3秒後に時間差で効いて、そのままみぞおちを押さえながら、ダウンした。
「1、2、3、4、5、6、」
ここで相手は何とか立って、レフェリーにファイティングポーズを取る。
レフェリーはさらに瞳孔を確認し、問題無いと判断され、「Box」と試合再開の合図が出る。
相手は戦法を変えてきた。と言うよりも一発逆転重視になった。
一発目が右フック、2発目が左フック。
これ以降も右に左にと、当たればダウンしそうな大振りのパンチである。
(さて、隙は……フックの直後、手前に畳んでいるから、その瞬間を狙おう)
フックの場合、どうしても外側からの攻撃になり、本来は脇を絞めながらやるのだが、俺はどちらでもいいので相手のフックを待ち構える。
左フック。俺はこの瞬間、右側へホビングすると同時に、少し脇が開き気味の左フックでカウンターを浴びせる。
見事にヒット。相手はさらに苦しい表情になり、一旦スウェイバックする。
相手は再び、一歩踏み込み、今度は右のジャブをなるべく素早く当てようとする。
俺は今度は、相手の左側に滑り込み、手なりで左ボディーブローをみぞおち辺りにヒットさせる。
すると、相手は表情を変えたと同時に、その場に倒れ、うつ伏せになったまま起き上がれない。
レフェリーがカウントをして行くが、その場で苦しむだけで起き上がれそうにない。
そして、「10」のカウントがされて、レフェリーが両手を腕ごと内側にしまう。そこから外側に動かし、何度も繰り返す。
俺の勝利。その瞬間、右手を上に突き上げ、勝利を喜んだ。
レフェリーは相手に寄り添い、異常がないか確認していた。
俺は青コーナーへと行き、セコンドのそばへと寄る。
リング外に待機していたセコンドも左肩を何度か軽く叩いて「おめでとう、よくやったな」とねぎらってくれた。
今度は赤コーナーに待機している相手側セコンド達に一礼して、コーナーに戻り、セコンドからマウスピースを外してもらう。
それから、水分を少量飲ませてもらい、ここでリングアナウンスが流れる。
「只今のノックアウトをお知らせいたします。1ラウンド1分47秒。1ラウンド1分47秒。勝者、青コーナー、住坂ーー雅ァァ玖ゥゥ」
レフェリーから勝ち名乗りの為、俺の左手首を掴み、レフェリーも一緒に右手を上げて、レフェリーとともに左回りに1周する。途中、4方向に向けて、様々な関係者に礼を4回して、持ち上げた手を下ろされた。
俺は改めて、青コーナーに戻る。そして、リングアナウンスが再び流れ、
「以上を持ちまして、第1試合を終了いたします。両選手はリングを降り、控室へお戻りください。」
俺たちは速やかにリングを去り、それぞれの控室へと戻って、親父が勝利を祝ってくれる。
メディカルチェックも行われるが、今日の試合は1発もパンチを受けていない為、簡易な診察で事を終えた。
「まずはデビュー戦、1ラウンドKOだったな。ここからせめて、あと5勝しないと8回戦には行けないから頑張ってくれ」
細やかなお祝いの言葉である。
俺は着替えを済ませ、外出時の服装を身にまとって、控室を出る。
後は第2試合以降を観戦する為、あらかじめ確保されていた席に座り、勉強の為に見る事になっていた。
試合が終わる度に、出場選手達が入退場を繰り返すが、時々、出場選手の何人かに声をかけられる。
「デビュー戦でパンチを一発ももらわずに終わるって、普通にすごいな。まだ避ける余裕はあったように見える。まあ、次の試合以降も頑張れよ」
俺に激励の言葉をかけ、会場を去って行く。
それにしても今日、なぜ俺が最後の試合まで居るのかと言うと、最終試合である佐藤さんの試合ぶりを見る為、これが本来の目的だ。
ダメージを負っている状態なら、試合が終わって、ジムに戻り、休息を取る。
しかし、今日はその必要も無い為、勉強しろと言う事である。
午後3時、いよいよ佐藤さんの出番となり、入場するが、先に青コーナーの相手選手が入場する。
次に佐藤さんが入場して、リングに入り、アナウンスが続々と流れて行く。
実は佐藤さん。こう見えて凄く強い。毎回、前日計量に苦しむ姿を晒している為、周囲からは下に見られる態度が多いが、それだけである。
彼の戦績は10戦10勝(9KO)。KO勝ちできなかったのは、デビュー戦の前日計量で、かなりもがき苦しんだ為、試合で力を発揮できなかったからだ。
そして、佐藤さんと対戦した相手は試合終了すると、こちらに言ってくる言葉があるのだが、
「あいつ、なんで凄いへなちょこそうなのに、あんなに強いんだよ」
ほとんど恨み言に近い訴えばかりである。
佐藤さんの売りは、異常なまでのタフさと本番に入った時の驚異的なメンタル面の強さであり、それが攻撃の強さにも大きく影響している。
普段の姿からは全く想像できないが、チャンピオン経験のある人や親父と俺ぐらいしか、この人の強さは分からない。
(もう少し、大人しくすれば凄みが増すんだけどな)
普段のザコっぽいキャラからは想像できないと言う意見は仕方ないと思う。
佐藤さんの事を振り返っている内に試合のゴングが鳴った。
佐藤さんはすぐに思い切り踏み込み、強烈な右ストレートを挨拶代わりに打ち込む。
ガードをされるが相手は虚ろを突かれ、慌てている様子。
相手は戦い方をなるべく隙を少ない戦法でやるようだ。
まずは、脇を締めながらワンツーでポイントを稼ぐようだ。
佐藤さんはポイント稼ぎのパンチを軽打されながら、次の手を模索している。
必要以上に相手の懐に潜り込んだり、見せアッパーで大技アピールしてみたり、後は力を入れたボディーブローで下からの攻撃もしている事を印象付けているようである。
しかし、佐藤さんの真の狙いは拳を振りぬく攻撃を強打させる事にある。
チャンスが来たのは2ラウンドの2分24秒。
前準備として、ひたすら左メインの見せジャブやストレートを数多く繰り出していた。
佐藤さんの攻撃を防ぐ為、直前よりも少し、頭が左に傾いていた。佐藤さんはこの隙を見逃さず、頭を右から左に捻るように動かし、それと連動のするように脇を外し気味に外側から強烈なフックを繰り出す。
俗に言うロシアンフックである。
総合格闘技とは違って、縦にしてのパンチではなく、横に平行のパンチとして繰り出す攻撃である。
この攻撃に相手は体ごと右に大きくふらつき、倒れそうになるが、どうにか耐える事ができた。
「さすがに無理だったか」
小声で佐藤さんがつぶやいたように見えた。
そのまま2ラウンドが終わり、インターバルに入る。
佐藤さんは相変わらず元気な様子だが、相手の顔は左側が大きく腫れていて、とても無事には見えない。傍にいるセコンドの声を半分ほどしか聞こえてないようだ。1分経過し、3ラウンドに入る。
左側に大きなダメージを入れたので、今度は右側にダメージを入れようとしているみたいだ。
今度は腫れあがった顔の左側に攻撃を集中させつつ、右側のガードががら空きになる機会を作っているようだ。
チャンスが来たのは4ラウンドの1分30秒。
相手の左側の視界が悪くなっていて、佐藤さんの右側の攻撃にしか対応できなくなっていた。
次の瞬間。佐藤さんは左からの斜め上から殴りつけるようにみぞおちの上辺りをストレート気味のフックで一気に振り抜いた。
相手はノーガードでダメージが入り、そのまま倒れ、右のみぞおち辺りをかばうように仰向けに倒れた。レフェリーはカウントを入れようとしたが、相手が無意識に首を横に振り、そのまま試合終了となった。
結果は4ラウンド1分35秒、KO勝利。
佐藤さんの対戦相手の状態はこのように、必ずボロボロになってしまう。
単純に佐藤さんが精いっぱい戦っているのも要因の一つだが、相手の手を少しずつ、攻撃によって封じて行く事により、相手はガードをする術を失い、最終的に大ダメージを受けると言う結果になる為だ。
大体が病院に搬送されるが、脳にダメージは受けてないので、治療後に退院と言う事になる。
佐藤さんの戦い方は相手にとっては完全敗北する負け方になっているので、脳への衝撃よりも顔が腫れる現象のほうが大きく出ている事が考えられる為だ。
佐藤さんはこれで、11戦11勝(10KO)となり、次は日本フライ級タイトルマッチになる。
試合のスケジュールも終わり、俺たちはみんなで親父の車に乗り、ジムまで帰って行った。
あの後、勝利後インタビューや各種イベントもあったりして、帰って来たのは午後7時となっていた。
俺はセコンドとして、付いてくれていた長平さんとミット打ちからメニューを始めようとすると、
「ガクさん、もう練習ですか?今日ぐらい帰って寝てもいいと思うんですよ」
佐藤さんは顔には擦り傷がいくつもあった。試合で軽い打撃をくらっていた為についた物だ。
だが、俺は一発ももらってないので、
「いえ、今日は一発も相手からもらってないですし、休憩時間のほうがかなり多かったので、調整がてらに今からやります」
俺の言葉を聞いた佐藤さんは顔を引くつかせて、
「試合観戦の時間を休憩時間って……まあ、それでいいです。練習頑張ってください」
俺に言葉を返して、佐藤さんはみんなに挨拶し、ジムを出て行った。
ジムのカウンターで見ていた与野さんは冷ややかな目をして、
「相変わらずだねガクは、どんな大物選手よ。とにかく練習頑張ってね」
カウンターの受付席で、俺達を見守る事にしたようだ。
ミット打ちから筋トレまでをこなす事になるのだが、普段と特に変化も無かった為、終わった時間は午後9時である。
これで今日の練習は終了し、ジムの人達は一人残らず帰る事になった。
俺は自宅に戻り、風呂に入って疲れを取る。
10分ほどで風呂から出て、ベッドに寝る事にした。




