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帰国後、音羽の祖父へ改めて挨拶する

車から降りる時には腕を解き、何食わぬ顔をしていたが、チャーター機に乗って、隣同士の席に座るとまた、腕を絡めていた。


最近の音羽はどこか遠慮しないと言う場面が増えたように思う。

俺はそんな彼女も愛しく思う為、一向に構わないのだが。


さらに1時間後、川名さんと展数さんが乗ってきて、俺達とは離れた席にそれぞれ座った。


勿論、腕を絡め続ける音羽の姿は見えていない。


この後、帰国の為に出発したのが、午前1時30分。


試合後の相手の様子見や引退会見などで時間を取り、1時間後に来た川名さんと展数さんも挨拶回りに行っていた事を考えると不思議ではない。


ともかく、帰国の途へとつくのだが、飛行中はひたすら眠っていた。


なぜなら、普段の就寝時間は遅いし、到着時間を考えると早朝になる事が考えられたからだ。


疲れ果てて寝ていたら、音羽に左手を握って起こされる。


目が覚めると、すでに飛行機は日本に到着していた。


どうやら、2人も寝ていたらしく、慌てて降りる準備をしている。

「この調子で第一秘書が務まるか今後不安だな」


いつも通り、厳しい社長の顔を持つ音羽だが、

(家に戻ったらどうなるんだろうか)

家の中での甘えっぷりは、今の様子では到底感じられない。


俺も降りる準備をして、飛行機を降りた。


今回、会社の関係者の人達が大勢で色々と処理を行っていた為、2人が忙しく手続きなどをやる事も無く、空港を後にした。


現在の時刻は午後5時となり、ここからは川名さんと展数さん。俺と音羽のペアで、別の車両での移動となった。


俺達は帰りの途中に小さな白い建物に入った。


「すまない、今日はどうしても寄りたくなった」

「いえ、まさか知念社長から直々に依頼があると思っていなかったので、ありがたい限りです」


どこに入ったかと言うと、ケーキ屋である。


通常営業は午前10時となるので、時間外予約で開けてもらったと言う事である。


店内は白で統一されており、一見で清潔感の伝わる内装である。ドアを入って正面から右の壁側まで横長のガラスケースに多種類のケーキが縦に規則正しく、並べられている。


店頭の左側は注文したケーキや飲み物など、頂く事が出来るように奥まで、2台の丸いテーブルが中央、奥と配置されて、それぞれ2つの椅子が手前、奥と配置されていた。


俺達は奥側のテーブルの席についた。


「住坂会長から雅玖の幼少期の好物は聞いている。本来はケーキなどのお菓子が好きと言う事みたいだな。大半の記憶を失った、あの件以降は自身の好物すらも忘れてしまったと嘆いていたからな」


どうやら、現役を引退した俺に食事制限とかけ離れた物を食べてもらう為に用意したらしい。


(ケーキか。そう言えば好きだったような気もするが、本当に記憶が無い)

ボクシングの事だけを考える頃には、気が付けば食事制限を徹底する事しか、頭には無かった。


「事前に注文受けていましたから、商品を運びましたが、これで本当に良かったのですか?」

店員はトレーに乗せて、持ってきた商品を見せながら確認をする。


「ああ、久しぶりのケーキだ。今の時期に売れにくいケーキで構わない。それに、彼にとっては少なくとも15年以上は食べてない代物だ。ケーキその物が最高のご馳走だから、これでいい」


店員が木製の丸いトレーに乗せていたのは、シンプルなチョコのカットケーキと角柱形状のバタークリームで覆われたケーキ、それと紅茶が2セット乗っていた。


店員はテーブルに移してから笑顔で一礼し、店内カウンターに戻っていった。


「派手なケーキは多くあるが、それは一般の客が買ってくれるだろう。今日からはもう、ボクシングの事を考える必要は無いから、雅玖には是非とも食べて欲しい」


俺は音羽に黙って頷き、並んでいるケーキを食べる事にした。


まずはバタークリームのケーキから、フォークを縦にナイフのように切るようにして、適量を切る。


中はアーモンドの練り込まれた、茶色のみのシンプルな仕様となっている。


早速、口に運ぶ。これまで飲んでいたジュースとは違い、とても濃厚な味で単純に美味しかった。量が多い為、まろやかとならないのが仕方ない事だが、

「ひょっとして、今の時期に売れづらい原因って」


「基本的に冬に食べる物だな、好きな人達には関係は無いが。今の時期だと、果物などで彩りを施した見た目に訴えかえる物が、旬のケーキとして正解だな」

音羽は基本的なケーキを売る為の戦略を説明した。


俺はあっと言う間にバターケーキを食べ終える。

口直しの為、紅茶を少し飲んでから、チョコケーキを口にする。


「チョコか、そう言えばボクシングの事だけしか考えないようになって、食べた記憶が一度も無いな」


「まあ、そうだろうな。そう言った事があったから、私はお近づきになれた面もあったが……」

音羽がさりげなく、重要な事を言った気がする。


意味深な発言に俺は音羽を見つめると、

「いや、今の聞かなかった事にしてもらえるとありがたい。それよりも味はどうだ?」


先ほどの呟きをごまかすように、チョコケーキの感想を求めてきた。


こちらも濃厚ではあるが、ほろ苦くもあった為、食感が重いと言う事も無い。

だが、バターケーキの半分ほどの大きさがある事が気になり質問する。


「このケーキ、カットしてる割に大きいような気がするけど、どうしてなんだろうか?」


音羽が大きさの説明を始める。


「そのケーキは元の大きさは5号だが、高さ自体は先ほどのバターケーキの同じほどだ。それでも、2つのケーキを食べただけで一般男性の1日分のカロリーに到達する」


衝撃の事実だった。

予想を遥かに上回る栄養超過である。


音羽がなぜ、そのような食事をさせたのか考えていると、彼女は理由を説明し始めた。


「今後、色々と食べられるようになるのだが、わずかな油断で栄養の過剰摂取により体形が崩れてしまう。雅玖にはそうなって欲しくない為、わざわざこのような物を食べさせた。節度のある食生活を送って欲しいと思ったからだ」


「いつまでも健康で一緒に過ごしたいって言えばいいのに」

俺達のやり取りを、カウンター越しに様子を見ていた店員がつぶやいた。


「今後は大学に通ったり、海外で会食をする機会もあるだろう。その事を考えるとだな」

音羽が少しだけ、言い淀んでいる事が分かる。


「帰ってから何をやるか想像はついてるから言わない。だけど彼はねうちゃんと結構似てると思うよ?食事制限を徹底するところは」

(ん、ねうちゃん?)


聞きなれない愛称に思わず、疑問を持っていると、

「雅玖が困っているだろう。いきなり大学時代の呼び方で私に言うのはどうかと思うぞ」


どうやら、音羽の愛称で間違いないらしい。


「それにあなたも完食してるよね?今までのあなたなら、後先考えない行動はしないはずだから、彼に特別な感情を持っていると言うのが普通だと思うけど」


すると、音羽は観念したように今後の一部を話す。

「分かった。正直に話すと、ここを出たら役所に婚姻届を出す予定だ」


白状した音羽に店員は笑顔になり、

「それはおめ……まだだったね。婚姻届は用意してる?」

急いで食器などをトレーに入れて、カウンター奥の洗い場に置いて、水を入れた。


さらにテーブルを拭いて、水気のない綺麗な状態にする。


音羽が右胸ポケットからケースを出し、婚姻届をテーブルの上に出した。

「まだ、夫の項目は書いてないみたいだね。じゃあ、ガクさんでしたっけ、今から書きましょう」


店員が婚姻届の記入を促し、さらにどこで用意したか不明なボールペンを、エプロンの右腰ポケットから取り出し、俺に渡した。


俺は未記入となっている記入事項に氏名、住所、本籍などを署名していった。


書き終わりとなり、店員にボールペンを返すと、

「まさか、ねうちゃんに結婚相手が出来るなんて、本当にビックリしたよ」

完全に友人同士のノリで話している。


「それにしても、証人が会長になっているのはよっぽどだね。今まで子供や孫にすら、自分の名前を一切書いた事が無いって取材でも言ってたから、相当に気に入られたのね」


記入した婚姻届を見て、少しばかり笑顔で言っていた。


店員はさらに証人欄を確認すると、

「あ、でもガクさんの証人。多分、お母さんだよね?お父さんと仲が悪いの?」

少し、意地悪な質問をしてくる。


音羽は大きくため息をついてから、

「いや、雅玖と仲が悪いのではなく、私やお祖父様と住坂会長の仲が悪いだけだ」

少し不機嫌そうな表情で答える。


「今は仲直りしていますが、これまでの出来事を振り返ると割り切れないんだと思います」

俺はすかさず、親父の件でフォローを入れる。


「まあ、体裁は大事だから仕方ないね」

店員は呆れたように言い放った。


「時間は……すでに8時30分か。そろそろ、役所に行くとしよう。時間外に店を開けてもらってすまなかった」

音羽は席を立ち、俺の手を引き、店を出ようとする。


「お世話になりました。でも、代金は?」

店員に別れの挨拶をしつつ、お金の事が気になったので聞いてみた。


「大丈夫、相場の10倍ほど前払いしてくれているから」

店からの去り際に作り笑顔で答えてくれた。


俺達は車に乗り、知念家の実家の管轄である役所に行って、婚姻届を出した。


車を降りてから婚姻届を提出し、車に戻って発車するまで、常に人混みで溢れかえっていた。


なぜなら、一連の動作で車の乗るまで、常に知念家の護衛であろう人達が周囲を囲んで、仰々しい儀式染みた状態になっていたからである。


俺達は結婚の報告を最優先にするべき人が居た為、音羽の実家に来た。


明日、中山が卒業式を迎える大学の前に建っている、広大な敷地を要する豪邸であった。


(ここは都内だよな?)

都市部においては前時代的としか言いようのない、現在ではあり得ないような一軒家である。


(これがアメリカならそこまではないんだが、あ、そう言えば試合会場の広さよりかは若干広いような気が)

アメリカを基準にしても、おかしな広さだと感じ、考えるのをやめる事にした。


とにかく、音羽とともに門を通って、敷地の中へと入り、前方に西洋風の邸宅の玄関まで歩いた。


玄関前には2人の執事が出迎えており、他数名は降りた車に向かっている。

「お帰りなさいませ、お嬢様。時門様が自室で、帰りを待ちわびております」

玄関の扉を開け、俺達を家の中へ入るように促した。


俺と音羽は並んで、家の中に入る。


婚姻届にも記入しているが、今日から俺の家は音羽の実家となった。


話を戻そう。


玄関入口から二手に分かれているが、今は右側に行き、再び真っすぐ歩いて突き当たりに大きな部屋がある。


左側には大きなテーブルと左奥に椅子がある。


椅子に座っていたのは、

「帰ってきたと言う事は、婚姻届は出したと判断していいかのう?」

知念会長だった。


俺は礼をして、挨拶をする。

「初めまして、本日音羽さんと結婚いたしました住坂雅玖です。実際に対面する事ができて光栄です」


会長は笑顔で改めて挨拶をする。

「初めまして、雅玖君。あの時は試すような真似をして悪かったのう」


「いえ。今回、音羽さんと婚姻の証人になって頂き、ありがとうございます」

再度、会長に一礼した。


「これで雅玖君は知念家の者となった。実は子供、孫を含めて正当な遺産相続にふさわしい者が音羽しかいない。悪いが、君には音羽を支える側として今後は頑張ってくれ。その為にはまずは大学じゃな」


会長は俺の進学の話をしてきた。

婚姻届を出す前に音羽が途中まで話していた件である。


「実は婚姻届を出す前にケーキ屋へ行った時、途中まで説明していたのですが、具体的にはどうすればいいのでしょうか?」


高校の時はそれほどの学力を持っているわけでは無かった為、すぐ受けて合格する気は全くしないので聞いてみる。


「家の正面に大学があるのじゃが、6月中旬に試験があるから合格して9月下旬に入学してほしい。勉強はこれから、音羽と出張に同伴する形を取らせるでのう。出来るだけ色々と教えてもらい、ひたすら勉強するしかないのう」


俺の学習計画はすでに立てていたらしい。だが、俺はふと気になる。


(学部はどうするんだ?)

正直、全体的に学力が不足している為、適切な進路の方向が良く分からない。


「環境情報学部。もう一つあるのじゃが、音羽の助けと考えれば、こちらで十分じゃ。途中で留学と言うのもあるのじゃが、こちらも音羽と同伴していれば生きた教材になる為、まず心配は無い」


簡潔で分かりやすい答えだ。

学力不足と言う事を除けば。


俺の表情を見た会長は笑顔で、

「心配しなくても、音羽の指導を受け切りさえしていれば、可能な事。後は君の頑張り次第じゃ」


音羽に全力で頼むように指示した。


俺は知念家としての覚悟を決めて、

「とにかく全力で頑張って、9月に入学できるようにします。入学の前後問わず、迷惑をかけると思いますが、どうぞよろしくお願いします」


今度は深く、礼をした。


「期待しているぞ。今日、明日は音羽もほとんど仕事は無い。少しでも勉強を教えてもらうようにしておきなさい。話は以上じゃ、後は音羽に部屋を案内してもらいなさい」


音羽は会長に一礼して、俺の手を引き、部屋に案内された。


ここからは始めに俺の部屋の位置の案内、音羽の部屋と中に入ってからの説明、俺と音羽の部屋がつながっている為、何かある時はドアを開けて、相談に来るように、と言う事だった。


結局、夜になるまで音羽に勉強を教えてもらい、シャワーを浴びてから寝る事になった。

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