俺の身の回りに劇的な変化があった
あれから、ヒッターちゃんねるの例のアーカイブ配信の再生回数は1億近く行ったらしい。
少なくとも半数以上が日本人以外と言う非常に珍しい現象が起きていた。
彼の雑談配信も海外勢からの視聴が増加しているとの事。
俺はと言うと、相変わらず朝から晩まで練習の毎日となっている。
たまに音羽が帰ってくるので、色々と甘えてくるのだが、以前よりも明らかにボディタッチの回数が多くなっている。
川名さんに聞いても、
「本当はガク君と同衾したいのを我慢してるんだと思う。以前にあった失神の件があってから月1回は戻ってくるようになったし」
困った顔で答えるだけだった。
音羽も膨れた顔で、
「本当は一緒に寝たいけど、それをやると確実に死ぬから」
とんでもない事を言ってきた。
川名さんは付け加えて、
「以前にベアハッグした状態で金属を仕込んだ抱き枕で実験したら、一晩で108人死ぬ程度って結果が出たんだよ」
誤解を払拭していない言葉が返ってきた。
川名さんの擁護にならない言葉を聞いて、声色を下げながら、
「川名も人の事は言えないな。大体、君も実験したら47人が死ぬ程度と言う結果が出ているだろ?しかも、3人の男性が実際に被害が出てるしな」
話し方がいつもの音羽になり、お返しとばかりに同類と言う事を俺に伝える。
(五十歩百歩とかなり似ている気がするんだが)
「分かりました。一晩をともに寝ると言う愚かな行動はしませんから、二人とも喧嘩しないでください」
俺には、このくらいを言うのがやっとである。
傍からみれば、喧嘩してるようには見えないが、こう言った会話のやり取りがある時は口論にはなってる状態ではある。すごく大人しい口論だけど。
少しして川名さんは、
「そんな訳だから、ガク君は健全な方法で音羽を癒してあげてね」
俺に素の音羽が安心して過ごせるように伝えた。
しかし、結局は夜帰ってから膝枕して、頭を撫でるぐらいしかしてない為、これで癒されるかどうかは疑問である。
次に次戦のライトヘビー級世界タイトルマッチの日程が決まった。
日程は8月8日となった。
なかなか土日に開催できないが、こればかりは有力イベントをやるのが優先なので、仕方が無いところではある。
そうだ、前の試合前日にジャックと話していた件を音羽に話したら、先方とはすでに取引を完了して、こちらの要請次第で間借りさせてもらう事が出来る状態らしい。
しかし、次戦は対戦相手が該当ジムの所属となるので、八百長疑惑が出ない為に使わないほうがいいだろう。
そして、7月7日。
試合は1か月ほど先だが、音羽が帰ってきたとき、
「私の部屋に仕事をする為の画面があるのだが、見てくれないか?」
今まで見る事の無かった音羽の部屋へ誘われた。
「分かりました。どういう理由かは分かりませんが」
意図不明としか言いようがない。今まで見る機会がない、いや、見ないように配慮していた為、なるべく避けていた。
「今までは私の部屋の掃除だけは川名に任せていたからな」
普通に考えると、川名さん以外に周辺の掃除をする人が居ない為、先ほどから妙な事を言っている。
音羽の部屋は時間外の仕事部屋になる事もあるのだが、すぐ横にベッドも置いている為、基本はプライベートの空間となる。
部屋の場所は玄関の入り口を中央より下とするなら、右手前と言う事になる。
普段、リビングで食事をしたりするが、音羽の部屋とリビングは一枚の厚い板で隔たれている為、確認でもしない限りは行く事はない。
音羽の部屋に入ると、右奥にベッド、その左に机と一人用の手すり付きの椅子が配置されている。
机の上には、見覚えのある横長の鏡の飾り付きのモニターがあるのだが、
「ああ、これか。雅玖と連絡する為に使っている内の一つだ、実家と9階の社長室にも置いている」
これで、桃山達と居る時にやり取りもしていたのだろう。
あの時を思うと、本当に感謝しても仕切れない思うが沸いてくる。
「これだと話が出来ない。すまないが、後ろの長椅子と交換してくれ」
俺は右側の壁際に置かれていた2人用の長椅子と一人用の椅子を交換した。
俺は音羽の指示通りに、画面中央の位置へ移動し、椅子に腰をかける。音羽は俺の右に座り、俺の右腕に左腕を絡めてくる。
(やっぱり最近、明らかにスキンシップが多い気がするが、音羽ならいいか)
現状を整理すると、俺は彼女の家に住まわせてもらい、同棲しているヒモにしか見えない。
申し訳ない気持ちにもなるが、あまり触れ合いが多いと、暴走したりしないか不安になる事もある。
「今から会わせたい人が居るから、一緒に聞いてくれるとありがたい」
音羽は飾り付けの中央下のボタンを押して、モニターが起動する。
画面に映っていたのは白髪で額が広く後退した老齢の男性である。
しかし、眼光は鋭く、彼が音羽の祖父と言うのは容易に想像出来る。
「初めまして、住坂雅玖君。そして、久しぶりじゃな、音羽」
俺の腕を一段と強く絡めてから、
「お久しぶりです。今日は彼の外堀を完全に埋める為、この場に連れてきました」
もはや、隠す気は微塵も感じられない開き直った発言をした。
「君は現在、プロボクサーで重量級の頂きに立とうとしているのは既に把握しておる。問題はその先じゃな。引退して、孫の音羽と結婚させようとしておるが、それで間違いないかのう?」
最初から確信を突いた質問をしてきた。
「ええ、彼女にはどのように返そうとも、一生返しきれない恩がありますので、彼女以外と結婚をする意思はありません」
「音羽は既に32歳じゃ。わしも引き取ってくれる者がいればありがたいが、どうも他人行儀がして仕方ないのう」
俺の答えでは不満だったらしく、彼は唸ってから質問を変えた。
「そうじゃ、君の音羽への思いを試したいので、私の考えた心理テストに答えてくれぬかの?」
「はい、それくらいでしたら」
俺は何か裏があると思いつつも、心理テストを受ける事にした。
「それじゃあ、まずはこの写真を見てくれ、AIで作った写真だから、何も考えずに気軽に答えてくれ」
画面越しに1枚の写真を見せてきた。
写真に映っていたのは赤いリボンで留めたツインテールの幼くも可憐な顔立ちで、胸元の赤いリボン特徴の青一色のセーラー服を着た女の子がウサギの抱き枕に抱き着いて、ベッドの上にいると言う物だった。
「これは本当にAIですか?実物の人間にしか見えませんが?」
今のAI技術でさすがに高度な模倣した人間の映像は作れるとは思えない為、聞いてみる事にした。
すると、彼は慌てて訂正をする。
「ああ、悪かった。今は気にせず答えてくれればいい、少なくとも回答によってマイナスになる事はないから安心してくれ」
この時、横に居た音羽は俺の顔を見つめて、答えを待っていたようだが、俺は全く気づいていなかった。
改めて、彼は心理テストを始める。
「例えば、この子が君を好きだったとする。しかし、今は全く違う姿をしており思いを上手く言えない。でも実は、この子自身ではなく君の事だったとして、命をかけるほどに全力で助けるような子だ。この写真の子はその時、何を思っていたのか代弁してくれないかのう?」
難解な謎解きである。
正直、心理テストの内容として答えられる物ではないが、少し考えてみる。
(彼女が俺を好きで、今は別人。別人だったのは実は俺で、俺は全力でこの子を助ける。少し質問しよう)
「少し分かりづらいのですが、今の内容だと私がこの子を助けたときに何を思ったのか、と言う事になるのですがもう少し情報を頂けないですか?」
「つまり、君がこの子を助ける事になるのじゃが、この子は今も君を助けようとしてる。しかし、大人になった彼女の心の鏡は女の子のまま、と言う設定で答えてほしいのじゃが」
(何だか、早押しクイズの引っかけ問題みたいな内容だが、何とか答えてみるか)
「おそらく、この女性はどこまでも純粋に奉仕精神で助ける事が考えられるのですが、私にこの子の気持ちは分かりません。ただ、私自身がこの子に思う事があるなら、絶大な好意は率直に嬉しいと思いますし、何より、このような可憐な少女に好かれる事は何よりも幸せに感じます。この子が実在するなら、今すぐ会ってみたいです」
「なるほどのう。じゃそうじゃ、音羽よ」
俺は違和感を覚え、右に居る音羽を確認する。
音羽は俺の言葉に感動し、次の瞬間。
俺に抱き着いてから、左側に押し倒した。
「そうか、今の私だけでなく、子供の私も好きと言う事か。そんなに私が好きなら、今すぐ、一生添い遂げる事をここで誓いを立てよう」
怪しい展開になるのが容易に想像したら、すぐに画面越しの彼が咳払いをした。
「すまぬ、音羽を嬉しさのあまり暴走させてしまったのう。もう分かると思うが、この写真は小学4年生の音羽が抱き枕で寝ている時の物じゃ。身に着けている物はセーラー服に見えるパジャマじゃな」
俺は音羽に抱き着かれたまま体を起こして、もう一度写真を確認する。
良く見れば、顔つきも音羽を想像できる物だし、単純に音羽の姪と受け取ってもおかしくないほどに似ていた。
「今ので良く分かったから、わしはこれから正式に2人が婚約した事を、両家の親族に通達する事にした。これで失礼する、ではまたのう」
彼は笑顔でモニターの映像を消した。
俺達が椅子の上で、しばらく抱き合ったまま黙った状態でいると、
「2人とも、随分大胆ですね」
作り笑顔の川名さんが椅子のすぐ後ろに立っていた。
この後は、いつものように別々のベッドに寝てから、翌日は練習に戻るのだが、音羽はすでに海外での取引に出ており、別れの挨拶は出来なかった。
さらに翌日には、俺が練習メニューをこなしている間に俺と音羽の婚約記者会見が開催されるのだが、記者会見の場に出席したのは、会長で音羽の祖父となる知念時門だけであった。
通常、著名人の婚約や結婚の記者会見は両者の出席が条件となるはずが、今回は色々とタチの悪い憶測を断ち切る為の会見と言う事らしい。
後に調査すると、音羽が玉砕した人ばかりで単なる逆恨みと言う事が判明した。
当然、対象者の人達には関係先に全て詳細に報告し、社会的制裁を受けたとの事である。どれくらいの制裁か聞く必要も無い為、この件はスルーして終わりとなった。




