スーパーミドル級初戦
今日も朝6時に目が覚める。
俺達は昨日と同じように朝食を摂り、トレーニングルームで走り込みを行うが、チェックアウトの時間が午前11時までの為、時間前にチェックアウトを終え、ホテルを出た。
この間、暇になる為、左隣にあるフィットネスジムで午後2時まで体を動かす事になった。
とは言っても、スパーリングをやる施設は無い為、朝のトレーニングの延長線上で、ランニングマシンをメインとした体づくりをするのみだった。
午後2時。
俺達は川名さんが事前に手配していた黒塗りの車に乗り、試合会場まで移動した。
20分ほどで、昨日と同じ入口から入って車を降り、諸々の手続きを終えて、会場に入る。
まだ、試合どころかゲート開場時間にもなっていない。
会場スタッフに食事が出来るところを聞くと、どうやら昨日の関係者エリア内に食事をする場所があるらしい。
俺は早速、ロッカールームにユニフォームなどを置き、先に別室へ行っていた2人と合流すると、調理カウンターにシェフと思わしき人が居た。
俺は2人と同じテーブルの席に座り、注文を頼もうとすると、
「私、色々やってる間に昼頃食べたから」
「俺は途中、ジムを抜けて軽く食事していたからガクだけが頼みといい」
どうやら、今までの間にどこかで軽食をしていたとの事だった。
周囲のスタッフに注文をし、チップを渡す。
シェフは早速、料理を作り、20分後に料理が届く。
皿に載っていたのは、見た目にも美味しそうな物で、白身魚をメインにしたブロッコリーやマッシュルームなどを合わせ、塩ベースのソースがけと言ったところ、飲み物はオレンジジュース。
シェフからは苦笑されてしまった。
俺はゆっくりと料理を食べ終え、近くのスタッフに皿を片付けるように頼む。
去り際にチップも渡して、俺達はシェフにお礼を言ってから部屋を出る。
午後3時。
まだ、他の選手達の姿は無く、スタッフに会場内を見たいと言う要望を言うと、
「案内は出来ませんが、スタジアム内を1周するくらいなら構いません」
会場内の見学も許可された為、2人と一緒に1階の風景を楽しむ事にした。
ほとんどが開店前の売店などを見る旅となったが、目の保養にはなった。
道中、店の準備をしている人や各役割を与えられたスタッフ、途中でスタッフにも止められた事もあったが、イベント主催側の許可も取っていたらしく、すぐに通してくれた。
そして、ゆっくりと1周して再びロッカールームへと戻った。
この時点で午後3時40分。
これでも、まだまだ時間は残されていたが、開場時間が午後4時と言う事もあり、外がにわかにざわついていた。
俺は今のうちに試合の準備の為に着替えた。今日は試合の入場となるので、荷物に追加されていた黒のTシャツも着る事になる。
午後4時。
開場時間となり、一般の立ち入り可能な場所は賑やかになり、これでは外に出るのはやめたほうが良さそうである。
30分後、ようやく一人の選手が入ってきた。
昨日も会ったが、髪型はスポーティーな刈り上げで俺より体全体が若干小さく見える。
「ニックさんでしたか」
「よう、何か近所のやつらから聞いたんだが、随分といいホテルに泊まってたみたいだな」
今の言葉で、彼が地元の住民と言うのが理解出来た。
「ええ、ホテルのチェックアウトが午前11時。隣のフィットネスジムの退出時間が午後2時で30分かけてここに来ました」
「ん?そんなに遠くないが、どういう道を通って来たんだ?」
確かに歩いて来たほうが近いのだが、安全面を考慮しての事だろう。
「車で安全策を取ってから来ました」
「ああ、なるほど。お前は分かってないようだけど、あのホテルに泊まる奴らって普通、海外の富裕層か金を落としてくれる物好きな奴らだけだからな」
どうやら、2日間泊まるだけでかなりの費用になるみたいだ。
(本当に音羽には感謝しかないな)
分かっていた事だが、ここまで諸々の手続きなどをやる間、物凄くお金をかけてくれている事は本当にありがたいと思ってしまった。
「まあ、お前自身社長の息子とかそんな感じなんだろう」
「私自身は一般人ですが、支援してくれているのが社長ですね」
「そうだろうな、そうじゃなきゃこんなところにタイトルでもない試合に来ないって」
完全に金持ちの道楽としか思われていない。
これについては反論する必要も無いので、話を流すようにした。
「あ、そうだ。お前、どうしてそんなに筋肉すごいんだ?」
そう言えば昨日、計量後に取材陣が驚いた様子だったが、そういう事か。
「理由になるかは分かりませんが、普段は朝から晩まで練習しかしていません」
ニックは俺の答えを聞くと、明らかに引きつった顔になる。
「え、休み時間はどうなってる?」
「ミット打ちからスパーリング、筋トレなどで2時間やった後に食事を摂るので、その間が30分が休憩を兼ねています」
ニックは自らを納得させてから、理由を聞く。
「結局は俺の練習量が足りないと言う事か、まあいい。でも何でこんなところに来るんだ?」
「最終的な目標として、ヘビー級の世界チャンピオンになる事なんですよ」
ニックは再び考え込むが、次第に諦めた様子に変わる。
「だからわざわざこんなところに来た訳か。まあ、あの国じゃ何十年かかっても無理だな」
「私に出来る事は周りの期待に最大限答える事ぐらいですね、お金ではどう考えても無理なので」
「だろうな、今の話で分かったのは、これからチャンピオンになるまで1つも負けられない事だな」
「その点については、散々練習してスパーリングでボコボコにされてますから心配してないです」
俺の言葉にニックは大体の予想をしてしまう。
「beautiful Ninjaにlegendary strongest Japaneseか。その面子じゃ誰も勝てないだろうな」
どうやら色々と諦めてしまったようであった。
ここで、次々とロッカールームに入って来て、試合のユニフォームに着替え、部屋を出ていった。
「俺達は第1試合だから、ストレッチくらいはやっておいたほうがいいぞ」
「まだ時間はありますが、念入りな準備運動はしていたほうが良さそうですね」
俺とニックはロッカールームを出て、試合会場に続く入口の手前に待機した。
試合時間が近づくまで、俺はストレッチをひたすら行って暇を潰していた。
かなりの時間、ストレッチをいくつもやっていたようだが、やがて、
「間もなく第1試合は始まりますので、今から翻訳通話機は取り外してください。そして、リングに上がる直前にセコンドに翻訳補助機能付きのイヤホンを渡してからリングに上がってください」
係員が注意事項を丁寧に説明してくれた。
近くで待機していた展数さんが、
「その通話機、映像に映した時の見映えが良くないから、入場前に外すルールになっているんだ」
俺のイヤホンと通話機を分離して、顎当てのような通話機を外した。
そして、俺は試合会場の出入り口へ移動し、待機する。
主催側で用意された音楽とともに係員に入場の指示を出された。
俺は自然体でリングへと歩いて行った。
リングの前に来ると、近くの見慣れない黒のスーツを着たスタッフがリングに入りやすくする為にロープを体を使って、こじ開け、俺に入るように促す。同じくセコンドをやっている展数さんに先にイヤホンを渡した。
なるべく自然にリング内に入り、リング中央に居たリングアナウンスと両隣にいたラウンドガールに一礼する。
俺は青コーナーに移動し、レフェリーにボディーチェックをされる。
(あれ、ニックはいつの間に)
どうやら、ここでは赤コーナーの選手が先に入場するらしい。
最初に入場していたと思っていたが、どうやら周囲が良く見えていなかっただけのようである。
少しして、リングアナウンスが流れる。
「ご来場の皆様、始めの対戦はノンタイトル戦。10ラウンド3分制です」
(当たり前だが、英語だから全く分からない)
翻訳機が無い状態では何を言っているか分からない為、こんなものである。
「リングサイドの審判員はテキサス、アラン・ペドロサ。そしてオクラホマ、ダニエル・ネイヴ。そしてカンザス、デニス・フェッツ。そして、ベルが鳴る際の主審はテキサス、ルーク・ラモン」
「さあ、選手達を紹介しよう。始めに赤コーナー、青のトランクスを履いた、身長5フィート9インチ163ポンド。彼の戦績は3戦のうち、3勝を誇っており、さらにそのうち2つのノックアウトを誇っている」
「彼は地元テキサス州ダラスを拠点に活動してるニック・エッジ」
ゴングが何度も鳴り、紹介終わりを意味しているようだ。
同時にニックは近くのセコンドに着ているこげ茶色のTシャツを脱がせる。
「続いては青コーナー、赤のトランクスを履いた、身長6フィート。彼の戦績は8戦無敗を誇っており、全ての試合において、ノックアウトでの勝利を収めている。前の試合で日本のミドル級タイトル戦において、辛くも7ラウンドで日本チャンプとなるが、それ以外は全て1ラウンドKOによるものだ」
「彼は日本、東京を拠点として活動しているガク・スミサカ」
こちらもゴングが何度も鳴り、同時に俺はセコンドの展数さんに、着ている黒のTシャツを脱がせてもらう。リングアナウンスもさりげなくリングの外へ出る。
レフェリーが英語で何かを言ってるので、ニックの動きに合わせる事にした。
「すぐに伺います」
両選手に呼びかける。
「さあ、ファイター。行こうファイター達」
レフェリーは両選手を自分の目の前に近づける。
「チーフ、セコンド。さて、皆さん。更衣室でルールは既に説明しましたよ」
周囲の人達に説明済みの意思を伝える。
「ですが、あなた達は例外です」
ここからが、ICBOの両選手に対しての説明のようだ。
「常に私の指示に従う事を期待しています。何よりも常に身を守ってください」
レフェリーは腹筋の中央を触る。
「ここの部位に十分なパンチを与えれば有効になります。ここの部位に十分なパンチを与えれば有効になります」
2回目はもう一方の同じ部分を触りながらの説明をして、ここで終わるらしい。
レフェリーは両選手のグローブ先端を合わせて、
「グローブを合わせて、コーナーへ戻ってください」
俺達は各コーナーへ戻る。
「レディ?レディ?」
お互いにファイティングポーズを取って、レフェリーは両者に両手を外側に、開いた状態で向けて制止する。
レフェリーは続いて、右手をチョップのように真っすぐ伸ばし、左手を肘の内側のくぼみにチョップを伸ばして、横に置く。
次の瞬間、ゴングが2回鳴り、「BOX」の声で、1ラウンドが始まる。
開始直後、相手は何となくの左フックを出してきた。
俺はサウスポーで左足を外側に大きく踏み込みながらの右ストレートを放つ。
これが相手の顎にヒットし、顔を一瞬、後ろにのけ反らせた。
観客からはいきなりの動きに歓声が上がる。
相手は左腕を斜めにしながら、左顎周辺を守りつつ、次の攻撃機会をうかがっていた。
10秒後、相手は右ジャブ、これはガードする。続けて左ジャブ。これを合わせるように右腕を前に押さえつつの左ジャブ。
これも相手の顎にヒットする。またも顔を後ろにのけ反る。
相手はバックステップして、一度距離を取り、もう一度前に出てから左ジャブ、右フック、左ボディーストレート、右ボディーブローとしてきた。
俺はコンビネーションを避け、最後の右のボディーブローを左手で上から下にパリイして、即座に右フックを放った。
相手はカウンター気味の威力に耐え切れず、そのままダウンした。
レフェリーがカウントをしようと近くに行くが、ここで両手を頭上に上げ、左右に何度も大きく振った。
これで1ラウンドTKO勝ちとなった。
「ご来場の皆様、1ラウンド25秒。主審のルーク・ラモンが試合終了を告げました。テクニカルノックアウトによる勝者は、依然として無敗のガク・スミサカ」
俺はレフェリーに右手を持ち上げられ、勝利をアピールした。
この後は、次の試合が続くので、速やかに係員の元、試合会場を出て行った。
展数さんはすかさず、翻訳機セットを付け直して、周囲の人達と話せる状態にした。
他の出場達はあまりにも早いKO劇にお祝いの言葉をかけてくれた。
昨日、ひと際大きい選手に至っては、
「腐ってもご両人の弟分、と言う事ですか。当たり前の事ですが、試合が終わるまで軽視していました。今後もし、対戦する機会があるなら、全力で行くので覚悟してください」
俺を本当のライバルとして、認めてくれた。
俺の事を様々な目で見るようになったが、とりあえずロッカールームに戻り、外出着へと着替え、部屋を出た時。
「明日、朝8時にホテルを出る事になるから、これから確保していた席で終わりまで観戦するといい」
展数さんだった。
隣には昨日、最初に挨拶に来た関係者が立っていて、なぜか顔がこわばっていた。
何か異変があったと察して、展数さんに聞いてみる。
「何かトラブルでもあったんですか?」
すると、両者が頭を抱えて、
「川名さんがやらかした。今日の夜に日本へ帰ろうとしたらしく、ホテルの予約も取っていなかった。当然、帰りの航空券もだ」
「元々、彼女は非常に優秀なキックボクサーでしたが、秘書となると、それどころか社長代理ですよね?いきなりは身が重かったみたいですね」
何だか、関係者のほうがひどい事を言っているような気がした。
「まあ、そんな訳だ。実況席から少し後ろに離れた席を確保してるから、実況とダンソンの解説を聞きながら、場の空気を楽しんでくれ。きっと面白いはずだ」
展数さんはどうやら、マジック・ダンソンの人間性にも触れて欲しい様子だ。
「分かりました。今から観戦する為に移動しますが、随分とリングに近い席ですね」
「この方が取り急ぎ、確保してくれたんだ、感謝するんだぞ」
隣に居る関係者はやはり、会場においての責任者だったらしい。
俺は最敬礼して、感謝の意を述べる。
「私にこのような貴重な体験をさせて頂き、ありがとうございます」
「練習は日本に帰ってからいくらでもやってくれたらいい。今は実況と解説を翻訳機を通して、特別な体験をしてもらおう」
俺は再び、最敬礼をすると、関係者の人から急造と思わしきパスホルダーを渡された。首にかけて行くように言われたので、指示に従ってから関係者エリアを出て行く。
もう一つの出口が反対側にあるはずなので、西側ゲートまで行き、奥付近で監視している警備員にパスホルダーを提示する。
警備員は「話は聞いています」と言って、関係者エリアの侵入を許可してくれた。当然、チップも自然に渡した。
俺は反対側の試合会場入口を目立たないようにゆっくりと通りながら、裏側を通るイメージで、リング南の実況解説席から少し離れた後ろの席へ座った。
本来、ここはかなりの富裕層しか確保出来ない席らしいのだが、特別に譲ってくれたらしい。
俺は翻訳機越しに聞こえる試合の実況と解説を聞く。実況の熱量が日本とは比べ物にならないほどである。解説のマジック・ダンソンは時折笑いながら、選手の裏事情も話しつつ、選手の能力を場面ごとに説明していた。
(内容自体は意外に、日本と大差ないな)
熱量自体は凄いが、内容は解説の話が面白い。
何が面白いかと言うと、自身の交友関係が広い事を生かした、各選手の裏話や最近の失敗話、それが試合にどう影響が出ているなど、やっとの思いで試合をしている俺にとっては新鮮な体験であった。
メインの試合までにかかった時間は3時間。
タイトル後の各種セレモニーなどで50分となり、俺の試合も含めると、実に4時間弱も滞在した事になる。
一連の流れが終わり、パスホルダーを渡してくれた人を探すとすぐに見つかり、西側関係者の出入口の外側まで行ってから、パスホルダーを返した。
そばには展数さんと、疲れ切った川名さんが立っていて、俺達は彼に感謝を述べつつ、会場に入った際の出入口から出ていった。
手配した車に乗って、ホテルに着く。
川名さんはフロントに挨拶して、俺達とともに3階の部屋の前まで行く。
「今日はもう、シャワーを浴びて寝ましょう。ごめんなさい、私の失態だけど余裕が無いから本当に寝させて」
何故か、俺と展数さんを手で引っ張りながら、同じ部屋に入った。
「私、今からここで寝るから2人はベッドで寝てね」
川名さんは備え付けのソファーにそのまま眠ろうとする。
俺は慌てて、寝るのを中断させる。
「川名さん、せめてメイクを落としてから寝ないと朝がすごい事になりますよ」
俺の言葉を聞くと、ジト目で、
「私のすっぴん、見たら殺すよ」
言葉に明らかな殺意を込められていた。
「大丈夫です。そんな事をしないので、そうだ。川名さんがメイクを落としてから、寝るまで見ないようにしますから、寝る体勢になった後に顔を隠したら教えてください。その後で、俺と展数さんは一人ずつ、シャワーを浴びますので」
川名さんを少しでも安心させようと、大げさに身振り手振りで言葉を伝えた。
川名さんは了解して、彼女がメイクを落とした後、寝るタイミングで俺達の行動制限を解除し、一人ずつ、シャワーを浴びてから、ベッドに寝る事にした。




