7戦目も映す価値無し。そんな事より
午前6時。
いつもの時間に起きて、朝の走り込みを行う為、トレーニングウェアに着替える。
川名さんを起こさないように彼女の部屋を経由して自室から出ると、
「おはよう、雅玖」
リビングのソファーには音羽が座っていた。
服装は暗い青のスカートスーツを身に着けていて、昨日とは違い、座り方もリラックスしないように浅めに座っていた。
いつもの社長としての音羽だった。
「これから走り込みだろ?私は少ししたら出るから、試合ともに頑張って来るように」
俺に短く、応援の言葉を送ってきた。
「では、行ってきます」
俺は音羽に手を振ってから、玄関の外へと出た。
エレベーターで、2階から1階に降り、ビルの出入り口を出る。
ここを起点として、毎朝走り込みを行うのだが、この周辺はほとんどが知念グループが管理している区域となり、信号機も近くて100m先にしかない。
走り込みのメニュー自体は以前と変わりないのだが、都内の区域と言う事もあり、周回する形でしか満足な走り込みは出来ないのである。
起点は歩道右側にある為、始めに信号手前まで100m、右折から信号手前まで200m、さらに右折で200m、またさらに右折で200m、最後にまた右折で100mで1周800mを何回も走る事になる。
これをランニング30分、インターバル走20分、30秒ダッシュ10分。
時間設定で起点に戻るように調整しながら、こなすのが日課となる。
ここで午前7時過ぎとなる為、一度2階の住居に戻って、川名さんを呼びに行く。
ジムの鍵の管理は川名さんが全て行っており、彼女が居ないとジムには入れない為である。
早速、着替えを済ませていた川名さんとともに起点より少し手前に位置するジムの前へと行く。
鍵を開けて入るのだが、ここで練習開始ではなく、3階の飲食スペースで、2人で軽い朝食を摂る。
これで朝8時になるので、2階の練習場に行き、ここからストレッチを始めとして、スパーリングや筋トレまでをこなして行く事になる。
今日は試合当日の為、2セットまでの午後2時で切り上げ、会場まで徒歩で行くのだが、川名さんが別の移動手段で先に、俺の荷物をひと通り、持って行くのが一連の流れとなる。
俺は改めて、会場まで歩く。
会場までの道は目の前の大通りを南に真っすぐ歩いて行き、突き当たりが立体のY字歩道橋となっている。
階段を上って渡り、歩道橋を過ぎた先が大規模会場となっている為、会場沿いに右回りに歩いて行くと、これまでの会場の東出入口に行く事が出来る。
建物に入り、フリースペースに行くと、左端に川名さんが荷物を持って、待機している。
俺は荷物を受け取り、東出入口からすぐ右側にある試合会場の出入り口へと入る。
ここからは左奥の控室に行き、諸々の手続きをして、試合に備える事になる。
今回の試合は、最後から2番目となり、試合開始時間は午後8時頃になるだろう。
午後7時。
6回戦の第4試合が始まる直前で展数さんが入ってきて、雑談をする事になった。
「よおガク。前とは環境が変ったみたいだが、上手くやってるか?」
どうやら、3月末の引っ越し騒動は周囲から話題になっているようで、気になるところなのだろう。
「おかげさまで、今日まで無事に過ごせています。昨日、今日とここまで歩いて来ましたし、移動時間が短くなったのはありがたい限りです」
「そうか、それは良かった。とりあえず、何もやる事がないから試合見ながら意見交換でもしないか?」
「そうですね、無駄な力を取るために丁度いいですね」
俺達は第5試合が終わるまで、試合中の選手の動きなどを見て、お互いに意見交換をしていった。
午前8時、第5試合が終わると、
「次はガクの番だな、この試合に勝って、俺と戦える状態にしてこいよ、じゃあな」
展数さんは軽く右手をあげて、控室を出て行った。
俺は服を脱いで、新しいセコンドにグローブなど、各部品を装着させてもらい、準備を手早く完了する。
ここから、控室を出て、試合に臨むのだが、結論から言うと勝った。
相手は日本ランキングの1位だったが、特に見どころも無く、1ラウンド37秒で勝負がついたのである。
再び、控室に戻った俺は、
「練習にならなかった」
思わず頭を抱えてしまった。
「お前が強すぎるだけなんだよ」
後から入ってきた相手に、語気を強めて言葉を返されてしまった。
相手はそのまま、控室を出ていき、誰かに会いに行ったようである。
今から移動をすると、展数さんの試合を見る事が出来ない為、そのままモニター越しに試合の分析をする事にした。
次の試合の入場が始まり、試合開始のゴングが鳴る。
(ここからが始まりだな)
俺は展数さんの弱点を探す為、本番さながら、真剣に見る事にした。
先に攻撃したのは相手。右ボディー、左ストレート、右フック、左ボディーを素早く繰り出したが、当然回避する。
次に動いたのは12秒、展数さんが一瞬「青」とつぶやき、顎に向けた左ストレートを放つ。
相手は後ろに一歩下がり、効いている様子だった。
次は25秒。相手は右手で顎をガードしながら、左ジャブを放つ。また避けられる。
次に動きがあったのは47秒、展数さんがまた「青」とつぶやいて、左フックを繰り出す。相手は外側からの攻撃に対応出来ずにくらってしまう。
次は1分11秒。相手が今度は右腕を斜めにして、展数さんの左側を広くガードしながら、左ボディーフックを繰り出す。
しかし、展数さんは左側に大きく避けながら「黄色」とつぶやき、右アッパーを直撃させる。
相手は死角を突かれ、為す術なくダウンした。
レフェリーがカウントし、相手は何とか立ち上がろうとするが、無常にもカウント10が宣言される。
展数さんのKO勝利、時間は1ラウンド1分25秒。
俺はつぶやいて色の意味を考えて、次戦の策を練っていると、
「ガク、いつまで作戦練っているつもりだ?」
控室に入ってきた展数さんにツッコミを入れられる。
時刻を確認すると、午後9時10分。
俺が試合終了してから1時間経過していた。
各セレモニーを終わっていて、そこに展数さんがやってきたと言う事なのだろう。
「それで、今の試合で何か分かったか?」
俺に視察結果を求めてきた。隠す事でもない為、正直に答える。
「実は攻撃する瞬間に色をつぶやいていました。それで青以外だと大ダメージが入っている事は分かりました」
答えを聞いて展数さんは感心して、
「それが分かったなら、後は対策だけだな。後何ヶ月かあるはずだから、色々な人に意見聞いてしっかり頑張って行けよ」
どうやら、俺の立てた推測は正解だったらしい。
「そこまで分かれば今日は十分。俺はもう出ていくから、ガクも早く帰って寝ろよ、じゃあな」
展数さんは俺に別れの挨拶をして、控室を出て行った。
俺も今まで黙って待機していたセコンドにグローブなどを外してもらい、外出着に着替えてから、会場を後にした。
帰りは荷物を持ちながら帰宅し、玄関に入った時には午後9時45分となっていた。
「少しゆっくり過ぎたか」
荷物を持ち帰る事を練習代わりにした為、少し時間がかかったようである。
「おかえり、ガク君。風呂に入ってから、ご飯を一緒に食べよう」
川名さんは俺に風呂へ入るように促す。
「ただいま戻りました。早速、風呂に入ります」
俺は荷物を自室に置いてから、風呂に入る。
10分後、風呂を上がり、リビングのテーブルにはオレンジジュースと鶏肉、ナッツ類が並んでいた。
「私は少しだけ食べるから、後は全部食べてね」
俺達はソファーに隣同士で座り、夜食を摂る事にした。
さらに10分後、食事を終え、控室でやり取りしていた会話を伝えた。
「音羽社長が言ってた通り、次のガク君との対戦で引退するような会話だね、それは」
何を思ったのか、そのような結論を言ってきた。
「勝ち続けてるのに、どうして引退する事になるんですか?」
「年齢もあるけど、本当の理由は引退してから答えるでしょう、きっと」
川名さんは何かを確信しているようだった。
俺には理由は見当もつかないが、とにかく展数さんとの対戦は全力でやらないといけない事が分かった。
とりあえず、明日もまた、練習の毎日となるので、俺達はそれぞれのベッドで寝る事にした。




