辺境の村
3話のつつぎ
レクスがアタルとして転生してから、十六年の月日が流れていた。
アタルが生まれたのはレクスの死後九百八十二年後の世界。
辺境の村。ルナリア村。
王都から遥か離れたこの村は、今日も穏やかな風に包まれている。
目の前には、一面に広がる緑の畑。
土の匂い。
木々のざわめき。
かつて血と炎に染まった戦場とは、まるで別世界だった。
「アタル、無理しなくていいんだぞ」
鍬を持つ父ガルドが心配そうに声をかけてくる。
大柄で無骨な男だが、家族想いで優しい父だった。
「そうだよ、お兄ちゃんの分は私がやるから!」
「ダメ!今日は私の番だもんー!」
畑の向こうで、二人の少女が小競り合いを始める。
妹たちだ。
五歳下の双子。
姉のフィナ。
妹のリリア。
金色の髪を揺らしながら、どちらが兄を補助をするを本気で揉めている。
「だからリリナは昨日やったでしょ!」
「フィナだって昨日やってたじゃん!」
「それはお兄ちゃんがフラフラだったから!」
「今日はもっとフラフラしてるもん!」
「……僕、そんなに頼りないかな」
苦笑すると、二人は同時に振り返る。
「「頼りない!!」」
即答だった。
その直後。
「あっ、でも好きだよ!」
「大好き!」
勢いよく抱きつかれ、アタルは思わずよろける。
「こらこら、アタルに無理させるな」
「あなたも少し休みなさい」
家の方から母セレナがやってくる。
穏やかな笑みを浮かべながら、水筒を差し出してきた。
「ありがとう、母さん」
「今日は顔色いいわね」
「うん。昨日よりは楽かも」
そう答えながら、アタルは空を見上げる。
平和だった。
本当に。
前世では存在しなかったほどに。
けれど、アタルの身体は、生まれつき弱かった。
重い喘息。少し走るだけで呼吸が乱れる。
幼い頃など、まともに歩くことすらできなかった。
だが、それは病ではない。
転生の代償。
世界の理による制約。
前世レクスとして持っていた力のほとんどは失われていた。
全盛期の十分の一くらいの力。
いや、肉体だけで言えば、それ以下かもしれない。
さらに、この時代の人間は千年前よりも弱体化している。
理由は明白。人間の増加によるマナの減少。
千年という時間の中で人類は爆発的に繁栄した。
その結果として、世界に循環するマナの総量は薄まり始めている。
そして
魔王復活まで、残り三年。
「……」
平和は続いている。
だが、それは先延ばしに過ぎない。
あの日、魔王が言っていた通り。
この世界の理が変わらない限り、争いは終わらない。
それでも。
今の生活を、アタルは愛していた。
夕食を囲む時間。妹たちの笑い声。
不器用な父の優しさ。心配性な母。
こんな温かな日々を、自分は前世で知らなかった。
だからこそ。守りたかった。
夜。
食卓には湯気の立つシチューが並んでいた。
フィナとリリアが今日も騒いでいる。
「お兄ちゃん今日三回咳した!」
「違うよ四回だよ!」
「それ数えてたの?」
「当然!」
「お兄ちゃんは私たちが守るからね!」
「絶対長生きさせてあげるから!」
「フィアとリリアが面倒をみてくれるのか?」
思わず笑みが漏れる。
その光景を見ながら、ガルドとセレナも優しく笑っていた。
本当に。幸せだった。
だからこそ。アタルは決めていた。
その夜。
妹たちが眠ったあと。
アタルは静かに口を開く。
「父さん、母さん。話があるんだ」
空気が変わる。
ガルドが真剣な表情になる。
「……どうした」
アタルは少しだけ迷い、そして言った。
「僕、王都へ行きたい」
沈黙。
セレナの表情が固まる。
「……王都?」
「うん」
「なんでまた急に……」
アタルは視線を落とす。本当の理由は言えない。
魔王復活。未来の戦争。
そんなもの話しても信じられるはずがない。
だから。
「もっと、強くなりたいんだ」
静かな声だった。
「今のままじゃ、僕は何もできない気がする」
「王都なら、何か変われるかもしれない」
ガルドは眉をひそめる。
「無茶だ」
即答だった。
「お前の身体で王都まで行くなんて」
「道中には魔物も出る。何かあったらどうする」
「俺たちは……お前を失いたくない」
セレナも不安そうに俯く。
「お願い、アタル……」
「せめて、もう少し大きくなってから……」
その言葉に、アタルは胸が痛んだ。
愛されている。分かっている。
だからこそ辛かった。
「……ごめん」
小さく呟く。
「でも、行かなきゃいけない気がするんだ」
その瞳を見た瞬間。
ガルドは察してしまった。
止めても無駄だと。この子は優しい。
けれど、一度決めたことは絶対に曲げない。
どこか昔から、背負いすぎている目をしていた。
長い沈黙の末。ガルドは大きく息を吐いた。
「行くなら、準備くらいちゃんとしてから行け」
セレナが驚いて振り向く。
「あなた!?」
「止めても行くだろ、アタルは」
ガルドは困ったように笑う。
「だったら、送り出してやるのが親だ」
セレナはしばらく黙っていたが、やがて涙混じりに笑った。
「……無茶だけはしないでね」
「うん」
アタルは深く頷く。
転生してから失ったものは多い。
だが。失わなかったものもある。
固有能力。
人に一つだけ宿る、マナの力。
身体強化。
感知。
魔力変換。
能力は人によって千差万別。
普通に暮らしていたら一生気づかない者すらいる。
だがアタルは違う。
前世の知識。
戦闘経験。
そして、英雄レクス時代に持っていた《アルマ》だけは消えていなかった。
三日後に村を出る。
その準備を密かに進めながら、アタルはいつも通り畑仕事を続けていた。
妹たちは何も知らない。
いつものように笑っている。
その姿を見るたび、少しだけ罪悪感が胸を刺した。
でも。必ず帰ってくる。
そう心の中で誓った、その時だった。
「――逃げろぉぉぉぉッ!!!」
村中に響く絶叫。
直後、鐘が鳴る。
避難警鐘。
空気が一変した。
「なっ……」
村人たちが顔を上げる。
次の瞬間。森を突き破るように現れた。
巨大な影。
四足。
黒い皮膚。
牙。
血走った瞳。
イノシシのような姿をした異形の怪物。
だが。
アタルは知っていた。
「……魔族」
千年前には存在しなかった種だ。
魔王消滅後、弱体化した魔力が変異し生まれた新種。
現代では魔物と呼ばれている存在。
「急げ!!避難しろ!!」
村人たちの対応は早かった。
今のところ死者はいない。
だが。数が多すぎる。
このままでは確実に被害が出る。
「アタル!!逃げるぞ!!」
ガルドが叫ぶ。
フィナとリリアも泣きそうな顔で駆け寄る。
その時だった。
「……っ」
リリアの足が止まる。
腰が抜けていた。
迫る魔物。もう間に合わない。
だが。
その光景を見ても。
アタルだけは、冷静だった。
ゆっくりと。
畑に立てかけられていた鍬を握る。
「父さん」
「……?」
「僕が時間を稼ぐ」
「何言って」
「母さんと二人を連れて逃げて」
その声音は、普段の優しい少年のものではなかった。
静かで。鋭くて。
どこか、懐かしい響き。
「フィア、リリアを頼む」
「おい!!アタル!!」
「お兄ちゃん――!!」
叫びを背に。
アタルは一人、迫り来る魔物へ歩き出す。
その瞳に宿るのは、決意。
今世では。誰も死なせはしない。




