第5話 全然媚薬が切れてない……!!
王宮の林の中にある透き通った泉のほとりで、ギーゼラは絶体絶命の危機を迎えていた。
(まっず……)
目の前に迫り来る怜悧な白皙の美貌にひどくたじろいだ。
(も、モルゲンロート公爵……!! なんでいるのよ!?)
先日、盛大な謎の告白を受けてしまってから徹底的に避けてきた怨敵、モルゲンロート公爵ヴァルターがギーゼラのお気に入りの場所である王宮の林の中の泉のほとりに何故か、いる。
ヴァルターは微笑を浮かべてギーゼラのところへと寄ってきた。圧倒されて三歩ほど引き下がる。
だが、とふと立ち止まった。
(あの盛大な告白は毒薬……もとい媚薬の効果だったんじゃ?)
ギーゼラは調合量を派手に間違えた可能性が高い。であれば媚薬として作用する。視界に入ったギーゼラにヴァルターは欲情しただけなのではないか。
彼女はヴァルターから恋情を告白されたという衝撃のあまり肝心の中身を詳しく聞いていなかったので、そう推論した。
(だったらいい加減、効果は切れてるわよねぇ?)
毒薬もとい媚薬の効果が切れているのであれば、今はただの敵同士であるはず。
用件を聞いて去れば良い。王太子妃リーゼロッテに対する苦情であるだろうが。
ギーゼラは隙のないカーテシーをした。
ヴァルターが穏やかに口を開いた。
「ギーゼラ殿、」
「ご用件は何でございましょう。モルゲンロート公爵殿下」
「用件はない。ただ……。……ここは貴女もお好きなのか?」
(用が無いなら話しかけてくるんじゃないわよ! この男前が!!)
話し相手でも求めているのだろうか。
敵の家の女に話しかけてくるとは、冷徹な所業を繰り返すあまりに話し相手のいなくなった寂しい人間なのかもしれない。
「ええ。癒やされますから」
愛想を崩さずに返すと、
「私もだ。政務の合間によく立ち寄っている」
気品ある笑みを向けられた。
(私と同じことしてる……。っていうことは私はこいつと情緒が同程度ってこと?)
ギーゼラは舌打ちしそうになった。庶子とはいえ一応公爵の娘なので自制する。
気散じに泉をちらりと見る。水面の透き通ってきらめく青は、目の前の美貌の男の瞳と同じだった。
(くっ、こいつと遭遇する頻度が高い場所とは! 見納めね。いままでありがとう。私はこれから別の場所を探しま──)
ゆったりとした、だがはっきりとした声が響く。
「ここに来て、お支えするべき方をどうお支えするか、そんなことを考えている」
「⋯⋯」
ひええ、とギーゼラは頭を抱えた。
(好きな場所もそこでやってることも私と同じだなんて! ……わあああ!)
泉の揺れる水面を見ながら、いつもリーゼロッテのことを考えている。
どうしたら彼女が輝ける? どうしたら幸福になる? そのためにどうすれば良い?
溢れゆく水に、常に問いかけている。
「……」
頭を俯けると、泉の水面に輝く網のような模様が出来ているのを見た。
「……あの、だな」
ヴァルターが声を震わす。
「……?」
「時たま、ここで逢うことは出来ないだろうか? ああ、大したことではなく。話すというか……」
話す……? とギーゼラはくわっと目を見開いた。
(──っ、諜報活動の典型だわ! それで私がポロッと話したことを最大限利用してリーゼロッテ様を貶めるに違いないっ)
顔を上げ、急いで最大限愛想の良い笑みを貼り付ける。穏便にお断りをする時の笑い方だ。
「お断りさせてください。私には陛下をお支えするモルゲンロート公爵殿下とお話できるような話題は持ち合わせておりませんので」
「ギーゼラ殿……」
ヴァルターが切なげな顔をした。
「では」
ギーゼラは逃げるようにその場から立ち去った。
(まずい……)
林を通り抜け、王宮へ戻り、王太子妃の部屋へと向かう。
頬が痩けそうな気分だった。
絶望といって良いかもしれない。
(全然媚薬が切れてない……!!)
ヴァルターのほうは媚薬に乗せられて告白したからには関係を進めてしまえと覚悟を決めてしまったのだが、ギーゼラのほうは媚薬のせいだと思い込んだ。
王太子妃の部屋に戻ると、女官たちがざわついている。
「どうしたのですか?」
彼女たちに訊くと、年老いた穏やかな女官が曖昧な笑みを見せた。
「ギーゼラ様、⋯⋯ギーゼラ様あてにお荷物が」
「え?」
促されてテーブルのほうへ目をやると、人の頭より遥かに大きな美しい箱があった。
箱を開けると香水瓶が大体十本ほど入っている。
いずれも凝った装飾の瓶だった。
「何これ……」
香水瓶の一つを手に取りながら叫ぶ。
「どういうこと!? 私こんなの頼んでませんっ!!」
先程の女官が手紙を差し出してくる。
──愛しいギーゼラ殿。こうなったからには後に引けないと思いました。受け取ってください。貴女に似合うと思って至急集めさせました。
神経質そうな筆跡で書いてある。
「……は? こうなったからには?」
こうなったからには。こうなったからには⋯⋯?
ギーゼラの脳内でひとりの整いすぎるほど整った顔立ちの男が像を結ぶ。
(ヴァルターーーーッ!!!!! モルゲンロート公爵!!!)
手紙には続きがあった。
──以前お見かけしたとき、香水瓶を持って急いでらっしゃったので、僭越ながらお役に立てるかと思い……。
香水瓶、とギーゼラは記憶を探索する。
すぐに気付いた。
ヴァルターの配下の者がリーゼロッテの進行方向に糞尿を撒いたので、匂いが移ってしまった。急いでギーゼラが香水を取りに行ったことを。その時にギーゼラを見かけたに違いない。
待て。何を言っているんだ。この男は。
「お前の⋯⋯お前のせいだろうがーーーーー!!! あぁ!? 何の茶番だ!?」
ギーゼラは怒りのあまり絶叫した。
周囲の女官が「どなたからなの?」「モルゲンロート公爵から!?」「ギーゼラ様が猛獣になられたわ!」と囁いている。
騒ぎを聞きつけ、リーゼロッテが「お姉様?」と奥から顔を見せた。少し眠そうなあたり昼寝をしていたのだろう。
例の箱に近づくと、中身を見た。
「まあ、素敵な香水瓶がたくさん⋯⋯」
「り、リーゼロッテ様。申し訳ありません、お眠りを妨げて」
リーゼロッテが香水瓶を一本手に取る。蓋を開いて香りを嗅ぐ。
「あ、これ……、お姉様のお好きな梨の香りではありませんか?」
「……」
妹はギーゼラの手首をそっと取ると、ひと滴香水を垂らした。
手首の香りを嗅ぐと、甘く柔らかでみずみずしい香りが立ち上る。
「あ、モルゲンロート公爵からですね? お教えした通りの品々ですわ。まあ、やっぱりこちらは薔薇の香り」
(り、リーゼロッテ様? 何をモルゲンロート公爵に教えたのです!?)
妹は満足気にもう一本香水瓶を手にとって香りを嗅いでいる。
「お姉様が一番お似合いと言われる香りですわ。おやまあ、最近、流行の鈴蘭の香りまで。……しかも首都で手に入れられる香水のなかで一番高級なものではありませんか。……素敵だわ……! お姉様、つけてみたらいかがです?」
「ですが……」
「少しだけ! お姉様が香水をつけているところが見とうございます」
リーゼロッテに頼まれると本当に弱い。
「くっ……」
ギーゼラは女官たちやリーゼロッテに手伝ってもらって、梨の香りの香水をつけた。
その日は半月に一度の王室の人間が揃っての晩餐の日であり、ギーゼラは香りをまとったままリーゼロッテに付き従った。
リーゼロッテは最新の流行に合わせた愛らしいドレスを着こなしている。
妹の愛らしさにうっとりとしているとヴァルターとすれ違った。彼はギーゼラをちらりと見ると一瞬だけ固まった。
直後、ヴァルターが晴れやかに微笑し始めた。
(ふ、ふざけんなこの見目麗しいクソ男がー! 私が香水つけたくらいで何を得意げに笑ってるんだこんちくしょう!!)
晩餐後、ギーゼラは箱に贈られた香水瓶を詰め直し、厳重に紐を巻いた。
王太子の部屋へ向かおうとするリーゼロッテが「え?」と小首を傾げた。
「香水瓶をどうなさるのですか? お姉様」
「全部お返しします!」
え、リーゼロッテは瞬きをする。
「梨の香りくらいは頂いたらどうです? とても良い香りでしたし……」
「いえ。全部!」
殺意マシマシで箱をせいっと持ち上げた。
(だいたい、こうやって大量に香水を贈るでしょ? その中に一つ毒入りの香水とか入ってるのよ! 私だったらそうするわ)
知略に長けたモルゲンロート家ならやりかねない。リーゼロッテ暗殺を目論もうとして。
えっちらおっちらとだいたい香水瓶が十本ほど入っている重い箱を運び、ヴァルターの執務室前へどすんと置いた。
ギーゼラは肩を上下させてぜえはあと息を切らせながら、その場を去っていった。
その事件が思わぬ波紋を呼ぶことになるとは、ギーゼラはそのとき予想できていなかった。




