第3話 今までにないほど貴女が愛しくてたまらない
屈辱の糞尿事件から数日後、リーゼロッテは日課である午後の散策をしていた。
王宮の見事な庭園の薔薇の蕾を見て、彼女は切なげに俯いた。
「王太子殿下に、モルゲンロートの人間とも仲良くしなければいけないよ、と言われてしまいました」
ギーゼラはリーゼロッテの側近くに付き従っていたが、内心で「……は?」と憤怒した。
(は? 信じられないこのヘタレ王太子殿下! 糞尿撒いてくるモルゲンロートの人間とどう仲良くしろと言うのよ!!)
王太子は母王妃を通じてモルゲンロート家の血を引く。やはりモルゲンロートびいきなのだろうか。
ギーゼラが奥歯をぎりぎりと噛む一方で、リーゼロッテは前を向いていた。
「そうですよね。モルゲンロートの方々だって同じ人間なんですから。信じられないほど価値観が違ったって──わたくしたちはどこかで意思疎通できるはずです」
(……リーゼロッテ様……)
ギーゼラの目頭が熱くなった。
あれほどひどい嫌がらせを受けたというのに。
何故これほどまでに優しいリーゼロッテがいじめられなければならないのであろうか。モルゲンロート死すべし。
リーゼロッテは振り向く。
「それでですね、お茶会を開こうと思うのです。ひと月後に」
「お茶会?」
「王妃殿下は難しいかもしれませんが……。王妃殿下の弟君のモルゲンロート公爵をお招きして、お話してみようと思うのです。お姉様も協力してくださいますか?」
(リーゼロッテ様が……天使すぎる!!)
ギーゼラは目頭に滲んだ涙を拭って頷いた。
(茶会、か。そうね。一ヶ月後くらいなら薔薇の花も咲き誇っているだろうし、その他の花も見頃だろうし、お庭で開くのが一番かも。あとは参加する方々ね。男性であるモルゲンロート公爵だけ招くとリーゼロッテ様と不快な噂が立てられかねない……。適当な人物をお招きするよう指示しないと。それから、やはりモルゲンロート公爵にデーマルング家のことを侮られないよう茶器も新調して、茶葉も高級なのを用意して……どんな茶葉が良いんだろう。これは茶葉に詳しい女官におまかせして……ん?)
脳裏に邪な考えがもくもくと思い浮かんだ。
(茶会でモルゲンロート公爵を抹殺できるな?)
歴史を紐解けば、宴や茶会はよく暗殺の舞台になっている。
でも、とリーゼロッテの繊細そうで優しい横顔を見つめる。
(だめだ……リーゼロッテ様の目の前で人殺しなんて出来ない……。あきらめよう)
ギーゼラはリーゼロッテの意向を受けて、他の女官たちとともに一ヶ月後の茶会に向けて話し合いの時間を持った。
しかし、引っ込んだ殺意がふつふつと再燃する事件が勃発する。
リーゼロッテが茶会の話を切り出してから三週間後、茶器が届いたという知らせがあった。
検品のために茶器が届いた部屋へと向かっていると、一組の男女が廊下で話し合っているのを見た。
恨むべき王妃アウレリアとその弟である憎きモルゲンロート公爵ヴァルターだ。
ふたりともモルゲンロート家の特徴である金の髪に水底のような青い瞳を持つ美女と美丈夫。
三十代に手の届くヴァルターと年の離れた姉の王妃は四十前後とのこと。
しかし、匂い立つような美貌は一切衰えず、いっそ薄気味悪ささえ感じさせる。蠱惑的な肢体に輝くような目鼻立ちは、艶めかしい反面冷たげで気の強そうな印象を受ける。
派手に着飾らないが、逆に威容に満ちている。
王妃が描かれたような眉を寄せながら、紅い唇を歪ませていた。
「ヴァルター。報告とは何?」
モルゲンロート公爵が怜悧な声で姉に注進していた。
「ええ。王太子妃が高級な茶器を新しく買ったそうです。無駄遣いばかりしている。王妃殿下からたしなめていただければ」
「なんてこと。どうしてデーマルング家の人間は無駄遣いしか考えないのかしら。わかりました。機会を見てたしなめます」
腕組みをして、王妃は溜め息をついた。ドレスを翻して去っていく。
(⋯⋯やっぱりモルゲンロート公爵を殺す!!!)
ギーゼラは全身の血が沸騰した。
(王妃に無駄な告げ口をして! あんたをもてなす茶会の茶器でしょうがッ!!! 理解しろ! その切れるはずのおつむは本当はなまくらなのか!? ああん!? その高級な茶器に毒を目一杯入れた茶を飲んで苦しみながら死ぬと良い! そうよ! そうだわ……)
やはり、殺すべき。にやりとギーゼラは笑う。
(リーゼロッテ様の茶会で弟が苦しみもがいて死ねば、王妃だってリーゼロッテ様を怖がって虐げて来ないはず!)
我ながら良い意趣返しだ。
ほくそ笑みながら茶器の到着した部屋へ足を向けようとすると、ヴァルターに声を掛けられた。
「……ギーゼラ殿」
(何!?)
今すぐ毒を盛ってやろうかと思って振り向く。
見回せば廊下にヴァルターとふたりきりだが、隙のない笑顔を浮かべる。
「はい、いかがなさいました?」
「王太子妃殿下の茶会にご招待を頂いたのだが……。……貴女もお出になられるか?」
(もちろん。あなたの死に顔をとくと見るためにね!)
「はい。王太子妃殿下のおそばにおります」
(てめぇの死体を庭に転がして顔を足で踏みつけてやるわ!)
するとヴァルターは少し頬を薔薇色に染め、目を伏せた。
「そうか……。では」
彼は去っていった。ギーゼラはくつくつと笑う。
(つまり逃げずに参加するということね! ……そして死ね!!)
検品した茶器は贅を極めた一級品の茶器であった。ヴァルターを殺すにふさわしい茶器だ。
茶会当日。
薔薇が咲き乱れる庭で、リーゼロッテは客人たちを迎えていた。
温厚で敵のいない伯爵夫人や王の親族の人畜無害な大司教の他に、主賓であるヴァルターが来た。
客人はみな用意された席についた。歓談が始まっている。
給仕をするのはギーゼラだ。この日のためにドレスも新調した。
ワゴンに並べられた茶を見る。懐から瓶を取り出し、最終確認をするふりをしてヴァルターの分の茶に瓶の中身を垂らした。
瓶の中身はよく市場に出回っている媚薬だ。
(そう。大量に摂取すると強烈な毒薬になる媚薬よ!)
ギーゼラは笑む。その媚薬を若干改造した。
これはもはや媚薬とは言えず、人を苦しめて死に至らせる猛毒だ。
しかし、誰がどう見てもただの市場に出回っている媚薬でしかない。万が一取り調べを受けても媚薬を間違って入れたと解釈されるはず。リーゼロッテに累が及ぶことはない。
(追及されたら私が申し開きすればいい。「モルゲンロート公爵の愛を得たくて、媚薬をたくさん入れてしまいました」とか適当なことを言って。……私は処罰されても構わない)
そんな理由で処罰されるのは不本意だが、リーゼロッテのためであれば仕方がない。
茶器と菓子の乗ったワゴンを客人たちのほうへ向かって押した。
──そして、冒頭のような事態になったわけである。
標的ヴァルターは無事に斃れたと思いきや起き上がった。
ギーゼラは様子を見るふりをして近寄り、袖から毒針を出して首筋に刺そうとする。
ぐっ、と手を握りしめられた。
ヴァルターは息を切らせ、頬を上気させていた。ギーゼラを美しい青の瞳で熱っぽく見つめてくる。
「……は?」
思わずギーゼラは声を出す。
ヴァルターは声をつややかにかすれさせて聞いてきた。
「ギーゼラ殿。──今日はやけにいつもより美しくないか?」
「……え?」
「ずっと思っていたのだが……。今日は一段と美しい」
「な、何をおっしゃいます」
ヴァルターの青の瞳が艶めかしく濡れている。
「どうしよう、ギーゼラ殿。今までにないほど貴女が愛しくてたまらないのだが……」
は? とギーゼラはヴァルターをまじまじと見た。
医者を呼ぼうとしていたリーゼロッテが様子を覗いてくる。
「あの、モルゲンロート公爵⋯⋯、お姉様に⋯⋯いえ、ギーゼラ・デーマルング嬢に何をおっしゃっておいでで」
ヴァルターは頬をつややかに染めた。息を喘がせながら告白する。
「私はずっと⋯⋯。⋯⋯ギーゼラ殿を愛していました。ですがギーゼラ殿は……デーマルング家の人間、添い遂げることは出来ないだろうとあきらめて……。せめて彼女を見守りたい……、そんな気持ちで……」
その場にいた温厚で敵のいない伯爵夫人や無害な大司教は「忍ぶ恋というやつですな……」と囁き合っている。
聡明怜悧で「王の参謀役」と言われている男の姉への告白に、リーゼロッテは目をきらきらと輝かせる。
「そんなにお姉様を想ってくださっていたのですか……っ!?」
当人のギーゼラは目を皿のように見開いたまま、突っ立っていた。
ヴァルターに手をそっと取られ、指先に熱く口付けを落とされた。
「はーーーーーーーーー!?」
そして、腰を抜かして悲鳴を上げた。




