第14話 優しげな甘いマスクに優しい声の貴公子
太陽が燦々と輝いていて、王宮の庭を照らしている。
むっとする訳では無いが、灼けるように暑い。
夏が来たのだ。
そんな運動に不向きな季節なのに、怪我の治ったリーゼロッテは剣術の稽古をしていた。
シャツ一枚にトラウザーズを穿き、豊かな黒い巻き髪を後ろで一つに結んでいる。
そんな彼女を政務の合間を縫って王太子は見守っている。
格闘技は難しいかもしれないが、護身用の剣術は習っておきたい、とリーゼロッテが頼んだのだ。
リーゼロッテの指南役には伝説の傭兵と言われる男がついた。仔細は省くが、とりあえず伝説の傭兵である。
汗だくの中で、伝説の傭兵はリーゼロッテに容赦しない。
「構え!」
「はい」
「斬り!」
非常に重い剣をふらふら持ち上げて大きく上から振る。
「はい!」
王太子が大喜びする。
「リーゼ、剣が持ち上がるようになってきたじゃない! 稽古を始めた時は全然何も出来なかったのに」
「ありがとうございます……!」
リーゼロッテは頬を真っ赤に染めた。
そしてお互いうっとりと見つめ合い──。
伝説の傭兵は無粋にも両想いの愛らしい若い夫婦に突っ込んだ。
「そこ! いちゃいちゃしない!」
そんな様子を、ギーゼラはリーゼロッテに従いつつぼんやりと眺めていた。
妹は、自分の力で強くなろうと歩み始めた。──色んな意味で。
(私がお守りしなきゃ、と思っていたけれど……。リーゼロッテ様は頑張っておられて……)
尊いと思う反面、少し淋しさも感じる。
少しだけ胸を押さえていると、柔らかく軽妙な男性の声が耳元で響いた。
「可愛いお嬢さん」
(ん?)
振り向くと、非常に整った顔立ちの、垂れ目で目元にほくろのある栗色の髪の青年が甘く微笑んでいた。
髪は長く、陽の光に透かすと緑色を帯びる。
優しげな甘いマスクに優しい声の貴公子然とした人物。
(──好き!!)
ギーゼラはその瞬間、脳の中の何かが焼き切れた。
甘い顔立ちの貴公子はそっと聞いてくる。
「今、お暇?」
ギーゼラは少しだけ咳払いをし、貴公子に答えた。
「王太子妃殿下を見守っております」
優雅に首を傾げながら、貴公子はふんわりと笑う。
「暇といえば暇だよね。俺とお茶しない?」
「……」
脳内が焼ききれていたギーゼラはコクリと頷いた。
貴公子に手を取られた。素直についていく。
そんなギーゼラを、リーゼロッテも王太子も、伝説の傭兵でさえ少し、いやずいぶんと不安そうに見ているのに気づかず。
王太子が顎に手を当てる。
「あれ? ……確か、ローゼンミュラー伯爵では?」
リーゼロッテは夫にすがった。
「ローゼンミュラー伯爵!? どういったお方なのです?」
伝説の傭兵が唸る。
「ツヴィーリヒト王国一のある種の凄腕の猛者でしたな」
「ある種の凄腕の猛者……そうなんだよね…………」
「まあ! どうしましょう!! ある種の凄腕の猛者!? そんな方にあんなにいとも容易く引っかかるなんて……お姉様!!」
伝説の傭兵や王太子の言っていることを正確に理解したリーゼロッテは悲鳴を上げた。
「ある種の凄腕の猛者ですからなあ」
伝説の傭兵が更に唸る。
ギーゼラが連れてこられたのは王宮にある瀟洒な温室だった。
温室のベンチに座らされる。貴公子も隣りに座ってきた。
栗色の髪の貴公子はギーゼラに向かってずっと微笑んでいた。
(ほあああ……)
ギーゼラはうっとりとして貴公子に見とれていた。
「本当に可愛いよね、君」
「……」
頬が熱くなる。
貴公子はギーゼラの耳に息を吹きかけた。
爽やかなシトラスの匂いが貴公子から立ち上る。
「他の女性と逢引する約束だったんだけど……、君に心をぶち抜かれたよ」
「はわわ……」
腰に響く優しい声に、ギーゼラの思考回路はまともに機能しなくなった。
「君みたいな女性はなかなかいないんじゃないかな。こんなに心癒やされるなんて……」
「あわわ……」
貴公子に手を握りしめられた。
「君、王太子妃の女官だよね。名前は?」
「は、はい……ギーゼラ……」
「いい響きだね。俺はレオポルト。気軽にレオと呼んでほしい」
「はい! レオ様!!」
すでにギーゼラの理性は一切なくなっており、男に対して首振り人形と化していた。
「本当に可愛いなあ。いいね。君みたいな子好きだよ」
レオポルトが微笑むと、ギーゼラは完全に茹で蛸のように身体すべてを赤く染めた。
「それでさ」
ギーゼラの耳元にレオポルトが囁いた。
「俺、凄く困っちゃったことがあって」
「……え? 困ったこと?」
「うん。実はね、こうみえて僕は今日の衣食にもことかいているんだ。君に助けてもらえると嬉しいな」
「……助け、る?」
ギーゼラの顎をそっとレオポルトが引き上げた。頬に口付けを落とす。
「うん。借金もひどくてね。君と一緒に返済したいな」
「……一緒に……」
ぼうっとしながら、ギーゼラはレオポルトの言葉を反芻する。
「そしたら素敵なこといっぱい教えてあげるね。髪の毛の先から爪先まで可愛がってあげる」
冷静に見れば金銭と肉体を要求されているのだが、ギーゼラは何も冷静に判断できなくなっていた。
「……えっと、どのくらい?」
「そうだな、そう。とりあえず今日中に銀貨十枚くらい用意して」
「……そんなに!?」
ギーゼラは戸惑った。伝説の傭兵の日当と同じくらいの金額だ。だが、目の前のレオポルトは微笑んでいる。
(困っているのに余裕……余裕を見せて女性のことを安心させようとしているんだわ!)
あまりに目の前のレオポルトが健気に思えてしまう。
(でも……銀貨十枚なんてすぐに用意できない……どうすれば……)
ギーゼラは頭を悩ませた。
***
ギーゼラの様子を見たリーゼロッテと王太子はヴァルターの執務室へ駆け込んだ。
「叔父上、大変なの!! ある種の凄腕の猛者が!」
「モルゲンロート公爵、お知恵を貸してください! ある種の凄腕の猛者に……!!」
王太子とリーゼロッテが焦りながらヴァルターに事情を説明する。
ヴァルターは、政敵であり追い落とさなければならない対象のリーゼロッテにすっかり恋愛相談をする関係となってしまっている。
だが、王太子とリーゼロッテの説明を聞いて、ヴァルターは首を傾げた。
「ある種の凄腕の猛者? レオポルト・フォン・ローゼンミュラーでしょう? 私の親友なんですよ」
「「えええ!?」」
リーゼロッテは王太子と抱き合って驚く。
ヴァルターは腕を組んだ。
「彼には悪癖があります。口説いた女性から巻き上げた金を賭けてチェスをするんですよ」
「クズですわ!! そのお方!」
リーゼロッテは珍しく金切り声をあげた。
たしかにあまり褒められたことではない。ヴァルターは頭を掻いた。
「ただ、チェス場での情報がかなり役立っていて。私の良いチェス相手になってますし」
リーゼロッテは頭を抱え、きゃああああ、と悲鳴を上げた。
「お姉様がその、ある種の凄腕の猛者に捕まってしまったのです!!」
「ギーゼラが金をたかられる可能性が高いんだ」
王太子がヴァルターにすがる。
ヴァルターはその瞬間、泡を吹いて気絶しそうになった。
「は……!? いまギーゼラ殿はどこに!?」
「わかりません……ローゼンミュラー伯爵に連れて行かれてしまいました!」
崩れ落ちそうになるのを、何とか理性で押しとどめる。
ギーゼラを探しに行かねば、と三人は執務室を出た。




