第13話 ……な、なんで……?
王太子妃はテレーゼの格闘に負けたものの幸い骨折はしておらず、一週間ほど安静にすればよいとのことだ。
姪のテレーゼが一騒動起こした。
執務室でヴァルターは胃痛をこらえるように息を吐いていた。
机を差し挟んで向かいには、次姉の娘──姪のテレーゼが俯いて立っている。
「王太子妃に関節技と投げ技を掛けたそうだな。結果、勝ったそうだな」
「はい。王宮の裏庭にひとりで来るよう申し添えて呼びつけたら来ましたので」
「そうか……」
ヴァルターは少しだけ胃を押さえた。
一方のテレーゼは、叔父の蒼白な顔色など窺いもせずに目を輝かせ、祈るように手を組んだ。
「あの、叔父様。王太子妃に勝ちました。わたくし、ディートハルト様の側妃になれますかっ!?」
「……」
「叔父様っ!」
格闘技が得意な女丈夫とは思えないほど媚びを含んだ愛らしい声が響く。
「そうだな。私もお前が勝ったので側妃に推挙したいところだ。だがな……」
この男は政治的・実務的には頭が切れるが恋愛面では異様なほどのなまくらである。
「ディートハルト王太子殿下が今回の件に関してお前に対し、かなりへそを曲げておられるのだ……」
ふう、と彼は大きく深刻な溜め息を吐いた。
王太子妃リーゼロッテが格闘に負けた日の翌日、王太子は険しい形相でヴァルターに詰め寄ってきた。
彼は言い放った。テレーゼを自分付きから外す、と。
──リーゼの腕とか足がパンパンに腫れちゃってるし、身体中アザだらけなの。リーゼは全然格闘技など知らないんだよ! 知らない人間に戦いを挑むって無茶で無謀だよ! テレーゼがそんなに底意地悪いとは思わなかった。顔も見たくないっ!!
赤ん坊の頃からいつもご機嫌な王太子の珍しい激怒に、ヴァルターは戸惑うばかりだった。あまりの剣幕に「はい」と頷くしかなかった。
おかげで胃が痛い。長姉である王妃アウレリアはもちろんのこと、次姉や三姉に何と嫌味を言われるかわからない。
何でこんな簡単なことも処理できないのよとか、王太子の人柄や好みは赤ん坊の頃から知ってるでしょう、だったらとっととリーゼロッテから引き離しなさいよとか、挙句の果てに「おまえが側妃になれ」と無理難題な怒号が飛んでくることもあり得る。
ヴァルターを通じて王太子の意向を聞かされたテレーゼは非常に動揺していた。
「……な、なんで……?」
叔父としてヴァルターは首を横に振った。
「わからん……。お前は美女だし、格闘技もできるし、教養も高くて気遣いもできるし、モルゲンロートが出せる最高の女なんだがな……。ともかく王太子殿下はもうお前に会いたくないらしい。女官を辞すしかないな……」
「……そんなあっ!!」
テレーゼは悲鳴を上げてうずくまった。
絶望する姪の姿を見ているうち、なまくらなヴァルターはハッと気付いた。
(なるほど、王太子妃を傷付けたからか……)
自分に置き換えてみれば簡単なことだ。
ギーゼラを噴水に落とされた時の怒りといったら尋常ではなかった。自分がここまで怒れるのかというほど怒りが止まらず、むしろそんな自分を面白く感じたほどだ。
王太子にとっても同様で、愛しい人が傷付けられて怒り心頭なのだろう。
(王太子殿下にとって王太子妃が、俺にとってのギーゼラ殿と同じくらい大事だなんて……。これでは側妃を迎えることは不可能ではないか! 俺はギーゼラ殿以外の女に目が行かないもん! 王太子殿下も同じ、王太子妃以外の女に目が行かないのか……。戦略の立て直しが求められる……。王太子妃にいっそ子を産ませるまでは妥協して、その子を取り上げて我がモルゲンロート家で育ててゴリゴリのモルゲンロート派に仕立て上げるか?)
絶望していたテレーゼがおずおずと顔を上げる。
「あの……叔父様」
「何だ?」
「叔父様、わたくし、愛する殿方がいるのですけれども」
「今までの流れはどこへ!?」
先程までディートハルト王太子を一番お慕いしているだのなんだの言っていなかっただろうか、とヴァルターは耳を疑った。
テレーゼは顔を真っ赤にしながら両手で頬を覆う。乙女の仕草だ。
「涙ながらにそのプロレス技の素晴らしい方と別れ、側妃に一兆が一ならなかったらまたお会いしようと思って……、今、思いを自覚しまして」
「は、はあ」
わからん、今までの流れは!? となまくらなヴァルターでさえテレーゼの言っていることが理解できなかった。
この叔父姪、恋愛方面では異様なほどなまくらなのだ。
「結婚してもよろしいでしょうか!?」
「そ、それはそうだな。相応の家格のものであれば私としては異存はない。我が母ヴェンデルガルト様に許可を取れ」
「えっ……あの、あの……お祖母様に……?」
テレーゼの目が泳ぐ。
***
ツヴィーリヒト王国南部は広大な農業地帯となっている。のどかで気候がよく、人も大変おだやかな気性だ。
南部最大の都市グリューエンの中央に位置するグリューエン城の奥深くで、一人の中年の男がソファに伸びていた。
「ああ〜、つっかれた。農作業の手伝いは疲れるものなんだね」
もっさりとした黒髪。少し濁った緑の瞳を有する、聡明さとぼんくらさを同時に醸し出す不思議な目元。整っていなくはない顔立ち。
筋肉もあまりついていなければ贅肉もあまりついていない痩せぎすな身体。
「あなたが手伝わなさすぎるのですわ。いつもサボることばかり考えていて」
彼より若いが中年と言って差し支えのない、ふくよかな体型の亜麻色の髪の女が呆れながらレモン水を差し出す。
「どうも」
男はゆっくりとレモン水を飲み、ゔぁああ、と息を吐いた。
「仕事終わりの一杯は本当に良いねえ」
すると、女は懐から手紙を二通取り出した。
「あなた、良い情報と困った情報、どちらから先にお聞きになりたい?」
「うーん、まず良い情報から聞きたいな」
女は頷き、片方の手紙を男に渡してニッコリと笑った。
「リーゼロッテの怪我! 幸い骨折はしていないそうですわ。もうすぐ良くなるとのことで。ギーゼラが書き送ってくれました」
「おお! それは良かった。で、困った情報は?」
女は怪訝そうな顔でもう一通の怨念に満ちた手紙を見る。
「……ギーゼラが返答しにくい手紙を送ってきたのです」
「ん? どうしたんだ。しっかりしたあの子にしては珍しい……」
「そう。大丈夫かしら。あの子は思い詰めやすいから……」
男は手紙を受け取り、怨念漂う中身を読んだ。
──拝啓お父様。お父様のあふれる知略をお借りしたく。人をミンチにしてハンバーグにするにはどうしたらよろしいでしょうか。
男と女は目を見合わせた。
「お、おい。私たちはギーゼラをこんな子に育てたつもりはないぞ!?」
「何があったのでしょう……」
はあ、と男は立ち上がる
「仕方ない。首都に行くかー」
「行かれますか」
「ああ。リーゼロッテとギーゼラの様子を見に行かなければいけないし、王家やモルゲンロート家の様子もこの目できちんと確認しておきたいし」
「では支度をさせましょう」
女は侍女に命じてすぐに荷造りをさせた。
男はデーマルング家当主、デーマルング公爵ルドルフ。
女はデーマルング公妃エリーザベト。
ギーゼラとリーゼロッテの父母である。




