ニューヨークの…リタ
ニューヨークの…リタ
「おはよう、眠り姫。何時見てもベッピンさんだな。君のお陰で、此処の仕事が楽しみの一つになったよ」
眩しいくらいの白い室内は、脳外科手術ができるくらいのクラス7を誇るクリーンルーム。
ホコリの出ない特殊なウエアを着たマークは、ベッドに横たわる眠りから目覚めない少女を見おろした。
ヘッドセットを調整しながら何時もの検診を始める。
隣の部屋から窓ガラスを挟み、パソコンへの入力を手伝う助手のアンジーの睨みながらのヘッドフォンに注意の声が飛んできた。
「マーク、目付きが嫌らしくなっているわよ。眠り姫だからって、変な所触ったら許さないからね。すべて記録に残っちゃうんだから。」
「もちろんさ、異世界人の女の子の生態情報なんて貴重すぎて、男の目線で見るよりも先に医者として研究者としての興味が尽きないよ。…まあ多少は、独身男の前にこんな眩しい美少女が横たわっているんだから、僕の感情までは、記録しないでくれると助かるよ」
「ば~か。真面目にやってよ!」
「うほん。…切り落とされていた腕の接合手術は完ぺきだった。さらに、ガイアスさんが持ち込んだ謎の液状薬品、ポーションと呼んで差し支えないだろう。あれには驚いたね。数回の塗布と経口摂取により、わずか三日ほどで接合の後が跡形もなく完治してしまった。驚くべき異世界の薬品だよ。うちの出向元の薬品会社に知れたら大騒ぎになるだろうから、当分は秘密にしておくよ。とんでもないモノを持ち込んでくれたもんだよ。」
「問題はガイアスさんが、呪いの毒と言っていた喉元に広がる黒いあざの方だよな。」
「僕らの開発した免疫力を高めるウイルス治療『ファージ』の投入がこの子にも効果をもたらしてきている。最初に採取した黒い物質を培養したものに、段階的にファージの量を調整したものを投与しているんだが、培養液内の黒物質とある一定量を超えたファージの投入では、ファージの増殖が黒物質の増殖のスピードを超えてきている」
「この結果に基づいたファージをこの子にも投与してみたのだが、予想通りだ。このウイルス治療ファージが呪いの黒物質を食い尽くしている。見ての通り黒い痣も小さくなってきた」
ガイアスの話では、呪いの効果が異世界間を超えて伝わらないのではないか? との一つの見解もあった。今現在の黒い痣さえ取り除けば、完治するのではとの憶測とも言える希望が叶いつつあった。
「おおむね、すべての治療が順調と言えるよ。後は意識を取り戻してくれればいいんだけどな。」
マークは、ペンライトを当てると片方の瞼を開き覗き込む。
(うんんっ? うわっ!)
その瞬間、小さかった瞳孔が一瞬おおきく開き、明るい室内に反応して小さく絞り込まれていく。
グルンとその両目が動くとマークの顔を捕らえた。
「…うっ…うっグホッ!」
何某かの言葉を発しようとするモノの上手く言葉にならない。
焦点の合わなかったその眼に、力がみなぎってきた。覗き込むマークの顔を不思議な物でも見る様に見つめ返してきた。
(おっ! 気が付いたか!)
「よし! アンジー、気が付いたぞ。眠り姫がお目覚めの様だ」
マークは、窓の向こうのアンジーに振り向いてうれしさのあまり親指を立てる。
「Kkoは m doqeい? あnntaohはdaれ? 」
(此処は、いったい? あんたは誰?)
見た事もない白い部屋、おかしな恰好のパーマ頭の痩せた男がベッドの脇に立って自分を見下ろしている。
(たしか、森で敵の魔術師に襲われて…………)目を覚ましたリタに少しずつ記憶がよみがえってくる。
(アッ! 隼人は? あの魔術師に掴まったんだ? すると此処は、あの魔術師の屋敷?)
森で意識を失ってからの記憶の無いリタは、世界の狭間を飛び越え異世界へ転移しているなど思いつくはずもない。
眩しいほどの空間に目もくらんでいる。
小さく聞き取れない言葉が、マークの耳元に聞こえる。
少女を見ると悲しそうな顔で、マークに向かい掌を突き出している。
「どうしたんだい?」
(…うっ 弾けろ! ストーンスプラッシュ!)
「コッコココンッ!」
にこやかに笑顔を向けたマークの顔に小石の礫がマシンガンの様にばら撒かれた。
「うっ! うわーっ いっ石が!?」「やめなさい!」
現代地球の魔素の少ない空間。
リタの石礫を繰り出す土魔法も、マークにとっては幸いにも威力を伴わない小石が顔面に叩きつけられた程度ですんでしまった。
(なんで? 力が出ない! 魔力が使えない。此れもあの魔術師のせい?)
だるい体を無理矢理に起こす、体中に心電図のコードや点滴のチューブが体に纏わりついている。
一息に振り払うと、倒れ込んでいるマークを飛び越え、唯一の出口に思えた窓に向かって飛びこんだ。
「やめなさい!」 「パリン!」 「きゃーっ!」
静止しようとするマークの声や自分めがけて飛び込んでくる少女に驚くアンジーの悲鳴が交差する。
「きゃーっ! ぎゃーっ! いゃーっ! キャーッ!」
大声で喚きながらも、黒人女の体格の良いアンジーのでっぷりとした臀部に、リタは抑え込まれてしまった。
「アンジー、ナイス!」
落ち着きを取り戻したマークが鎮静剤をリタに打つ。
少しの抵抗を見せたリタだったが、病床で衰えていた体は、一瞬の体力を使い果たすと動けなくなってしまった。
(…うっ隼人。……何処にいるの…………)
仲間たちもいない。魔力も尽き、体から力が抜けていく。無様な自分一人。そして見た事もない空間にすべてのモノが初めて見るものばかり。
組み伏せている女は大声で喚きちらしている。
急に悲しみが沸き起こり、心細さに押しつぶされそうになるリタ。
誰にも知られずに知らない世界に只一人、取り残されているような気持が沸き起こってくる。
そんな時に森での一言を思い出した。
(あの男は私に言った。確かに力強い言葉で私を守ると言ったんだ。)
(…たすけて…)
リタは薄れゆく意識の中、思い出していたのは隼人の姿だった。
リタが昏睡から目覚めたとの報を聞いて、現代地球に滞在し続けているガイアスが研究所へと駆け付けた。
リタの容態が気になるのはもちろん、事情を知らないリタを一人にしておくことで、魔法使いでもあるリタの魔法で周囲に被害を出さない為にも、ガイアスにしかできない言葉を変換する魔法をリタに掛ける必要があった。
ベッドに寝かされたリタの脇に立つ男の顔が、ぼんやりと見えてきた。
「うんん? 隼人?」
巻き毛に顔の表情が似ている、一瞬伸ばしかけた手を引っ込めた。
隼人と違い背は低く、ずんぐりとした色の黒い中年男だった。
「隼人じゃなくて悪かったな。俺の言葉が分かるか? 色々説明する事がある。其の為にも此処の連中にも分かる言葉で説明したいんでな。少し魔法を掛けさせてくれ」
ガイアスの術式がリタに掛けられると、周囲の雑音にしか聞き取れなかったマーク達の言葉も少し分かってきた。
知らない単語の羅列の中にもその前後の言葉で、何を言おうとしているのかは理解できた。
驚いたことに、何時の日か隼人が聞かせてくれた隼人の生まれた世界、異世界に自分がいるのだと聞かされた。
文明や技術の圧倒的に進んだ世界。
自分を治療するために隼人やその父親ガイアスが、送り込んでくれた事を理解した。
「おっちゃんが、隼人の父ちゃんだったのかい。ガイアスって名前も知っているよ。プラディアの魔導士にして、あたいの師匠ジャッファの御師匠さんなんだろ?」
「フフフッ そうだな。弟子の弟子はやはり俺の弟子だよな。知らない間にいつの間にか弟子が増えていきやがる。ああっ 俺を親父だと思って頼れ! おっちゃんとか呼ぶんじゃないぞ。師匠…師匠だ。」
ガイアスは、不安げに少し臆病な表情を見せるリタの頭を力強くかき回した。
「やっ やめろよ! おっさんっ いっいや…師匠…。女の髪が乱れるだろ。全くがさつだなぁ。」
(ふっ 俺を頼れっ…だって、言ってる事がアイツとそっくりだよ。)
リタの眼に映るガイアスが、森の中で強くリタを抱きしめて言った隼人と重なる。
自然とにやけている自分に気が付いた。
先ほどまで感じていた孤独感が、どこかへと吹き飛んで行ってしまった。
穴が開きそうになっていた其の空虚さは、隼人への思いと目の前のガイアスの姿で力強く埋め尽くされている。
(隼人、あんたが生まれ育った世界なら、其処はもう、あたいの世界でもあるんだよな。あたいが居てもいい世界だよな)
マークが、リタの表情に赤みがさしている事で、脈を取り、簡単な検診を終えた。
「問題はない様だ。どうするガイアスさん。」
「ああっ研究所には、世話になったな。しばらくは俺の弟子だし、家で引き取って此方で静養させようと思う。今後の経過を見て貰うのと魔力の補充の為に魔石も使わせてもらわねばならん。研究所へは、こまめに顔を見せに来るさ」
その日の内に、リタはニューヨークのガイアス夫妻のコンドミニアムへと居を移し、静養する事となった。
秋絵が、わざわざ日本から運んできたフォード・ブロンコのハンドルを慣れた手つきでガイアスが握る。
「ほら、乗りな! お姫様。俺が最初に驚いた世界をお前さんにも見せてやるぜ」
ガイアスの口元が跳ね上がり、タバコで黄ばんだ歯を覗かせた。




