ベベル…暗略
ベベル…暗略
王都の高台に居を構えるアルトマンの屋敷。
その一室で主は、呼びつけたベベルに苛立ちをぶつけていた。
「また、失敗しただと? …アルタラスの魔物転移が整うまで、ハゲワシの群れとワイバーンで街を混乱に陥れて見せましょう…などと大口を叩いたのはどいつだ」
「ははっ それに付きましては、実に想定外。王都への街道沿いに、空駆ける黒馬操る女騎士や聖女などと謀る者どもが現れようとは、私の思い及ばぬところでありました」
(くそっ この老いぼれめ! 自分では、何事も進められんくせに、手を貸してやっている俺の仕事が上手くいかぬ事だけを詰りやがる。軍備の増兵の為にでも貴族連中に顔繋ぎに行脚でもすればよかろうに)
(それにトマスの奴め、ワイバーンの力を与えて貰いながら、命令を背きおって。なぜ、大森林へなど向かおうなどとしたのだ。勝手な行動をとった挙句に全滅させられるとは、あ奴の死霊術にいくら掛かったと思っているんだ。馬鹿め!)
トマスのジャッファを憎む気持ちが、アルタラス奇襲の前菜ついでとばかりに大森林へと向かわせたのだった。腐肉ワイバーンのトマスは、運悪く遭遇した小春たちに、殲滅させられている。
アルトマンの欲望に乗じて、手助けをしてアルタラスの海沿いの領地を手に入れたいベベルだが、打つ手すべてが悪手となり潰されている。
最初の失敗は、プラディアのガイアスにタラス近くに仕掛けた転移陣を見つけられた上に破壊されてしまった事だった。
さらに、大森林側の魔物を集める広範囲の転移陣までも破壊され。用意していた魔石まで、隼人達に奪われている。
うるさいアルトマンを黙らせるために飛ばした腐肉ワイバーンとハゲワシによるタラス急襲さえ、タラスへ向かうどころか、トマスの勝手な行動により小春達に全滅させられている。
(クッ! なぜこうも事が運ばない。皇国で病に苦しんでおられる第二王子の静養の為にも、南国の温かい静養地がほしい。北の皇国では手に入らない人魚の胆や大クジラなど様々な滋養に効く食材があると聞く。皇国やこの国ローデンと国交を閉ざすアルタラスでは、物資の流通など僅かなもの、まとまった物資の流通などアルタラスとの断絶を決めた大公が、関わったとなると対立する勢力には恰好の話となる。力ずくで奪うしか欲しいモノも手に入れられないのだ)
そんな中ベベルにとって、思わぬ計画の変更をアルトマンが口にする。
「此のままでは、全くの無傷のアルタラスの勢力とぶつかる事となる。そうなると我らの痛手が大きすぎる。遠征していく我らの軍に付き従う各地の貴族の負担も大きくなってしまう。」
「それでは、実入りの褒賞と割に合わないと言い出す者たちも出て来るやもしれん。」
「そうした者たちが、一人二人と抜け出しでもしたら、波でも引くごとく此度の南部討伐から手を引くもの達で溢れ、アルタラスの実効支配など夢のまた夢となろう」
「幸いにもまだ、此の計略は国境付近の動きのない事を見ると、南の地にもばれてはいまい。士気の高まらない今、討伐の遠征に打って出るのは愚策にさえ思えてくるわ。」
一刻も早くアルタラスの南国の一領地を手に入れたいベベルにとって、今更ながらに尻込みしだしたアルトマンが腹立だしかった。
「お言葉ですが今手を引くには、あまりにも今まで手掛けた労力と金が勿体ないとは思いませぬか? 此れまで手懐けた貴族どもがお館様になびいている今が勝機なのでは、この期を逃すとこの先、未来永劫タラスの地を踏むことは叶いませんぞ」
「いや、もう既に決めた事じゃ。此れまでもお前の口車に乗り大金をつぎ込んできたが、何の成果も得られんではないか? 今回の無理な遠征討伐にすべてを掛けなくても、今の王には男の嫡男がまだ生まれてはいない。まだ我が公爵家にもこの国の世襲争いに付け入るチャンスは残っている。今は、力を温存し。機が回って来る時を待つことの方が賢明じゃ。」
「……今までに掛かった費用を無駄にし、つぎ込んだ投資は回収する事は叶いませんぞ。…よろしいので?」
(今更、取りやめるなど、許せるものか!! この私の働きを無駄働きとするつもりか!? この老いぼれめ!)
「フン! 無能な死霊術師など、あてにした儂が愚かだったと、付き合いのある皇室からのお墨付きの魔術師だからと、信用して大金をつぎ込んでしまったワシの見込み違いだったと諦めよう」
「お前などより今、市中を賑わす黒馬の女騎士やその聖女とやらを手元に置いてそれに群がる商人や、下級貴族達に様々な恩義をすり付けてやる事の方が面白いと思うがな」
「女騎士は王家の騎士団の所属だろうが、聖女を警護するために付き従っている事を考えると、聖女を手に入れさえすれば、その女騎士も共に我の手駒として使えよう。うむ、其れがいい考えだ。」
アルトマンは、目の前のベベルを無視して思いついた考えが、なかなかの策ではと頬を上げる。
「お前には、もう用はない。国へ帰るなり、好きにいたせ。これ以上の金の用だては無いと思え。話は済んだ」
アルトマンは、もうベベルとの縁は切ったと言わんばかりに。部屋の出口に向かって歩き出した。
(くそ! 此処で切り捨てられてたまるか! なんとしてでもこの男には、アルタラスへと進軍してもらうぞ。 南の領地を手に入れるには、この機会しか俺には残っていない)
「待て!! アルトマン。お前には、命を張って戦に行ってもらうぞ!」
隣国の魔術師ふぜいに、いきなり横着な言葉を投げかけられたアルトマンは、珍しいモノでも見る様な目付きで振り向いた。
「気でも狂ったか? 隣国のお抱えの魔術師とはいえ、そのような言葉と態度、公爵であるワシに対する冒涜であるぞ。不敬罪にも当てはまる。言葉を改めよ!!」
「いや、此れからお前はこの俺の配下となって、手足のごとく働いてもらう。すり潰れて、死ぬまで働くんだ。公爵として俺の奴隷としてな。」
「なに! 此の儂に楯突くか! 誰かーっ 誰かおらんかー!」
「ピッ」ベベルは、懐から一枚の魔法陣の描かれた紙を取り出すと、人差し指を使ってアルトマンの顔めがけ飛ばす。
ベベルの手からまるで生き物のように空中を飛ぶとアルトマンの口を塞ぐようにその魔方陣の紙が取りついた。
「ムウーッ ムウーッ」目を見開き口元の紙を引きはがそうとするモノの、鼻と口を塞がれて声も出せない。魔法陣の紙きれは、アルトマンの皮膚と同化し口を塞いだまま、顔の一部と化してしまった。息苦しさに顔も真っ赤にしてもだえる。
今までの口や鼻と全く同じ姿に同化してしまった魔法陣の紙は、それが取りついているようには、はた目からは解らなくなってしまった。
汗を吹き出し、顔を青ざめ、喉をかきむしる様にして床を転げまわる。
そこには、今まで公爵の威厳で見下していた姿はない。いきなりの生死の際に追い込まれてしまった男の悶絶する見苦しさで床を転げまわる。
「ふん! いい気味だ。完全に死なれても操りにくいからな。此の辺りで此奴の思考に干渉しておくか」
その時、ドアを叩く衛兵の声が響く。
「お呼びになりましたか御館様! どうかなされましたか? 入らせていただきます」
ガシャガシャとドアノブを回すが内鍵で、開くことはない。
「衛兵! しばし待て! 公爵様は、立ち眩みをおぼえられた様だ。少しの間、静かにせよ」
(くそっ! 急がねば)
とうとう気を失ってしまったのか、半眼で力も抜けたような公爵をベベルは抱え上げると椅子に座らせた。
死霊術の一つ、人を操る術式の文言を生きている男の脳に刻み付けるべく人差し指をアルトマンの髪の生えた頭に突き付ける。
唱えるベベルの手の甲に魔法陣が浮かび上がり、アルトマンの髪に隠された頭皮に、突き付けた指先と同じくらい小さな魔法陣が焼きつけられた。
そこで、アルトマンは僅かに気を取り戻した。
(くっ! ベベルの奴め、此の儂の体に何かしおった)
助けも呼べず、自分の体も思うように動かない。恐怖に縛られているものの、頭に植え付けられた何かは、今まで味わった事もない快楽を呼び込むような刺激に満ちている。
頭に植え付けられた魔法陣から染み込むように、黒く細いミミズのような触手がアルトマンの頭の中に侵入してくる。
ベベルが声をかける。
「よし、俺の声が聞こえるか。お前は、此れから俺の為に動け、さすればお前の中にも最上の喜びが生まれるだろう。俺の為に尽くす事が、お前の喜びのすべてだ。いいな。俺の気持ちに逆らう様な事は、お前にとっては辛いことだと思え」
アルトマンは、思考の中で憤怒する。
(ふざけるな! 魔術師ふぜいが。此の公爵家の青き血を受け継ぐこの儂に命令するつもりかーっ!)
「ガッ!」その時、鈍器で殴られたような衝撃が頭に響く。
朦朧とする頭に(ベベル様の仰せの様に)やさしい言葉が響いた。
自然と同じ言葉を知らず知らずに口走る。
柔らかい空気が辺りを包み込み、子供の頃に感じていた何かに守られている安心感に支配されていく。
「ベベル様の為に生きる事が、私の生きがいとなります。 ベベル様の幸せに繫がる事が、我の生きる理由とも感じております」
何時の間にか、ベベルに対する尖った様な感情は消え失せ、自分を守る信頼に満ちた存在に思えてくる。
ベベルの魔法の触手によって、憎むべき相手を憎むという概念に蓋をし、今まで自分が守り、愛した相手との思いの感情に置き換えられてしまう。憎むべき相手の発した言葉さえ愛しかった思いのした人物の発した言葉の様に思えて、その願いを叶えねばと強く思い込んでしまう。
「ふん、こうも容易く私の魔術に掛かってしまう者もいないな。余程精神の弱い男だったという事か」
「ドン! ドン! 大丈夫でございますか?」ドアの向こうの衛兵がしつこくノックを繰り返す。
ベベルは、椅子に座って虚空を見つめるアルトマンを確認すると、部屋のドアを開けた。
「うるさいぞ! 衛兵。公爵様は、お疲れになっている。椅子に座って少しの間お休み中だよ。静かに出来ないのか」
敬礼をした後に中の様子を覗き込んだ衛兵に、アルトマンが軽く手を上げる。
「大声で呼び付けて置いてなんだが、たいした事ではない。持ち場に戻りなさい」
「失礼しました!」衛兵の男は、少し小首を傾げながらも扉を閉めると主の言葉に従い部屋を後にする。
(フン、間に合ったか。上手くいったようだな)
改めてベベルは、アルトマンを前に微笑みながら話しかけた。
やさしく、其れは悪魔のささやきの様に、静かに自愛に満ちた言葉の様に聞こえてくる。
「お前の長年の野望の為に、アルタラスへの遠征侵略の計画は間違いなく続けよう。其の為には私が、力を惜しむことはない。共に彼の地を手に入れ、その後のローデン王国の覇権を手にする為に、おまえの夢の為に共に戦おうではないか。お前がこの国の王となるのだ」
アルトマンは、表情のない顔でコクリと首をふる。
(ああ、そうだ。此奴が先ほど言っていた黒馬の女騎士と聖女の囲い込み、手中にあれば、何かと使えるかも知れんな)




