隼人くん! 異世界へ出張だってさ
隼人の怪我は、驚くほどのスピードで回復に向かっていた。
感覚的には、骨折は治り繋がったイメージがよく解る、体全体の修復率がイメージとして分かるようになってきていた。
引き裂かれた肩口の三筋の爪痕も大きくかさぶたが被り、肉が盛り上がってきている。
秋絵に、ケガの治りの早すぎる事を訝しがらせない為に、包帯と大げさなガー
ゼを当ててけが人らしくベッドで惰眠をむさぼっていた。
とてもクーガーに襲われたなどとはいえないので、少しでも心配を掛けまいとケガの原因はキャンプで山登り途中の滑落とごまかして伝えてしまった。
呼び鈴が来訪を伝える。
「ビイィ——ン」
「ごめんください」
(ウンッ 誰か来たのかな? 日本語! 女の子の声?……美緒里ちゃん?)
玄関で母親の秋絵が女性の訪問客を出迎えているようだ。
すでに隼人が、伊集院家で食事を振舞われたことは話していたので挨拶も兼ねて顔なじみになっている。
母親同士の歳も近く、数少ない日本人同士とあってすっかり仲よくなったようだ。
カチャリとドアノブの回る音。
「隼人、起きている? あんた喜びなさい。美緒里ちゃんがお見舞いに来てくれたわよ」
突然の事に、心構えのない隼人は出迎えるタイミングを失った。
つい寝たふりで出迎えてしまった。
「あら、まだ寝ていたみたいね。せっかく来てくれたのにごめんなさい。そのうち起きると思うから、ゆっくりしていってね。お茶を入れてくるわ」
カタカタと近くの椅子を引き寄せて、ベッドの傍らに座る気配がする。
(うーん どうしよう此処で目を覚まして挨拶するのもおかしいし)
傍らから女の子の視線が、目を閉じていても感じる。
洗濯した柔軟剤の柔らかい香りがする。
隼人の頭の中をその柔軟剤の容器にデザインされた花柄の模様が埋め尽くしてしまう。
「あー すごい包帯だらけ、どうしたらこんなケガしたんだろ。かわいそ隼人くん」
(あぁ すいません、これほとんど治ってますから)
心の中で詫びる。
隼人は起きるに起きられずひたすらに寝たふりを続ける。
さらに、顔を近づけて覗き込んできた気配をひしひしと感じる。
顔に表情を出すまいと必死だ。
(…………)
女の子の匂いがする。
隼人の緊張が高まる。
(どどうしよう)
たまらずに隼人の小鼻がピクリと動いてしまった。
「!」
「…………」
「ムズムズ」とさらに、美緒里の長い髪の先端が隼人の頬に当たっている。
隼人の顔に赤みが差し、額にうっすらと汗が浮かんだ。
「ふふっ」
鼻に髪が当たっているのを感じる。
鼻の周りを髪がくすぐる
「!?」
「ぶふぉっ」
隼人は、思わず目を開けた。
眼に前には、悪戯しようと自分の髪を筆みたいに持った美緒里の顔が。
「きゃあっ」
「わあっ」
「あ、どうも美緒里ちゃん」
「あ、どうも隼人くん」
「こんにちは。…………ごめんなさーい。でも隼人くん起きてたよね!」
悪戯をごまかそうと美緒里が笑う。
「つい、弟を起こすみたいに悪戯しちゃってごめんなさーい」
そこへ、お茶の盆を持った秋絵が入ってきた。
(ナイス! 母さんいいタイミングで来てくれたよ)
「隼人、起きたみたいね。コーヒー飲むでしょ。顔を洗ってきたら?」
「そうだね、顔ぐらい洗ってくるよ」
「美緒里ちゃん、わざわざお土産ありがとう。harbsのショートケーキ美味しそうだわ」
「いえ、私も食べたかったから一緒に買ってきたんです」
秋絵もすっかり親しくなった此の少女が、隼人を心配して尋ねて来てくれたことがうれしかった。
有名どころのケーキ屋の菓子の話で、主役の隼人はそっちのけで年代を超えて
盛り上がっている。
開けた窓からは、公園の緑を伝い春のさわやかな風がカーテンを揺らした。
少女のお見舞いが、川端家にささやかな幸せをもたらしていた。
隼人は、二人の笑顔に思う。
色々と隠し立てをしている事が心苦しかった。
「美緒里ちゃん、公園に散歩にでも行こうよ。寝てばかりも飽きたところだし」
包帯が目立たないようにパーカーを羽織った。
秋絵にもすこし散歩してすぐに戻ると伝える。
隼人が何かを伝えたいことが分かったのか美緒里も黙ってついて歩く。
公園の中央にある広大な貯水池にたどり着いた。
ランニングコースを超えて水辺にたたずむ。
静かな水面は鏡のように対面の景色を映し出している。
隼人を中心に、次々と目まぐるしく出来事が起こる。
その中でも、この少女に出会ったことで気持ちが救われていたのは確かなことだった。
言葉に乗せてその気持ちを伝えたかった。
「颯太が、ケガしたことがきっかけだったけど美緒里ちゃんに出会えてうれしかったよ」
「俺の周りは最近ろくでもない事ばかり起こって母さんも俺も疲れていたんだ。でも、美緒里ちゃんの顔を見ると元気が出るような気がする」
「私も、言葉もまだうまく伝わらないこの街で、颯太も私も本当は淋しかったの。 あなたを見かけたときは、すごく話しかけたかったの。私の方こそ、出会えてよかったと思っているよ」
「今だって、顔を合わせるだけで楽しいし、これからもよろしくね」
そう言って隼人に振り向いた美緒里のポニーテールに纏めた黒髪がふぁさりと胸元に落ちてくる。
切れ長の眼は、真っすぐに隼人を見上げる。
見つめる美緒里の黒い眼の中に、隼人は自分の姿を見つけた。
(黙っていく訳にはいかないよな。俺は美緒里ちゃんを好きだ。今は言えないけどぜったいに異世界から帰ってきて告白する)
「怪我が治ったら、近いうちに仕事で出張があるんだ。だから美緒里ちゃんの顔、まとめて見ていていいかな? ははっ バカなこと言っていると思うよなあ~」
隼人は、照れ隠しに美緒里を見つめながら笑った。
美緒里は、冗談と思ったのか面白がり負けまいと隼人の見つめる顔に口を真一文字に結んで顔をよせる
「それで、出張はどこにいくの?」
隼人は、決心を決める。
「この話は、当分は秘密にして欲しいんだけど、俺の家に起こったことを最初から話すよ。嘘や冗談じゃない事は信じて欲しい」
隼人の表情が、変ったことに少しばかり驚きを見せた美緒里だったが、その真剣さが伝わったのか言葉の一つ一つを飲み込むように聞いてくれた。
「異世界で、親父を見つけ一緒に妹も探して連れ戻してくる。その時は、妹を紹介するよ」
「その時はニューヨークの観光を改めてみんなで行きましょう。うちの家族と隼人くんの家の家族一人残らず、皆でいきましょう」
隼人は、うれしかった荒唐無稽なこの話を美緒里は信じてくれた。
静かだった貯水池の水面に風が波紋を作っては、二人に強く吹き渡ってきた。
突然の風に美緒里の髪がなびく。
二人は、ただ静かにお互いを見つめあっていた。
美緒里は、自宅のコンドミニアムへと帰って来た。
黙って洗面所へと向かった。
母親が、娘の少しばかりの違和感に声を掛けた。
「隼人くんの具合はどうだったの」
「うん、意外と元気そうで公園まで散歩までしてきたよ」
「そう、それじゃ又すぐにでもお仕事に戻れそうね」
美緒里が母親に顔を見られないよう洗いながら答える。
「うん、出張があるんだって。隼人くん、異世界へ出張だってよ」
「そう、フフフ異世界だったら猫耳娘が心配ね? 美緒里」
母親が、冗談を返せたとおどけて明るく笑った。




