第九十一話 早い者勝ちよね!
≪貴方がたが指をくわえて見ていれば――≫
万象解体書の声が、その場にいる全員の意識へ響く。
≪継承者は、エルネ・フィルに決定されます≫
一瞬だけ、空気が止まった。
「……望むところよ」
カーマが笑う。
「え?」
次の瞬間には、もう駆け出していた。
「早い者勝ちよね!」
「ちょっと待って!」
カーマの周囲に水が集まる。
五つの水弾。
それぞれが違う角度からエルネへ飛んだ。
(速い!)
『右から二。正面三』
「分かってる!」
エルネは床を蹴った。
一発目をかわす。
二発目。
「流転軌!」
飛来する水弾へ、ほんのわずかに干渉する。
止める必要はない。
狙いをずらせばいい。
水弾がエルネの横を抜け、背後の床へ弾けた。
「……なに、それ」
カーマの眉が寄る。
「今、私の魔法を曲げた?」
「説明してる暇ない!」
足元が盛り上がった。
『下方』
「っ!」
飛び退く。
直前まで立っていた場所から、鋭い石槍が突き上がった。
アルランド。
「こっちも!?」
「本を狙っているのは、カーマだけじゃない」
アルランドが片手を振る。
さらに二本。
石槍が連続して伸びる。
「だからって一緒に来なくてもいいでしょ!」
「組んだ覚えはない」
「もっと悪い!」
着地した瞬間、また地面が動く。
「磁界釦!」
琥珀色の光が床へ打ち込まれた。
動かない、一つの基準点。
そこから波が広がる。
位置。
距離。
そして地面を走る魔力。
一瞬だけ、それらが明瞭になった。
(次、右じゃない)
『はい』
エルネは左へ踏み込む。
直後。
右側の床から石槍が突き出した。
「……読んだ?」
「ちょっとだけ!」
赤い光。
今度はエスターだった。
明るい金髪の少年が、無言のまま片手を向けている。
火球。
一つ。
二つ。
三つ。
「また!」
走る。
二つをかわし、最後の一つだけ流転軌で逸らす。
火球が柱へぶつかり、炎が散った。
そこへ風。
「《風刃》」
シュリが腕を振る。
薄い風の刃が走った。
「空律鋏!」
エルネの視界に、風刃へ魔力を送り込む流れが見える。
緑色の線。
そこへ半透明の鋏が走った。
しゃきん。
完成しかけていた風刃が、途中で形を失う。
「……へえ」
シュリが目を丸くした。
「面白い」
「面白がらないでよ!」
「魔法そのものじゃなくて、流れを切ってるんだ」
「今それどころじゃない!」
カーマの水弾。
アルランドの岩礫。
エスターの炎。
シュリの風。
次から次へと飛んでくる。
一人ひとりが強い。
聖環学院の対抗戦メンバーよりも。
学院の生徒会で何度も見てきた上級生たちよりも。
セレスティアやシオンほどではない。
それでも、同じ学生としてまとめるには強すぎる。
器候補として選ばれただけのことはあった。
しかも。
「邪魔よ、アルランド!」
「お前が勝手に前へ出ているだけだ」
「私が先に取るの!」
「決めた覚えはない」
「二人とも私を挟んで喧嘩しないで!」
仲間でもない。
連携しているわけでもない。
それぞれが勝手に万象解体書を狙っているだけだ。
なのに、狙われる側からすれば何も変わらない。
全員の攻撃がエルネへ飛んでくる。
カーマが両腕を広げた。
今度は水弾ではない。
大量の水が一つにまとまり、幅のある水流となって押し寄せる。
「もう!」
「霧星糸!」
周囲の水分へ魔力を伸ばす。
カーマが撒き散らした水。
石床に残る湿気。
エスターの炎で生まれた水蒸気。
それらを拾い、細い霧の糸として繋いでいく。
「……糸?」
カーマが眉を寄せる。
霧星糸は、そのまま迫る水流の内部へ入り込んだ。
魔力が集まる場所。
流れが束ねられている結び目。
「ここ!」
糸を通す。
水流の一部が崩れた。
「なっ……!」
空いた隙間を、エルネが駆け抜ける。
「私の水に何したのよ!」
「ちょっとほどいただけ!」
「ちょっとでああなる!?」
『以前より精度が向上しています』
(今ほめた?)
『事実を述べています』
(それでも嬉しい!)
走りながら、さらに霧星糸を広げる。
床。
柱。
壁。
祭壇。
戦場のあちこちへ、細い魔力経路が伸びていく。
その様子を、シュリがじっと見ていた。
「へえ……」
さっきよりも少し楽しそうだった。
「やっぱり面白い」
「だから何が!」
「いろんな魔法を使うから」
シュリが両手を広げる。
「それじゃ、これに対応できる?」
「その言い方、絶対嫌なやつ!」
「《鳴風》」
空気が震えた。
「っ!」
一箇所ではない。
右。
左。
正面。
背後。
足元。
空間のあちこちで、異なる振動が立ち上がる。
(空律鋏で――)
『不可能です』
(え!?)
『発生点が多すぎます。あの数を《空律鋏》で対処できません』
「ちょっと待って!」
振動が重なった。
床が震える。
腕。胸。骨の内側まで揺さぶられる。
「な、に、これ……!」
一つの流路を切る。
まだ残る。
さらに一つ。
間に合わない。
平衡感覚が崩れた。
「きゃっ!」
エルネの身体が床へ転がった。
「一回じゃ無理なんだ」
シュリが興味深そうに言う。
「嬉しそうに言わないで!」
(先生、今の!)
『空気を媒体とした共振現象と推定します』
(全部切るのは無理なんだよね)
『はい』
エルネは歯を食いしばって立ち上がる。
全部を見る必要はない。
複数の振動が重なって、あの威力になっている。
なら。
(中心だけ崩せば?)
『有効と思われます』
「もう一回」
シュリが手を上げる。
「《鳴風》」
振動が広がる。
今度は、そのすべてを追わない。
一番大きく繋がっている流路。
「空律鋏!」
しゃきん。
中心を切る。
振動は消えない。
だが、重なり方が崩れた。
「……あ」
シュリの目が見開かれる。
エルネは身体を揺らされながらも、今度は踏みとどまった。
「全部切れないなら、一番大きいのだけ!」
「二回目でもう?」
「一回食らったから!」
シュリが少し笑った。
「ほんとに面白い」
「私は全然面白くない!」
横から水弾。
「うわっ!」
しゃがむ。
頭上を通った水弾の先から、岩礫が飛んでくる。
さらに火球。
エルネは張り巡らせた霧星糸へ魔力を流した。
「霧星糸――」
細い糸が一斉に光る。
「鏡結!」
四方向から伸びる攻撃の経路を結ぶ。
カーマの水弾がアルランドの岩礫へぶつかる。
砕けた石をシュリの風が巻き上げる。
エスターの火球が、その流れに押されて逸れた。
「ちょっと!」
カーマが水飛沫を被る。
「今のあんたでしょ!」
「そう!」
「なんで嬉しそうなのよ!」
「久しぶりにうまくいったから!」
以前は、時間をかけて盤面を作った。
今は違う。
戦いながら。
かわしながら。
必要な場所へ霧星糸を伸ばし、その場で鏡結へ繋いだ。
『展開時間の短縮を確認』
(やっぱり!)
『はい』
エルネの口元が少しだけ緩む。
だが。
≪現所持者エルネ・フィルは、複数の独自術式を保有しています≫
「……また?」
≪他候補者と比較し、万象解体書との接続状態も先行しています≫
「いちいち言わなくていい!」
≪現状が継続した場合、継承者の変更は困難となる可能性があります≫
カーマの表情が変わった。
「……だったら」
周囲の水が増える。
「今のうちに取ればいいってことでしょ!」
(絶対煽ってる!)
『有体にいえば、その通りです』
(だよね!)
再び攻撃が始まる。
水を流転軌で逸らす。
地面を走る魔力を磁界釦で読む。
風刃の流路を空律鋏で切る。
火球をかわす。
一つずつなら、まだ対処できる。
問題は、終わりがないことだった。
カーマを避ければアルランド。
アルランドを捌けばシュリ。
シュリに意識を向ければエスターが来る。
誰も互いに合わせていない。
だからこそ、次に誰が何をしてくるのかも読みづらい。
『後方』
「っ!」
身を低くする。
エスターの火球が頭上を抜けた。
床へ着弾する。
炎が上がり。
消えた。
(エスターはまだ普通の火魔法だけ――)
『警告』
「え?」
さっき火球が着弾した床が爆ぜた。
「きゃあっ!」
衝撃をまともに受け、エルネが横へ転がる。
肩が石床へぶつかった。
「痛った……!」
何が起きたのか分からない。
炎はもう消えていたはずだ。
エスターが静かに口を開く。
「《熾火》」
「……エンバー?」
今度は柱が燃え上がった。
さっき火球が掠めた場所。
続いて壁。
床。
戦いが始まってから、エスターの炎が触れた場所が次々と再燃していく。
『残留魔力の再活性化を確認』
(まさか)
『炎が接触した地点に、再発火可能な魔力を残しているものと推定します』
(全部!?)
「こんなの初見で分かるわけないでしょ!」
「だから使った」
今まで安全だった場所まで使えなくなっていく。
そこへ、また万象解体書の声。
≪始祖の力を受け継ぐ機会は、すべての候補者へ与えられています≫
≪現所持者との接続は、現在も進行しています≫
≪行動しなければ、結果は変わりません≫
「うるさい!」
エルネが本へ怒鳴る。
だが。
カーマは水を集める。
アルランドも地面へ魔力を流す。
エスターの周囲に炎が浮かぶ。
シュリも再び構えた。
(……なんか、様子がおかしくない?)
『はい。発言による誘導だけでは説明できません』
(どういうこと?)
『書が彼女たちと回路を繋いだ影響が大きいと推察されます』
(影響?)
『感情、欲求、競争意識。それらが通常より強く表出しています』
(それ、まずいじゃん!)
『はい』
四人が動き、エルネもあわせて動く。
一つずつ捌く。一度見た術なら、次は少しだけ早く対応できる。
それでも。
「っ……!」
水弾が脇腹を掠めた。
続く岩礫を完全には避けきれず、肩を打つ。
痛い。
息も上がってきた。
(……一人ずつなら、たぶん何とかなる)
『私もそう判断します』
(四人は?)
『現状では困難です』
(だよね!)
強くなった。
それは分かる。
以前より使える魔法も増えた。
同じ魔法でも、以前よりずっと速く扱える。
初めて見る魔法にも、一度受ければ対策を考えられるようになった。
それでも。
四対一という数までは覆せない。
「ノア!」
カーマが叫んだ。
少し離れた場所。
最初から戦いを眺めていたノアが顔を上げる。
「あんたも手伝いなさいよ!」
「僕が?」
「他に誰がいるのよ!」
「なんで?」
「万象解体書の言葉を聞いてなかったのか?」
アルランドも言う。
ノアは少しだけ苦笑した。
「聞いてたよ」
「だったら――」
「興味ない」
「……は?」
「始祖の力とか、継承者とか」
ノアは肩をすくめる。
「僕は別にいらない」
「もういいわ。黙って見てなさい!」
「うん」
カーマが再びエルネへ向き直った。
ノアはその背中を眺める。
少しだけ間を置いて。
「でも、やっぱり」
杖を手に取った。
「楽しそうだから、混ぜてもらおうかな」
エルネが振り返る。
「ノアの魔法って、確か……」
ノアが杖を持ち上げた。




