第八十四話 教団の聖地、意外と普通です
聖地に来て、二日目。
朝食を終えたエルネは、フィーネに連れられて聖地の中を歩いていた。
「思ったより広いね」
「後から少しずつ広げられた場所も多いですから」
むき出しの岩肌が残る場所もあれば、石を積んで造られた通路もある。
荷物を運ぶ者。
食事を作る者。
書類を抱えて歩く者。
教団の聖地と聞いて、もっと怪しげな場所を想像していたが、実際には思ったより生活感があった。
「みんな、ここに住んでるの?」
「聖地に常駐している者だけです」
「フィーネさんも?」
「はい」
通路の先では、二人の男が大きな木箱を抱えている。
見るからに重そうだった。
「魔法が使えたら楽なのにね」
「本当に」
「聖地なのに不便だね」
「聖地でも不便なものは不便です」
真顔で返され、エルネは少し笑った。
「ねえ、フィーネさん」
「はい?」
「始祖って、そもそも何をした人なの?」
フィーネが少しだけ意外そうな顔をする。
「ヴァレル様からは、どの程度お聞きになりました?」
「世界を変えようとして、失敗したって。あと、すごい魔術師」
「……ずいぶん簡潔ですね」
「でしょ?」
「ヴァレル様らしいと言えば、らしいですが」
フィーネは少し考えてから口を開いた。
「数百年以上昔のお話です。始祖様がどこから来て、どのように歴史に登場したのか。それは分かっていません」
「いきなり分からないんだ」
「ええ。ですが、その後については教団にいくつもの記録が残されています」
「記録?」
「始祖様は、誰も見たことのない魔法を使い、ありとあらゆる魔法具を使いこなしたと言います」
「ありとあらゆる?」
「はい。扱いの難しいものも、持ち主を選ぶものも。始祖様だけは自在に使うことができた、と」
「へえ……」
フィーネの声は、どこか誇らしげだった。
「そして、その力とお知恵によって、当時の人々に多くの救いをもたらされました」
「救い?」
「争いを収め、誰にも解決できなかった問題を解決し、強大な魔獣を討ち倒した。時には様々な国へ意見をし、困窮する民へ慈悲を施されたとも伝えられています」
「……いい人じゃん」
「はい」
今度の返事には、迷いがなかった。
「私たちは、始祖様がこの世界をより良いものにしようとなさったのだと信じています」
「でも、失敗したんでしょ?」
「……はい」
「何があったの?」
「それについては、残された記録だけでは分からないことも多いんです」
「また分からないんだ」
「ただ――不思議なことがあります」
「何?」
フィーネが少し歩みを緩める。
「これほど多くのことを成された方なのに、教団の外には始祖様についての記録がほとんど残されていません」
「昔すぎるからじゃないの?」
「それだけでは説明できません」
フィーネは首を横に振った。
「始祖様が関わられた出来事そのものは、今も歴史に残っているんです」
「どういうこと?」
「争いが起こり、それが収められたという記録はある。ですが、誰が収めたのかがない」
「うん」
「強大な魔獣が討伐されたことは記されているのに、討伐した者の名が残っていない」
「……変なの」
「ええ」
「じゃあ、教団に残ってる記録の方が間違ってるとか?」
フィーネの表情が、少しだけ真剣になる。
「私は、そうは思いません」
「なんで?」
「この聖地があります」
フィーネは静かに周囲を見渡した。
「教団に伝えられてきた記録を辿ったからこそ、私たちはこの場所へ辿り着くことができました」
「あ……」
「すべてが正しいと証明されたわけではありません。ですが、少なくとも始祖様が実在し、ここで最期を迎えられた。そのことまで疑う理由は、私にはありません」
エルネも周囲を見る。
「じゃあ、世界の方から始祖だけ消えた?」
「そう考える者もいます」
「誰かが消したの?」
「分かりません」
フィーネは少しだけ寂しそうに笑った。
「始祖様が世界へ遺されたものは数多くあるはずなのに、その御名だけが忘れ去られてしまった。その理由を知ることも、私たちが始祖様の足跡を追う理由の一つです」
(先生なら、何か知ってるかな)
何気なく意識を向ける。
(先生?)
やはり返事はなかった。
「エルネ様?」
「なんでもない」
そのとき、通路の向こうから一人の女性が歩いてきた。
三十代ほどの、背の高い女性だった。
長い茶色の髪を後ろでまとめ、どこか眠そうな目をしている。
フィーネが足を止める。
「ミレナ様」
「ん」
女性は軽く片手を上げた。
「お早い到着ですね」
「私はたまたま近かったからね」
ミレナは周囲を見回す。
「本当に全員揃うの?」
「私には分かりかねます。今まで無いことではありますから」
「全員招集が?」
「はい」
「……ヴァレルも思い切ったことするわね」
そこで、ミレナの視線がエルネへ向いた。
「その子?」
フィーネは少しだけ間を置いた。
「私は何も申し上げられません」
「そう。じゃあ、そういうことね」
「何が?」
エルネが聞く。
「何でもないよ」
「絶対何かある」
「あるかもね」
「あるんじゃん」
「ミレナ様」
「分かってるって」
ミレナが肩をすくめる。
エルネは思い出して尋ねた。
「ねえ、あなた、幹部なの?」
「そうだけど?」
「やっぱり。ヴァレルが幹部を集めるって言ってたから」
「ああ。ちゃんと聞いてたのね」
「聞こえるところで話してたから」
「そりゃそうか」
ミレナは少し笑い、そのまま奥へ歩いていった。
◇
昼を過ぎたころ。
聖地へ、また一人の男がやってきた。
大柄な年嵩の男だった。
伸びた髭には白いものが混じり、その顔は赤い。
近づくと酒の匂いまでした。
「お疲れさまです、バルド様」
「ふん」
バルドは軽く手を上げる。
すぐに、少し離れたエルネへ目を向けた。
「あの娘か? 器は」
「声を抑えてください。ヴァレル様に叱られます」
「ふん。あんなひよっこに儂が気を使わねばならんのか?」
「彼女はまだ何も知らされていません」
「遅いか早いかではないか」
「そういう問題ではありません」
「まあ良い」
バルドは面倒そうに手を振った。
「あと何人だ?」
「バルド様で三人目です」
「三人? 早く着きすぎたか」
フィーネはその赤ら顔を見た。
「……酔っておられるのですか?」
「ふん。飲まなければやってられん」
「まだ到着されたばかりですが」
「だから何だ。酒を持て」
「はい」
「多めにな」
「いつもの量でよろしいですね」
「多めと言っただろうが」
「いつもの量も十分多いです」
「お前、口が達者になったな」
「おかげさまで」
「誰のおかげだ」
バルドは鼻を鳴らして奥へ消えていった。
エルネがフィーネへ近づく。
「あの人も幹部?」
「はい」
「バルドさんで三人目って言ったよね」
「聞こえていましたか」
「そこはね」
「そうです。ヴァレル様を含めて三人目です」
「じゃあ、本当に集まってるんだ」
「はい」
エルネは少し考える。
「……私が来たから?」
「それはお答えできません」
「やっぱり怪しい」
◇
夕方。
到着した者たちの準備があるらしく、フィーネは慌ただしく部屋を出ていった。
「お部屋にいてくださいね」
「暇なんだけど」
「なるべく早く戻りますので」
扉が閉まる。
しばらくエルネは大人しくしていた。
しばらくは。
「……暇」
万象解体書を抱えて立ち上がる。
「ちょっと見るだけなら」
部屋を出た。
聖地の中には、朝より知らない顔が増えている。
人の少ない方へ進み、まだ通ったことのない角を曲がる。
その先に、一人の少女がいた。
年齢はエルネとそう変わらない。
肩口で揃えられた鮮やかな赤い髪。
目を引くほど整った顔立ちをしているが、吊り気味の目と堂々とした立ち姿からは、強い勝ち気さが滲んでいる。
腕を組んで壁にもたれていた少女が、エルネに気づいた。
頭から足元まで、遠慮なく眺める。
「……なに?」
「あんたがエルネ?」
「そうだけど」
「ふーん」
少女は壁から離れた。
「もっとすごいの想像してた」
「なにそれ」
「そのままよ。拍子抜けって言ってるの」
「初対面で失礼じゃない?」
「別に」
「別にじゃないよ」
「細かいわね」
「そっちが言ったんじゃん」
少女の視線が、エルネの抱えている本へ移った。
「それ、万象解体書?」
「……なんで知ってるの?」
「貸しなさい」
「やだ」
「いいから」
「よくないよ」
エルネが万象解体書を抱え直した。
その瞬間、少女が距離を詰める。
「ちょっ――」
本の端を掴まれた。
エルネが取り返そうとするより早く、少女は身体をひねって万象解体書を奪い取る。
「あっ!」
少女は数歩離れると、さっそく本を開いた。
ぱらぱらと頁をめくる。
一枚。
また一枚。
「ちょっと! 返してよ!」
「待ちなさいよ」
「勝手に取ったのそっちでしょ!」
少女は聞く耳を持たず、さらに頁をめくる。
やがて眉間に皺を寄せた。
「……どこにも術式が書いてないわね」
「だから返してよ!」
少女は本をひっくり返し、表紙まで確かめる。
「本当にこれが万象解体書?」
「そうだよ!」
「ふーん……」
少女は本から顔を上げた。
勝ち気な目が、今度はエルネを値踏みするように細められる。
「この本もだけど――」
「なに?」
「あんたも、インチキなんじゃないの?」




