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第八十二話 教団が信じるもの

 再び、暗闇の中だった。


 ヴァレルの短剣が開いた裂け目を抜けると、足元から地面の感触が消える。


 前も後ろも、上も下も分からない。


 細い光だけが、遠くをゆっくり流れていた。


「ねえ」


「なんだ」


「教団ってなに? 何の神を崇めているの?」


「神に近い存在ではある」


「神に近い?」


「だが、神などという曖昧なものではない。実在した人物だ」


 エルネは少しだけ目を丸くした。


「人なの?」


「ああ」


 ヴァレルは歩みを止めない。


「彼……は、この世界で最も偉大な魔術師だった」


「彼?」


「我々は始祖とお呼びしている」


「始祖……」


 聞き慣れない言葉を、エルネはそのまま口にした。


「何をした人なの?」


「この世界のあり方を変えようとした」


「世界のあり方?」


「だが、失敗した」


「……それで?」


「我々は、その影を追っているにすぎん」


「影って?」


「始祖が遺したものだ。術式、記録、魔法具。今も見つかっていないものもある」


「じゃあ――」


 エルネは少し迷った。


「万象解体書も?」


「ああ」


 返事は早かった。


「あれも始祖が遺したものだ」


「なんであんなものを?」


「知らん」


「また知らないの?」


「始祖本人に聞いた者は、もういない」


「そりゃそうだけど……」


 エルネは頬を膨らませた。


「じゃあ、私が使ったあれは?」


「万象解体術と呼ばれている」


「それも始祖の魔法?」


「そう伝わっている」


「私、そんなの知らないんだけど」


「だろうな」


「……なんで使えたの?」


 今度は、少し間があった。


「それを確かめるために、聖地へ向かっている」


「それだけ?」


「ああ」


 エルネは横からじっとヴァレルを見る。


「なんか隠してない?」


「話す必要のないことは話していない」


「それ、隠してるって言わない?」


「言わん」


「言うと思う」


 それきり、ヴァレルは黙った。


 しばらくして。


 エルネは、ふと気づいた。


(……そういえば、先生が喋らなくなった)


 いつもなら、何かしら口を挟んでくる。


 危険だとか。

 やめた方がいいとか。

 成功率がどうとか。


 なのに、さっきから何も聞こえない。


(私が、拒絶したから?)


 湖でのことを思い出す。


 先生は止めようとした。


 自分は聞かなかった。


 その声を振り切った。


 呼びかけてみようかと思った。


 けれど、やめた。


「着くぞ」


「え?」


 ヴァレルの声に顔を上げる。


 暗闇の先に、灰色の裂け目が浮かんでいた。


     ◇


 石の床に足をついた瞬間、エルネは立ち止まった。


「……ん?」


 何かがおかしい。


 手のひらを見る。


 指先へ魔力を集めようとする。


 集まらない。


「えっ」


 もう一度。


 何も起きない。


「魔法が使えない」


「ああ」


「なんで!?」


「そういう場所だ」


「先に言ってよ!」


 ヴァレルは気にした様子もなく歩き出す。


 エルネは慌ててその後を追った。


 周囲は、大きな地下空間になっていた。


 むき出しの岩肌。


 その間を縫うように、石造りの通路が続いている。


 ところどころに人の手が入っているのは分かるが、豪華な装飾はない。


 壁際に置かれた灯りが、静かに通路を照らしている。


「ここが聖地?」


「ああ。聖地アルブレヒトだ」


「へえ……普通だね」


 ヴァレルが振り返った。


「何を期待していた」


「金色の何かとか」


「ない」


「大きな始祖の像とか」


「ない」


「……聖地っぽくない」


「そうか」


 相変わらずだった。


 さらに奥へ進む。


 いくつか通路を抜けたところで、一人の女性がこちらへ歩いてきた。


 淡い栗色の髪を後ろでまとめた、若い女性だった。


 飾り気のない服装で、手には何枚かの布を抱えている。


 こちらに気づき、足を止めた。


「ヴァレル様?」


 少し驚いたように目を瞬かせる。


「まあ、珍しい」


「ああ」


「何かございましたか?」


 そこで初めて、女性はヴァレルの隣にいるエルネへ目を向けた。


 少しだけ首を傾げる。


「こちらの方は?」


「エルネ・フィルだ」


「エルネ様?」


「この者をしばらく預かってくれ」


「……私が、ですか?」


「ああ」


 女性はエルネをもう一度見た。


 事情が分からないのだろう。


「分かりました」


 それ以上は聞かなかった。


 女性はエルネへ向き直り、丁寧に頭を下げる。


「初めまして。フィーネと申します。こちらで身の回りのお世話などをしております」


「エルネです」


「はい。よろしくお願いいたします」


 柔らかな声だった。


 少なくとも、ヴァレルよりは話が通じそうだ。


「私、ここに泊まるの?」


「そのようですね」


「その前に色々話を聞きたいんだけど」


 フィーネがヴァレルを見る。


「……とのことですが」


「今は必要ないことは教えられん」


「だそうです」


「フィーネさん、そっち側なんだ……」


「申し訳ありません。私に決定権はありませんので」


「うん。知ってた」


 フィーネは少し困ったように笑った。


「お部屋をご用意します。お食事は?」


「食べる」


「かしこまりました」


「エルネ」


 ヴァレルが呼んだ。


「何?」


「ここにいろ」


「私、犬じゃないんだけど」


 ヴァレルは返事をしなかった。


 そのままフィーネへ視線を向ける。


「少しいいか」


「はい」


 二人はエルネから少し離れた。


 エルネはその背中を見る。


「……絶対、私の話してる」


 耳を澄ませる。


 だが、声までは届かなかった。


     ◇


「彼女が候補者だ」


 フィーネの表情が変わった。


 遠くにいるエルネへ、ちらりと視線を向ける。


「……器ですか?」


「かもしれん」


 ヴァレルは答えた。


「そうでないかもしれん」


 ヴァレルはそれ以上説明しなかった。


「幹部が揃うまで、ここに置く」


「承知しました」


「聖地と始祖については、聞かれれば話して構わん」


「いつも通りの範囲で?」


「ああ」


「それ以上は?」


「さっきも言った通りだ。まだ話すな」


「分かりました」


「候補者についてもだ」


「はい」


 フィーネはもう一度、エルネを見る。


 本人は退屈そうに壁を眺めていた。


「……随分と普通の子に見えますね」


「そうだな」


 ヴァレルは、それだけ答えた。


     ◇


 エルネが姿を消してから、数日が経っていた。


 セレスティアは生徒会室の机いっぱいに地図を広げていた。


 向かいにはリシアが座っている。


「町の自警団から連絡がありました」


「どうだった?」


「湖の周辺と森、それから近くの街道まで探してもらったそうです。でも……エルネらしい子は見つからなかったって」


「そう」


 セレスティアは地図へ目を落とした。


 エルネが失踪したことを知っている者は、まだ多くない。


 学院内でも、事情を把握しているのはごく一部だけだ。


 騒ぎを大きくすれば、それだけ情報も広がる。


 自警団にも、詳しい事情は伝えていなかった。


「となると、この辺りにはいない可能性が高いわね」


 セレスティアが地図の一角を指でなぞる。


「ヴァレルの魔法なら、そもそも普通の道を通っていない可能性もありますよね」


「ええ」


「じゃあ、どこを探せば……」


「それを考えてるの」


 リシアが黙った。


 セレスティアも地図を見る。


 範囲を広げればいいという話ではない。


 場所の見当すらついていないのだから。


「……シオンはまだ?」


「あ」


 リシアが顔を上げた。


「そういえば、今日も見てません」


「聞いてきてくれる?」


「はい」


 リシアが部屋を出ていった。


 セレスティアは一人、地図を見つめる。


 やがて、扉が開いた。


「会長」


「どうだった?」


「シオン先輩は、ご実家に戻られてないそうです」


 セレスティアが顔を上げる。


「かといって、寮にもいない」


「はい」


「誰か、行き先を聞いてない?」


「何人かに聞きましたけど、誰も」


「……そう」


 セレスティアは腕を組んだ。


 しばらく考える。


 エルネがいなくなった。


 シオンも姿を消している。


 関係があるのかは分からない。


 だが、このまま地図だけ眺めていても進まない。


「リシア」


「はい?」


 セレスティアは椅子から立ち上がった。


「聖環学院に行くわ」


「聖環学院に?」


「ええ」


「どうして?」


 セレスティアは机の上の地図を畳んだ。


「確かめたいことがあるの」

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